千三十六(その五十五) 1.希望の党の敗因、2.首班指名
平成二十九丁酉年
十月二十七日(金)
希望の党はマスコミ対策で負けた。これが敗因である。小池さんの「全員受け入れるつもりはさらさらない」発言は膨大な発言数の中のたった一つだ。それでもマスコミは逃さなかった。この発言以外にも「排除」「選別」「踏み絵」が毎日のやうに繰り返され、希望の党を失速させた。
日本の新聞社を分析すると、まづ産経新聞は新聞ではない。偏向を通り越して産経非新聞と改称したほうがよい。読売新聞は自民党に限りなく近い。朝日新聞は立憲民主党に限りなく近いが共産党寄りの部分もある。毎日新聞と地方紙の多くは朝日新聞ほどではないものの立憲民主党寄りだ。つまり希望の党はすべての新聞から攻撃されてしまった。
私がマスコミの急変に気付いたのは十月一日だった。だから十月二日の朝には人気急落を心配した。日本のマスコミを批判しても始まらない。もしすべてのマスコミが産経非新聞みたいだったら日本国内は十年で大混乱に陥る。もしすべてのマスコミが読売新聞みたいだったら安倍みたいな首相が続出して大変なことになった。二系統に分かれたことは幸いだ。
十月二十八日(土)
今回マスコミが反希望の党に転じた兆候を見逃がしたことが敗因になった。とは云へ、これは民進党分裂に伴ふ一過性の出来事だ。次からはこのやうなことはない。だから希望の党は保守主義で自民党を攻撃し、一方で国民ファーストの立場を守る。前者で読売新聞を取り込むとともに、後者で朝日、毎日、地方紙を取り込むことができる。
間違っても小池さんが悪いだとか犯人捜しをしてはいけない。若狭さんは若い(私より一歳下)のだから引退せず、次もがんばったらよい。
十月二十九日(日)
第一党から首相を選ぶことは、良いことだ。議長は全会一致で第一党から選ぶのと同じだ。さて自民党の党則第五条の2によると、総裁に事故があるときは副総裁が総裁の職務を行ふとある。
安倍は丁寧な説明の約束を反故にし、憲法に基づく国会開催請求を無視して冒頭に解散した。更にお友達の経営する大学の獣医学部新設を知ったのは今年1月20日だと発言した。つまり殿ご乱心の状態にある。これは総裁に事故がある場面だから、各党が高村さんに投票することは道理に適ふ。(追記、高村さんは非議員だったので30日参照)
その一方で、首相に事故あるものと考へて旧内閣の副総理格だった麻生さんに投票することも、これまた道理に適った方法だ。票が割れるといけないので、立憲民主党と希望の党は双方調整の上で、自民党の細田派を除く各派と秘密裏に協議し、高村さんまたは麻生さんに投票するとよい。
投票前に共産党などにも呼びかける。全党一致で首相が決まるなんて美しい。嘘つき放題堂と化した建物を、国会議事堂に戻すことが出来る。なほ全党一致とは、全政党の多数意見が一致することだ。自民党細田派が造反してもそれは誤差範囲内だ。おそらく細田派も安倍に近い少数を除いて、党内多数に従ふことだらう。
十月三十日(月)
高村さんはシンポジウム「トランプ時代の日米同盟」で講演されたので言及したのだが、七十五歳なので今回の衆議院選挙に立候補しなかったさうだ。講演では年齢をまったく感じさせなかった。
高村さんは旧山東派の所属だったが副総裁のため派閥を離脱した。旧山東派は麻生派と合併したから、総裁ご乱心のときは高村さんが職務を行ひ、首相については麻生さんに投票するやう党内に徹底する。ますます麻生さんの出番となった。(完)
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