千八十九(第二部) 三日月村、桐生市内訪問記
平成三十戊戌
二月十日(土)三日月村
我が家のヘビ(ヘビが水浴の写真。暑いとき、脱皮の前によく水浴する)は上州新田郡三日月村の隣地が出身地だ。と云ふことで今回、三日月村を訪問することにした。温泉側の入口から入ると、かつての切符売り場のすこし先に隧道がある。その先の売店が今は切符売り場になった。前回スネークセンターを訪問したときは、隧道の手前まで寄ってみた。
入園料とアトラクション込みがあり、入園料のみを選択した。園内は仮想通貨(1文100円で再両替可能)なので1000円を両替した。食堂とトイレが二か所あるものの寒波で水道が止まったため、食堂は目の前、トイレは隧道の外側を使用することになった。今までこんなことは無かったさうで、今年の寒波は異常だ。
二月十日(土)その二
園内はパンフレットによると歴史ゾーンに次のものがあり、このうち確認できなかったものを赤色にした。
温泉口関所、厠、隧道、荒物屋、火の見ヤグラ、そば處、居付茶屋、水車小屋、居酒屋、炭焼小屋、旅籠屋、紋次郎生家、地蔵堂、土橋、絵馬堂(堂自体はあった)、厠、峠の掛茶屋、荒物店、表関所。不確実なものが道祖神、山之神だった。
おもしろ不可思議ゾーンには怪異現洞、絡繰屋敷、不可思議土蔵があり有料、二つのゾーンの中間にかかわりーな笹沢左保記念館があり入場無料だった。
私は歴史ゾーンとかかわりーな笹沢左保記念館を観たあとで、そば處で山菜そば(6文)とおでん2串(2文)を食べた。急げば藪塚11時3分発赤城行きに間に合ふかと思ったが、ソバをゆでるのに時間が掛かり間に合はなかった。無理もない。平日なので入園者は私だけで、お湯を最初から暖めなくてはならなかった。
1時間余裕ができたので、歴史ゾーンと記念館を再度観た。帰路は表関所から出た。スネークセンターとの共同駐車場を抜けて、スネークセンターの駐車場口は平日閉鎖される。駐車場からすっぽん料理屋の前から、スネークセンターの温泉側入り口に行った。
入口兼売店で一昨年来たがお土産を買ひたいと云って陶陶酒(辛口は29度、50ml、税込192円)をスネークセンター支援を兼ねて買って飲んだ。
二月十日(土)その三二つの勘違ひ
新桐生駅で下車したが、適切な時間のバス便がない。そのまま渡良瀬川を越えて桐生市中心部に向かった。
私は今回の旅行を計画するまで、桐生市は栃木県だとばかり思ってゐた。その理由は、私が小学生のころ、気動車の準急「わたらせ」が午後2時ころ上野駅を発車した。東北本線の小山から両毛線に入り桐生行きだった。
インターネットで調べると高崎行きだが、桐生から先は各駅停車になる上に、高崎行きと表示すると高崎線と間違へるので桐生行きの表示板を付けた。
小山の先だから栃木県だらう。50年間さう思ってきた。藪塚の北は桐生だから、ここが群馬と栃木の県境だと勘違ひしてゐた。
もう一つ勘違ひがある。太田市は中南米出身の労働者が多い。その理由は富士重工があるからだと聞いた。富士重工の工場は宇都宮にあり、下請けが太田市だとずっと思ってゐた。その理由は富士重工の気動車と客車は宇都宮工場で作るので、その他のものもさうだらうと思ったが、太田市内こそ富士重工の中心地だった。
二月十一日(日)桐生市内
渡良瀬川を越えJR桐生駅方面への交差点を左折した。インド料理の店の前で高校生のアベックがメニューを見てゐた。桐生駅前の広場を左手に見たまま右折し、上毛電鉄の西桐生駅に行った。電車はまだ入ってゐないので、そのまま先に進み右折して歴史的建造物街の中心に出るはずだった。
ところが右折が早すぎた。桐生織物記念館を見学したときは間違ひに気付かなかった。見終はり先へ進むと両毛線の高架が見える。ここで間違ひに気付いた。往路で見たインド料理店の向かひ側を歩き、渡良瀬川を渡った道路を歴史建造物街へと向かった。
偶然道を間違へたのは怪我の功名だった。桐生織物記念館を見学することができた。ここと有鄰館は桐生市の産業発展の意気込みを感じる。これまで桐生市には悪い印象を持ってゐた。桐生競艇から一方的に撤退したからだ。しかしこれで好印象を取り戻すことができた。
二月十二日(月)桐生競艇場へ
新桐生駅行きのおりひめバスが頻繁に走る。有鄰館前13時48分がすぐに来るが、歴史建造物街をもう少し観たいのでその次の14時13分にした。それにしても往路の新桐生駅ではなぜ待ち時間が長く歩いたかを調べて驚くべき事実が判った。赤城行きの電車が新桐生に到着するのは12時13分、バスが新桐生駅前を発車するのが12時10分。これではバスに乗るなと言ってゐるやうなものだ。
幸い復路は新桐生駅前までバスに乗ることができた。(完)
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