千五十(その二) ハノイ訪問記、外伝
平成二十九丁酉年
十一月十九日(日)羽田空港
今回の旅行は、台湾に行くはずだった。妻の妹一家と我が家で台湾に行く話がまづ出てきた。ところが参加人数がだんだん少なくなり、双方合はせて四名になった。私はもともと人数合はせ要員で、それは一人部屋だと追加料金が掛かるためだった。四名だと丁度合ふので、私は行かないことになった。
その代はりに一人でベトナムに行くことにした。前回ホーチミン市で、ぜひハノイにも行きたいと思ってゐたので丁度よかった。

航空機は羽田発着なので便利だ。蒲田から京急蒲田まで歩くのは面倒なのでバスを用ゐた。運賃は280円だが釈然としない。都区内の路線バスは200円または210円だからだ。
かつて羽田空港まで都区内の運賃と同じだった。台湾に旅行の時、3月末に出発して4月初めに帰国した。帰りはバス代が10円高い。たまたま4月1日が運賃改定日だった。
この当時の国際線は中華航空のみ。中国と台湾の航空機が出会はないための配慮だった。この当時の国際線は日航ホテルの向かひに小さな建物があった。いざとなったら日航ホテルから歩けばよいから、付加運賃を取れるはずもなかった。
ここ10年ほど行かないから判らないが、今でも自転車で国際ターミナルや国内ターミナルに行けるはずだ。空港付近の交番の前に自転車を止めて道を尋ねたら、自転車で空港まで来れるのかと逆に質問された。
自動車専用道路を走る訳ではないのに付加料金を取るのはひどい。或いはモノレールや京急が割増料金を取るから、金額に大きな差が出ないための処置かも知れない。

十一月二十一日(火)往路の機内
往路のベトナム航空の機内で、眼前の画面を選択して「花戦さ」と云ふ日本の映画を観た。古い映画なのかと思ったら今年六月の封切りだった。話の筋は面白かったが、脚本演出が悪い。花の解説を一言二言幼児にさせてはいけないし、秀吉の前で生け花の樹木が倒れたときの主役の表情が滑稽過ぎて、真剣さに欠けるし、秀吉家臣の笑ふタイミングが遅すぎる。ホームページを見ると「秀吉や利休など超有名人の眼前でも権力には全く興味なし! 花をいけることのみが彼の至福なのだ。」とある。前半は演技に表れたが、後半が出なかった。
画面で航路と現在位置と、地上の風景(予め写真に撮ったもの)を見ることもできる。これは便利だ。中国大陸の奥地を飛行した。隣二人は若い男女なので兄弟或ひは留学仲間かと思った。食後に女性が席を立ったあとで若者に訊いたところ、この人は留学中で帰省のため、女性は他人ださうだ。この女性は日本語を話さないが、私がイヤホンを挿しこむ場所を探すと画面を指さすなどしてくれた。

十一月二十二日(水)「粤」の字
レ・タイ・トー廟に「粤」と書かれた旗があった(写真)。中国広東省の意味だ。下部にvietとあるのでベトナムは「越」ではないかと、帰国後に調べたところ、粤と越はどちらも日本語読みではエツで、広東省を指す。なるほどベトナムは越の南で、越そのものでは無いことを忘れてゐた。

--------------------------ここから(歴史の流れの復活を、その三百十四)----------------------------------
十一月二十三日(木)日本とベトナムの共通性と相違
日本とベトナムは、どちらも勤勉で性格が似てゐる。さういへばトンキン(東京)の地名も同じだ。トンキンはトンキン湾事件(アメリカの駆逐艦に当時の北ベトナムが魚雷2発を発射したとして、北爆を開始した。しかしアメリカの自作自演だった)で有名になった。ここまではハノイで思った。帰国後に調べると、現在はバクボ(北部)湾と呼ぶが、これは日本の東京湾との混同を避けるためと云はれてゐる。尤も日本の東京が使はれるやうになったのは明治維新の後だ。
日本とベトナムは、アメリカ、中国と戦争をしたところも似てゐる。しかし世界に与へた影響は正反対だ。アメリカは日本が戦争を仕掛けるまでは、それほど海軍力があった訳ではない。しかし開戦の後は、軽空母や仮装空母や大量の航空機を造り、あっと云ふ間に世界最大の海軍空軍国になった。中国も日華事変のときはそれほどの陸軍力ではなかったが、国共内戦を経て世界最大の兵力に至った。
日本はロシアとも戦争をした。その結果、ロシアでは政情が不安定になり第一次世界大戦の最中に共産主義革命が起きた。まだある。朝鮮半島を併合するから戦後は南北に分かれ、今は北が世界平和の脅威になった。日本が戦争をすると、そのあと必ず世界平和に有害な現象が起きる。
ベトナムがカンボジアのポルポトを攻めたのは、常識で考へれば世界平和と人道主義への多大な貢献だ。あれでポルポト政権は倒れたのだから。ところが当時の世界はさうは考へなかった。無理やりベトナムが悪いと結論付けた。ここまではハノイで考へた。
ベトナムと日本のこの差はいったい何か。ベトナムは祖国の独立のために戦った。日本は日露戦争が終ったあと帝国主義側に行ってしまった。日露戦争が原因で、ロシアに共産主義革命が起きた。それのどこが世界平和に有害なのか。それは米ソ冷戦と云ふ平衡状態がソ連崩壊で崩れることにより、資本主義優位即ち地球温暖化による地球滅亡路線に入ってしまった。
(歴史の流れの復活を、その三百十三)へ (その三)(歴史の流れの復活を、その三百十三)へ
-----------------------ここまで(歴史の流れの復活を、その三百十四)----------------------------------


十一月二十四日(金)帰路の航空機
帰路の航空機は、航路と現在位置を観ようとしても「利用できません」のメッセージが出る。音楽を聴いたが時間が余った。少ない時間だったが往路と同じ「花戦さ」の一部分を見るうちにイヤホンを回収し、着陸準備に入った。

十一月二十六日(土)二泊一日の旅
今回の旅行は、ホテル到着が夜9時過ぎ、ホテル出発が朝6時なので、二泊一日の旅だった。
かつてJRに指定席往復割引切符と云ふものがあり、B寝台車に乗れるものもあった。東京から北九州市内、福岡市内までは34680円、横浜からは34080円だった。金曜は出勤のあとこの切符を使って旅行し、日曜夜の夜行で東京に戻り、月曜は出勤したことを何回かした。ホテルが4000円だと四万円。
今回は一人部屋、朝食と往復の機内食付き、空港からホテルまでの往復送迎付きで五万五千円だから、距離を考へればお得だ。滞在が一日だと着いた日も翌日も実に気楽だ。このやうな旅は悪くない。(完)

メニューへ戻る (その一)へ (その三)(歴史の流れの復活を、その三百十三)