三千三百四十二 物語(良寛和尚同郷の神仏信仰者)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
十月二十五日(日)
はじめに 同郷
良寛和尚の同郷で、有名な神仏信仰者と云へば、牧口さんだ。日本で最大の活動信徒数を持つ団体の初代会長なので、熱狂的な賞賛意見しか存在しない。
批判意見が無いのは、既に過去の人となった。これは逆に、寂しいことだ。同郷の百十三年後輩を後世に残す為、公平に批評することにした。後輩なのに「さん」付けなのは、すべての人は仏性を持つと考へるからだ。曹洞宗では、挨拶の時に合掌する。
心にはすべて仏が宿るとも努めざる人役には立たず
第一章 布教が行き詰まる宗派
牧口さんは、田中智学の講演を聴いた。国柱会が講習会を開いた北山本門寺を訪問した、とするインターネットもあるが、一次資料は確認されない。或いは、誤情報かも知れない。
そして、北山本門寺とは兄弟寺だった別の本山の信徒になってしまった。田中智学の講演が影響したことは、間違ひない。とは云へ、この本山は七百年間に兄弟寺とは大きく異なり、鎌倉教祖本仏論や貫首無謬論など、特殊化した。これでは、いつか限界に達する。
分かりやすい例を挙げると、イギリスの労働党と似た政党なら、支持が集まる。一方、カンボジアのポルポトみたいな政党では、誰も投票しない。
小さきヶ飲み込まれずの為に在る枠を外れた教へヶ障り
第二章 後継者の間違ひ
牧口さんは、神札の受領を拒否した。弾圧を怖れる本山は慌てて牧口さんを呼び出し、管長と元管長が説得したが、牧口さんは拒否した。本山は、牧口さんらを本山参詣禁止処分にした。まもなく特高警察に逮捕され、獄死した。
ところが戦後、後継者は本山にすべて従ふ路線に変更した。元管長は、他宗からも評価される古文書の専門家だった。しかも独身を貫いた。それでも牧口さんが拒否したのに、後継者は本山には恭順する路線に変更した。
これは数十年後に、後継者の後継者が本山から離脱する伏線となった。
第三章 人数の少なさから分かること
あの宗派は、排他性が強く、他の宗派を一切認めない。さうなったのは、明治時代の宗派独立以降で、その前は北山本門寺が火事になった時はお米をお見舞ひに送ったりした。
牧口さんは、このままだと国が亡びる、として布教に尽力した。しかし元の人数が少ないので、たかが知れてゐる。牧口さんは、同じ鎌倉教祖を信仰する、国柱会や霊友会、大日本立正佼成会などの合計で人数を増やさうとしたのだらう。
第四章 御利益はあるか
微小勢力のときは、御利益があったかも知れない。微小勢力を伸ばすことは、主張内容にも依るが、一般には世の中の為になる。大きくなってからは駄目だ。信徒団体が離脱して微小勢力に戻っても、堕落した人心は、百年経たないと元には戻らない。
牧口さんは、国が亡びるのを憂へたのであり、個人の御利益を求めたのではない。それは、戦後に後継者も同じだった。だから「国士訓」を発表した。とは云へ、布教目標を掲げるので、上も下も御利益を前面に出すことになった。
以上が、良寛和尚の調べた内容だった。鎌倉教祖の教義に詳しい石原も、感心するばかりだった。(終)
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