千六十六 ベトナム関連の書籍
平成二十九丁酉年
十二月十七日(日)
ハノイ旅行から帰国後に、ベトナム関連の書籍を何冊か読んだ。まづは「ハローアジア ベトナム編」。これはベトナムに進出する企業や、駐在する人へのガイドで、楽しく読むことができた。しかし日本に居住する我々にとって特記すべき情報はなかった。
フイ・ドゥック著「ベトナム:勝利の裏側」は最初、アメリカ文化に毒された人が祖国の悪口を並べる内容なのかと、批判的に読み進んだが、途中から客観的に記述された良書だと気付いた。
インドシナ共産党からベトナム、ラオス、カンボジアの三つの組織に分かれる経緯、カンボジアでポルポトが書記長になったこと、ベトナムがシアヌーク国王との共闘をカンボジアに勧めるのにポルポトが拒否したこと、国王追放クーデターで結果としてシアヌーク国王とポルポトが共闘したこと、ソ連や中国の身勝手など興味深く読むことができた。
ソ中対立や、中国の文化大革命は、ベトナムで戦争が行はれてゐるのにその足を引っ張る行為で、労働者の団結が国際間でできなかった理由は、この本には書かれてゐない。私の意見を述べれば、国内でも権力闘争が続発したのに国際の連帯ができるはずがない。決して民族主義の克服だとかの問題ではない。
一言で云へば、労働生産説で権力欲を克服するはずができなかったと云ふことだらう。ポルポトの虐殺は、人類が長い時間を掛けて築き上げた習慣を軽視したことが原因だ。習慣を破壊する産業革命以降を批判するのが共産主義なのに、よりひどく習慣を破壊する側に回ってしまった。
この本は528頁に亘り、書籍は往復の電車内で読むのだが、かばんが重かった。それだけ内容のある本ではあった。

十二月二十四日(日)
ピエール・ルッセと云ふフランス人が昭和四十七(1972)年に執筆した「ヴェトナム共産党史」は、昭和四十九(1974)年に日本語訳が出版された。「はじめに」によると
ヴェトナム人民は(中略)輝かしい一ページを刻みつつある。一方、(中略)<<兄弟諸党>>の裏切り行為は数えきれない。(中略)現在の最左翼組織の大半は、ヴェトナム革命が惹起しえた国際的連帯行動を通じて形成された。

これはフランスの話だが、このことから逆に、日本の新左翼運動が西欧の真似で始まったことが判る。昭和二十年以降の日本社会党結成、産別会議への民同から総評結成に至るまでが世代を超えて生存できる社会への偏移に対する抵抗と定義できるのに対し、新左翼運動はGHQによる偏向情報による影響と私は考へて来たが、新左翼運動は西欧の真似だった一面が判る。
第一章以降はホーチミンの共産主義への傾斜、トロツキストとの対立など、この本の著者は反スターリンなのに逆の書き方なのかなと思った。私自身は、スターリンが粛清と独裁化を誤魔化すためにトロツキストなる語を用ゐたと思ってゐるので、ソ連が崩壊した今となっては何となく素読に終ってしまった。

十二月二十九日(金)
古田元夫さんの「ベトナム世界史」。これは「中華世界から東南アジア世界へ」と副題が付く。前半は古田さんの意見と思はれる民族主義への反対が、ベトナムの少数民族を軽視するキン族として描かれ、相当に偏向した書籍だと思った。
後半を読むうちに良書だと判ったが、米ソの冷戦が終結の後は、日本国内のかつての革新勢力が反民族主義になってしまった。勿論、民族差別やヘイトスピーチには絶対に反対しなくてはいけない。しかし今の日本を見ると、反民族主義を叫ぶことは西洋文明と云ふ民族主義になってしまふ。
世界の非欧米地域で最も西洋化の進んだ日本が、更に西洋化を進めてはいけない。(完)

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