千六十四(その一) 築地本願寺、南千住、浅草、上野
平成二十九丁酉年
十二月十日(日)築地界隈
地下鉄の200円土日券があと6枚ある。そのうち3枚を使って築地本願寺、南千住、上野を廻ることにした。最初は築地のあと上野に行くことを考へた。ところが築地と上野の間は170円だ。そのため南千住まで足を延ばすことにした。南千住から上野も170円だ。だからこの区間は歩くことにした。
上野に行く理由は、松坂屋の南館を立て替へてPARCO-yaが開店し、上野らしさが現れたとマスコミが好意的に書いた。まづ築地では境内を見終って常例布教までに時間がある。そこで場外市場に行った。観光客で大変な賑はひだった。一ヶ月ほど前にニュースで見た火事の跡地はすぐ判った。幾つかの店は近くで営業を続け、その行動力はみごとだ。
築地魚河岸と云ふ二つの三階建てのビルができた。中は路地の店と変はらない。しかし一階が商店、二階は吹き抜けで面積が狭く事務室兼物置か。三回は屋上で飲食場所。店の裏側はフォークリフトの通路と冷凍庫があり、機能的だ。それよりここに店が出来た分、既存店の圧迫にならないか。それとも混雑緩和で逆に観光客が増えるのか。そんなことを考へながら建物を出て、本願寺に向かった。(築地本願寺についてはその二)として独立)

十二月十日(日)その二<隅田川駅
年末に隅田川駅で小荷物のアルバイトをしたことがあった。その後も懐かしく、年末になると隅田川駅の周りを一周するのが年中行事となった。10回ほどしてやらなくなり、しかし都営バス一日乗車券を購入したときは南千住に行くことがよくある。最近では数年前に行った。
今回久しぶりに隅田川駅の周りを一周した。かつて常磐線と日比谷線の線路の真横まで拡がったが、今ではかなり後退しスーパーやホームセンターができた。駅の裏側は昔と道路の位置が変はらない。かつては引き込み線が一本道路を超え、そこに年末は発送サブセンターと称して貨車に小荷物を積んだ。私がアルバイトをしたのは発送サブセンターだった。
運転係(操車担当)が貨車を入線させるのだが、ベルトコンベアと位置が合はない。貨車を皆が手で押して移動させて再連結させることもあった。あるとき助役が、連結されなかったな、と云ふので連結器を見ると失敗だった。慣れると音で判るらしい。あるとき足踏み式のブレーキが食ひ込んで、皆が順番に幾ら飛び跳ねても解除できない。空手何段とかの人が飛び跳ねたらやっと解除できた。
本当の小荷物は道路手前に荷物発着ホームがあり、客車の荷物車が入線した。荷物車と貨車の両方に使へる車両もあった。構内に食堂を見つけ、ここは日通の食堂だった。駅の本屋(中心の建物)にも食堂があり、後半はほとんどここに食べに行くやうになった。
今は引き込み線が無くなり、発送サブセンターを設けた辺りは高層アパートになった。日通の食堂があった辺りに隅田川IPCと書かれた大きな建物がある。都バスで来たときに知ったのだが放置し、今回初めてインターネットで調べると
隅田川貨物ターミナル駅構内に位置し、貨車・コンテナで到着した貨物を直接倉庫に搬入できます。
また、首都高速1号線上野線及び6号線インターにも近く、 首都圏物流拠点として最適な立地です。
(中略)また、余裕のある床荷重なので、様々なニーズに対応可能です。

とある。駅積卸ホーム兼倉庫のやうだ。JR貨物グループの日本運輸倉庫が運営し、地図では裏の道路の脇にも日本運輸倉庫の支店がある。隅田川駅は、客貨車区がなくなり、敷地も多少減ったものの、それほどではない。しかしそれで喜んではいけない。かつて常磐線は北千住にも貨物ホームがあった。南千住は隅田川が近いのでさすがになかったが。小さな貨物ホームは全廃され、大きな駅が残った。丁度小枝がすべてなくなり幹だけ残ったやうなものだ。そんなことを考へるうちに、昔の都電南千住車庫の跡に出た。都電はここでループ(道路から車庫に入りぐるっと回って折り返した)線に入った。私は旧都電の路線に沿って歩き始めた。上野に向かふために。

十二月十日(日)その三浅草から上野へ
南千住から少し歩けば地下鉄の三ノ輪駅に至るはずだ。泪橋を過ぎて2000円台の安い旅館が続く旧都電通りを歩くのに、いつまで経っても見えてこない。ここであることに気付いた。上野に行くには日光街道をあるかなくてはいけない。昔の都電で云ふと21系統(千住四丁目-水天宮)だ。それなのに歩いたのは昔の都電で云ふと22系統(新橋-南千住)。
予定を変更して浅草に行くことにした。東武浅草駅の入るデパートを見て、仲見世から浅草寺を見た。仲見世は賃料が安いからみやげ物店など独特の雰囲気になった。賃料を周辺の不動産並みなんて話が浅草寺から出てきたらしい。今の賃料だと出店者は大儲けだらうから、少し上げるのがよい。
浅草寺はすごい人出だから参拝せず、奥山を経由して木馬亭の1月浪曲定席の出演表を見て、更に歩くと東本願寺に至った。お参りし、またいつか法話を聴きに寄りたいと思ひつつ上野駅の手前で、我が家のお墓参りもしようと思ひ立った。
もともと南千住から上野に歩く途中でお墓参りをする予定だった。地下鉄銀座線の車庫への踏切の手前に龍谷寺と云ふ都心では珍しく雰囲気のよいお寺を見つけた。三門の左に「豊川稲荷霊場」、右に「曹洞宗龍谷寺」と書いた木の札が掲げてある。しかし工事の車が出入りし中は人がゐない。
外に出ると三門のずっと右側に何々地所と書かれた札がある。差し押さへられたのかと早合点した。
翌朝インターネットで調べると、雰囲気のよいお寺と云ふのが衆目の一致するところだ。或いは建て替えかも知れない。電話番号を調べてお寺に電話を掛けたところ、屋根の吹き替へ工事だった。ひと安心した。

十二月十一日(月)上野PARCO-ya、南千住汐入のバス
お墓参りを済ませて上野のPARCO-yaに行った。店内は最近流行の洋風店舗で、あまり関心はなかった。私の年代だと、松坂屋のやうな百貨店にはなじみがある。その後に表れた洋風の店は共通点がない。最上階のレストラン街は確かに上野の雰囲気がある。マスコミの報道と比べてがっかりした。

南千住の話題を一つ書き忘れた。昔は上野松坂屋前から南千住汐入行きのバスがあった。泪橋を過ぎて都電の南千住終点を右折し、隅田川駅の横の道を通ったあと汐入橋を渡り、隅田川駅の裏の道より更に一本奥の道を時計周りに進み都立航空高専の先が行き止まりで汐入終点だった。私がこのバスに乗ったのは、小荷物のアルバイトの帰りににわか雨が降った。だから横の道まで歩き、ここから上野松坂屋前まで乗ってあとは国電(と云ふ名称が昔はあった)で帰った。途中、吉原大門と云ふバス停があり、樋口一葉の小説に出て来る大門はここなのかと思った。
今は汐入地区の区画整理が行はれ、道路が変はってしまった。バスは汐入橋の跡を直進して高専、そのあと反時計回りに南千住駅前に至る。高専の位置も移動したのかも知れない。(完)

メニューへ戻る 前へ (その二)へ