三千三百四十三 飯田利行「定本良寛詩集譯」から法華讃を読む、続編
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
十月二十六日(月)
飯田利行「定本良寛詩集譯」を再度借りて、法華讃を読んだ。今回は、坐禅宗の立場と、それと異なるものとの、対比を調べた。まづ序品の
不覚にも、弥勒菩薩が、釈尊の法力について文殊菩薩に質問を呈したことよりして、(中略)幾多の宗派が、この娑婆に現出してしまったのである。
良寛和尚は不立文字の立場から、初期仏法は教義が複雑化するとの立場から、同じことを提唱する。
日月も法華経の光明も、もともとめでたい仏の光明のすがたをこのように呈していたのである。
これも、同じ。次に方便品に入り、その下に書かれた「欲與失奪」とその書き下し文「与へんと欲すれば失奪す」について
法華一乗の法を人に説いてあげようとするならば、かえって本具の仏性を失い兼ねないこととなる。
その次に良寛和尚が作った詩でも
釈尊に(中略)説法のためにお出かけを願う必要がなかったのだ。---汚れた水を頭めがけてぶっかける。それは法を聞くもののはからいごころを覚醒させるためである。
これも同じ。
衆生は、仏性を具有して(救われて)生まれてくるのである。だから釈尊が(中略)救われた者に説法したので大そういわれのないようにもみられる。
これも同じ。その次はまづ
諸仏の説法は、凡夫の思慮分別のとうてい及ぶ所ではない。坐禅をもってしても(中略)できない。
と、一見正反対を宣べたやうに見える。しかし後半で
法華経の真実の意味を問う者があれば、一切の諸法は(中略)ただ実相の当体そのものである
と、大逆転する。ところが四つ先の詩では
実相を踏まえて自覚すれば、何も坐禅の修行をまつまでもなくおさとりを得ていることになる
この書き下し文は「何んぞ兀々をもつて、鬢を霜と成さんや」なので、飯田さんのやや勇み足かな。小生は「鬢が白くなるくらい努力を重ねる前におさとりを得る」くらいにする。次の詩も
諸法実相を体得すれば(中略)坐禅もまたいらぬものとなるばかり。ために何処で六根の煩悩の根源を正常にするか、などと意を用うる必要もなくなってくることとなる。
書き下し文は
知らず、何れの処にか、二三を度せん
解説に正法眼蔵の
六根はたとひ眼耳鼻舌身意なりとも、かならずしも二三にあらず、前後三三なるべし
を載せる。三三は、五台山て僧の質問、ここには僧がどれだけゐるか、に対し文殊菩薩が「前三三、後三三」と答へた、つまり前方と後方に無限ゐる、に因み「六根を渡り、無限に至る」がよいのでは。ここも飯田さんの、勇み足かな。
十月二十八日(水)
方便品の二回目は、三乗が一乗に統合される話だ。但しこれは、法華経がさう云ふだけで、小生は声聞と独覚しか存在しない、とする釈尊在世当時の、複雑化する前の立場だ。また、坐禅宗は不立文字なので、独覚しか存在しないとも、釈尊や歴代坐禅宗の古文書を参考にするので、声聞も存在するとも、考へられる。
衆生を法華の一仏乗に帰投せしめようとした頃に、釈尊は入滅に近づく。釈尊は成道後、華厳経を説かれたが、その真意を理解する者がいなかったので、方便をもって三乗経を説いた。(中略)法華一乗の法の玄理は、諸法実相そのもの(中略)宇宙の真理として存在していたものであるが、それを釈尊が出て説いたので、いわば雪上に霜を加えたようなものである。
二番目の中略以降は、大賛成。次の詩では
法華一乗の法を方便で展開して三乗経と説けば、春になり楊柳がいよいよ翠を増してくるようなもの。また三乗教をもって一乗の教に帰投させれば、梅花の香りがいよいよ芳しく匂うようにも譬えられる。(中略)衆生の悩みをもって我が悩みとなして流す釈尊の涙こそ真実なりとお答えしよう。
飯田さんは、「愁人」を釈尊と解釈した。小生は、良寛和尚自身だと思ふ。詩に付けられた短い不定形文で
悩める人が、悩める人に向って悩みごとを打ちあけてはいけない。そうすればするほどに、悩める人の悩みをいや増さしめることになるだけだからである。
前半の書き下し文は「愁人、愁人に向つて説くことなかれ」なので「悩める人が、悩める人に向って説法してはいけない」がよくないか。良寛和尚が説法をしない理由は、ここにある。次の詩では
童子が、遊びに沙(いさご)をあつめて仏塔を作るといったことも、すでに仏道を成じている証拠である。
これは大賛成。比喩品に入り
舎利弗等が、法華経の玄理を会得する前の二十年間というもの(中略)あるいは坐禅をし、あるいは経行をして難行苦行した。
小生は「良寛和尚が、あるいは坐禅をし、あるいは経行をして、悟らなければと苦辛した」とする。その次の行で「法」を飯田さんは法華経と訳すが、小生は「悟りそのもの」とした。飯田さんは、法華讃を訳さねば、と法華経を贔屓にし過ぎた。そのあと三つの詩で、比喩品を終へる。次の信解品は、経文をそのまま詩にしたものなので省き、薬草喩品は、詩が一つのみ。その前文は
父なる一仏乗と、子なる二乗、ともに(以下略)
書き下し文は「子は父を證となし、父は子を證となす」なので、薬草喩品に特化し過ぎる。薬草喩品は、、小草を人天、中薬草を声聞縁覚、大薬草は声聞のうち作仏を目指す者とするので、経典を参考に訳した。小生は、そもそも不立文字、雪上の霜だから、気楽である。人それぞれに応じて、延びる到達点が異なる。しかしそれは、諸法実相だ。どうでもよいではないか。とは云へ、努力は常に怠ってはいけない。それは後文の
釈尊は、ただ一乗の法をお説きなされたが、衆生は、それぞれの類に応じてそれぞれの法沢として受けとめる。
にも現れる。書き下し文は「仏は一音をもつて説法を演じ、衆生は類に随つておのおのの解を得」なので「仏は三学をも以ちて実践し、衆生は(以下略)」
小生は、飯田さんに心からの敬意を持つ。曹洞宗僧侶であり駒沢大学(及び、専修大学、二松学舎大学)教授にも関はらず、漢文の専門家として、法華経に忠実である。
十月二十九日(木)
授記品は一首のみ。前文に対し
無駄骨を折って馬鹿なめにあう。世俗のはからいごと(授記を期待する)をすべて放捨して仏道に専心すること。
「世俗のはからいごと」に「授記を期待する」は大賛成だが、「銭を失ひ罪に遭ふ」からは出て来ないのでは、と思ひ、授記品だと気付いた。本文の
本具の仏性に気づかずに、ひねもす経文の言葉に身心を労している(以下略)
「ひねもす経文の言葉」にも大賛成。不立文字の面目躍如である。詩の後書きについて、飯田さんが不風流を
授記つまり修行すればやがてさとりを得るであろうと期待をもたせることを期待しない世界
としたのは、卓見である。良寛和尚の「風流ならざる処もまた風流」が活きる。
良寛老師の詩
利行老師の解
法華経の粗筋
三つを合はせ三学が進む
反歌
老師とは曹洞宗の僧を呼ぶ敬称にして二人を高く(終)
兼「良寛和尚と南伝仏法を尋ねる」(二百六十一)へ
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