86、チベット問題の本質(4)
平成ニ十年
五月十九日(月)(密教)
昨日は川崎大師に弘法大師降誕奉祝会を見物に行った。「密教の仏」展を拝観した。弘法大師は竜猛(竜樹)から八代目であることを初めて知った。日本の真言宗は初期密教、チベット仏教は後期密教で兄弟関係にある。
五月ニ十日(火)(権力老イ易ク善政成リ難シ、一寸ノ光陰軽ンスヘカラス)
建国当時の新中国は、思考が柔軟で民族政策も立派だった。しかし権力はすぐに腐敗し硬直化する。毛沢東も豊臣秀吉と同じ道を歩んだ。
欧米式普通選挙の利点は権力に制限を加えることである。それでは共産主義国は今後どのようにしたら良いだろうか。
五月ニ十一日(水)(欧米式普通選挙に勝つには)
欧米式不通選挙は、善政を目指す人より高収入や高い地位を目的とする人が当選する。共産主義国はこの欠点を突けば勝てる。共産党幹部は低賃金でなくてはならない。高収入を目指す人は実業へ、善政を目指す人は共産党へ。2つの道が必要である。
実業は常に鍛えないと存続できないが、政府機構はぬるま湯につかっている。共産党幹部はどんどん下放し人員を常に入れ替える必要もある。民間のほうが給料が高ければこれも可能である。
共産主義国は資本主義国に刺激と競争を与える貴重な存在である、と世界が認めるようになってもらいたい。
五月ニ十ニ日(木)(労働の再定義を)
化石燃料の消費で成り立つ資本主義は永続できない。一方の共産主義も西洋文明の範疇にある限り永続できない。沈んでゆく地球丸という船中で士官船員と下級船員が対立しストライキをしているに等しい。
人類が永続するには労働を再定義する必要がある。労働とは太陽光を用いて二酸化炭素から炭素を固定することと、炭素を食物として運動エネルギーに変えること及び炭素を酸化させる際に発生するエネルギーを制御することである。後者には牛馬の使役も含まれる。
五月ニ十三日(金)(日本の特務機関員が見たチベット)
西川一三氏という日本の特務機関員が大東亜戦争中に内蒙古とチベットに潜入する「秘境西域八年の潜行」という書籍がある。西川氏は蒙古語、中国語、チベット語が堪能で蒙古人のラマ僧となり、チベットではイシ・ラマの弟子となり、公私とも大変に面倒を見てもらった。終戦後イシ師に嘘を言い別の日本特務機関員と西康省へ視察に行き、その後もイシ師から戻ってくるよう手紙を貰い、涙ながら読んだというほどの親チベットである。その西川氏がチベットを厳しく批判している。
- 外見は仏教都らしい信仰に満ちあふれていることを肯定するが、(中略)ラサほど道徳が乱れ、風紀が紊乱し、ただれきった汚い街は、世界にもないだろう。
- 彼らの仏教の信仰は、ただ形式的信仰にほかならないのである。(中略)彼らの間には、道徳などひとかけらもないのである。
- まず貴族の家を訪ねてみよう。(中略)政府の首脳部である彼等は、小作人、民衆の利益のために働くということより、どうして彼等から少しでも多く搾取しようか、ということしか考えないのである。
- 世襲制度で、貴族出身であれば、どんなぼんくらでも高官につける彼等は、一般民衆やラマの中に自分より学問、思想方面に傑物が出れば、不法、不道義でも、理由もなく権力を以て圧迫し、葬ろうと努める。
- こちらが正しいことでも、それを受け入れようとしない無法者のチベット官憲は、支那官憲に捕われる以上に危険であることを、感ぜずにはいられなくなってきた。
- 政府内の貴族、高僧の指導者間にも派閥があり、相互に時の権力によって相手方を、闇から闇へ葬むる、醜い闘争も常に繰り返されていた。
- 民衆を護ってくれるべき兵隊も、民衆にとっては怖しい存在であった。一度チベットに暴動が起これば、民衆は暴動より、これを鎮圧に出動した国の兵隊から受ける被害が大であることを昔から知っている。兵隊たちは、暴動の鎮圧はどうでもよく、どうにかしてこの際自分の私腹を肥やそうということに窮々としている(以下略)
- 中共軍による、封建制打破への開放戦は、チベット民衆に幸いをもたらしたことであろう。
西川氏は特務機関員だから中国側に捕らえられれば死刑であろう。その西川氏がチベット官憲は支那官憲より危険、中共軍はチベット民衆に幸いをもたらした、と言っているのだからダライラマの政治がいかにひどかったかが判る。
五月ニ十四日(土)(欧米の猿真似はやめよう)
今回の騒動は欧米だけが騒いでいた。中国の楊外相が「アジアの中でこの件で注文を付けてきているのは日本だけだ」と述べたのは当然であった。
日本人はアジアに目を向ける必要がある。新聞は欧米の反応ではなくアジアの反応を伝えるべきだ。西洋文明は地球温暖化とともに過去のものとなった。石油を浪費して西洋に貿易や旅行をすることは許されない。これからはアジア文明の時代である。
西川氏は次のように書いている。
- 「どんな奴だろう」と心配していたチベット人も、私たちと少しも変わらぬ東洋人でだった。西洋人との接触では、感じることのできぬ、親しさ気軽さといおうか、血の繋りとでもいおうか、なんとはなしに近づきやすいものを受け(以下略)
五月ニ十五日(日)(欧米文明帝国主義に反対しよう)
欧米文明が流入して以来、アジアは戦争の連続であった。まず欧米がアジアのほとんどを植民地にした。次に欧米の猿真似をした日本が残った地域を侵略し同じくこの地域を狙っていた欧米と激突した。戦後は米ソ対立がアジアに持ち込まれ朝鮮戦争やベトナム戦争が起きた。アジアはもっと西洋文明に対して怒りの声を上げてよい。
ここ10年ほど日本では、アメリカの特務機関と連携したのではないかと思うような連中が英語英語と九官鳥のように繰り返している。山口瑞鳳氏は著書「チベット語文語文典」で次のように述べている。
- 従って、従来のチベット語文法のように、主として印欧語を理解する立場に沿ってチベット語を分析して他の言語に置き換える型の記述は試みなかった。
アジアは英語で交流してはならない。それではアジアどうしが交流することにならない。
五月ニ十六日(月)(五族協和)
中国の河北省に居庸関という関所跡がある。元の皇帝が700年前に旅行者の安全息災を祈って石の門を建てた。門の中には梵、漢、モンゴル、西夏、チベット、ウイグルの文字でお経が書かれている。各民族がこの地を平和に往来する光景が瞼に浮かぶではないか。西川氏も「秘境西域八年の潜行」で場所は異なるが次のように書いている。
- 祭りの当日は(中略)廟からリュースルの街にかけては各種各様のタングート、蒙、漢、回、蔵族の老幼男女、それにまじったラマと、人の波で埋めつくされてしまった。
西洋でも以前は各族が平和に暮らしていた。民族対立を持ち込んだのは石油消費文明である。学校やマスコミ、議会の登場で民族ごとに国家を目指すことになり大混乱となった。旧ユーゴスラビアでは大混乱が今でも続いている。
五月ニ十七日(火)(石油消費文明以前のアジアを出発点に)
石油消費文明はまもなく終焉する。アジアは西洋文明が入る以前を出発点として、現在の経済を石油を消費しないことで沈静化させ両者の統合点に向かう必要がある。
そうすれば野生生物と人類は永続できる。チベット問題も西洋文明が入る以前に戻れば簡単に解決する。
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