千六十四(その三) 二百円土日券最終回(要町、池袋、神明町)
平成二十九丁酉年
十二月二十四日(日)
要町に、或る人のご厚意で改築中の小さな木造共同住宅を見に行った。昭和三十年頃の建築だらうか。それでも電気の配線はFケーブルだった。碍子(がいし)ではないですね、前回の物件は碍子でしたと、家主の方と話が弾んだ。土壁は柱に対し耐震効果があるさうだ。
西武デパートのレストラン街で昼食を食べた。12時前なのにどの店も混雑してゐた。やっと空いた店を見つけ妻とカキフライランチを食べた。食べ終はるとここも店の外は5組ほど待ってゐた。ここで妻と別れた。
久しぶりにサンシャイン、私が昔勤務したコンピュータ専門学校跡を見た。校舎はそのまま残り、福祉専門学校とそれが設立した福祉系大学の校舎になって久しい。すぐ近くに東京都住宅公社があったが、ここも東京都池袋労働情報相談センターになって久しい。かつての労政事務所のことだ。
今回池袋に寄ったのは、豊島区役所のビルが評判なのでそこに行くためだった。旧区役所の周囲を探したが見つからず、派生的にサンシャインと専門学校跡に行った。
やっとの思ひで豊島区役所を見つけた。よい設計だ。武蔵野台地に位置する豊島区の自然環境と水系の模型は壮観だ。柵外の景色も素晴らしい。

十二月二十七日(水)
地下鉄の200円土日券が3枚あり、往路で一枚使用した。二枚目で千駄木まで行き不忍通りを歩いて神明町都電車庫跡公園に行った。6000系と乙2を見るためだ。乙2は運転台横の出入口の木が朽ちて床に落ちてゐた。貴重な車両だ。早急な修理が望まれる。
帰路は「よみせ通り」を歩いた。商店が減り、住宅や観光客相手のみやげ物店、飲食店が多くなった。谷中銀座から北側はかなり寂れた。南側はかつて交番跡までがよみせ通りで、そこから先は倉庫と民家しかなかった。よみせ通りを今回歩いて気付いたのは、交番跡から先にホテル、商店ができて栄えてきた。千駄木駅から歩く人が多いためだらう。

そのままへび道と呼ばれる文京区と台東区の境を歩き、藍染大通りを左折して2本目の道で根津駅に行った。この道はほとんど歩かないためだ。こんな狭い路地にも観光客向けの店ができた。
結果として神明町車庫から根津宮永町まで旧都電の停留所七つ分を歩いたが、千駄木から乗ると渋谷まで240円のためだ。200円土日券の旅行はそれなりに難しい。(完)

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