千三十六(その五十四) 立憲民主党、希望の党の今後の戦略
平成二十九丁酉年
十月二十六日(木)
立憲民主党と希望の党の野党並立について、二つの史実を思ひ出す。と云ってもどちらも私が生まれる前の話だ。まづ日本社会党が左右に分裂し、選挙のたびに議席を伸ばした。特に左派社会党の伸びが著しく、しかも左右が再合同した。脅威を感じた自由党と日本民主党までが合同し自由民主党になった。私が生まれる前年(昭和三十年、1955)のことだった。

もう一つは、未遂に終った昭和六年(1931)の三月事件だ。陸軍が社会民衆党(戦後の日本社会党右派に繋がる)と共同し、民衆が国会を囲み、陸軍が出動して内閣を辞任させる計画だった。
違法だが無血クーデターだから当時の社会情勢を見ればやむを得ないのかも知れない。表面は合法だが実態は不正な森友学園、加計学園の事件よりはましだ。社会民衆党を立憲民主党、陸軍を希望の党に置き換へると今後の戦略が見えてくる。

まづ安倍内閣での改憲は絶対に阻止しよう。こんな男に憲法を改正されたとあっては後世の笑ひ物だ。その前提で立憲民主党は左から自民党を攻撃し、希望の党は右から攻撃する。立憲民主党と希望の党は、過去を水に流して互ひに信頼し、連絡会議を毎週開催する。それぞれの立場を尊重しながら連携すべきだ。
左派社会党、右派社会党の時代は中選挙区だった。今は小選挙区だ。だから次の選挙では選挙協力が不可欠だ。

十月二十七日(金)
社会党は左右に分かれたままで活動すればよかった。合同するから、党内の左右対立にエネルギーのほとんどを費やすことになった。立憲民主党と希望の党は別々に活動すべきだ。しかし連絡会議を定期的に開いて、選挙の時は重複立候補せず協力すべきだ。

今回賞賛すべきは共産党だ。議席を減らしたが、立憲民主党の躍進に貢献した。単独過半数を取れるなら議席は気にするべきだ。取れないのなら議席より他党の信用、国民の信頼を勝ち取るべきだ。共産党が今回の選挙で得たものは失ったものより大きい。

十月二十七日(金)その二
社会党からもう一つ学ぶことがある。社会党は立候補者を使ひ捨てにした。今回、希望の党から立候補した人たちは、原則として次回の選挙でも立候補する。そのやうな方針を立てるべきだ。

抽象的な党名はブームが長続きしない。新進党、太陽の党、民進党、維新の党、全部さうだった。希望の党は希望実現党なら合格だ。しかしこれだと幸福実現党にそっくりだから、希望完遂党など結果を表す語を入れるべきだった。
しかし今は党名変更の時ではない。今変へたら余計に批判される。勢ひを取り戻すには、次回の選挙は原則今回の立候補者を立てることを発表し、人生の再挑戦を応援する政党をアピールする。
次に立憲民主党と常設の連絡会議を設けて、これもアピールする。もう一つ、奥の手がある。自由党と合併し小沢さんを代表にするとサプライズで人気が回復する。この際になら党名を変へることもできる。

十月二十八日(土)
保守主義、自由経済主義、労働者の三つは鼎立であって、一直線ではない。昭和五十年代まで自民党ハト派だった三木派は日本民進党だし、その前は改進党、更にその前は国民共同党だった。自民党内タカ派の福田派、中曽根派も日本民進党だった。
保守主義と労働者の二つにとり、近いのは自由経済主義ではない。互ひに近いことも自覚するとよい。自民党は保守主義と自由経済主義の混成だったが今はお友達優遇の変な勢力、希望の党と自由党が合併して保守主義、立憲民主党が労働者。二つの政党が連絡会議を常設すれば鬼に金棒だ。(完)

前、(その五十三)へ 次、(その五十五)へ

メニューへ戻る 前へ 次へ