51、天皇存続のために(八木秀次氏から不破哲三氏までが賛成できる皇室)

平成十七年


11月20日
女系天皇は過去に例がない。絶対に反対である。八木秀次氏と同意見である。
小ホームページは以前「一回戦争に負けたくらいでくよくよすることはない」と書いたことがある。たまたまその数ヶ月後に、或る神戸大学教授と新しい歴史教科書を作る会に論争があり、神戸大学教授が、一回戦争に負けたぐらいで、という発想は実に寂しい、と作る会を非難した。作る会側は八木秀次氏が反論した。実は、一回戦争に負けたくらいで、というようなことは作る会は言っていなかった。言ったのは小ホームページである。
小ページと作る会会長八木氏とは意見が違うことも多いが、女系天皇に反対することでは同意見である。
さて過去にイギリスが植民地を支配する方法は分断統治であった。ヒンズー教徒とイスラム教徒、アラブ人とユダヤ人が敵対するように仕向けた。
アメリカの日本占領も同じである。占領状態を終止させるため、八木秀次氏から不破哲三氏まで賛成できる皇室を考えてみよう。


11月21日
その前に、「一回戦争に負けたくらいでくよくよすることはない」という言い方はいささか無責任である。まずその辺りを考えてみよう。
これから戦争が起きる、そういうときに戦争に反対するのは良いことである。戦争が終わってしまってから戦争に反対しても無益である。
今になって戦争に反対する人はアメリカが押し付けた戦後体制をありがたがり、今に至っても戦争を美化する人は国益を叫んでアメリカの威を借りる。どちらもアジアのためにならない。 それよりは未来指向で考えるべきである。
アメリカ式石油浪費文明は人類を滅亡に追いやろうとしている。アメリカ式文明の押し付けは、非欧米地域を不安定にしている。
日本人が先の戦争を反省するのなら、アジアに貢献すべきである。それには、(1)アメリカの物真似で経済大国になるのではなく独自の方法で経済大国になるか、(2)経済大国に代わる国を目指す必要がある。
先の戦争を美化したい人は、アジアの欧米植民地からの開放の精神を受け継ぐべきである。


11月23日
天皇の役割は、自然科学を超越する力によって国民を幸せにすることにある。しかるに明治維新以降の天皇は、軍服を着たり洋服を着て公式の場に姿を現す。これは正しくない。
天皇と同様に自然科学を超越するところの仏教各派の僧侶が私服で信徒の前に現れるだろうか。同じく神主が私服で現れるだろうか。
洋服を着た天皇こそ天皇の伝統を破壊する諸悪の根源である。それでは、八木秀次氏から不破哲三氏までが賛成できる天皇とは何か。それを次回は考えてみよう。


11月26日
江戸幕府や鎌倉幕府、室町幕府にあって、天皇は将軍を任命はするが幕府の一員ではなかった。明治維新後の政府は薩長連立幕府であり、戦後もそれにマッカーサーが手を加えたに過ぎない。
天皇は幕府の首相を任命するが、幕府からは独立すべきである。本願寺の次期法主に誰が就くかは教団内で決めていただければよいのであり、文部科学省が口を出したりはしない。
同じように天皇は幕府から独立した財団法人宮内庁ないし宗教法人宮内庁が決めていただければよく、幕府の首相私的懇談会が決める必要はない。


11月27日
国民主権の現代にあっては、日本国は天皇と国民、この二つから構成されている。現在の皇族の方々は二週間前にご結婚になられた清子様と同じように国民になられることが望ましい。 天皇は国民を代表する皇太子がなられ、皇太子は皇統に属する方がなられる。皇族は何の関係もない。
皇室典範改正の首相私的懇談会は、皇統に属することとともに皇族の身分を有することを天皇の条件とし、皇族を離れたものが皇族に戻ることは「国民の理解と支持を得られない」と述べている。冗談ではない。国民は天皇が不在となることを避けるためには賛成である。
それよりは、天皇を持続させるはずの皇族を理由に皇統を切断しようとする、その行為こそ国民の理解と支持は得られない。この際、皇族は廃止すべきである。



11月28日
「へぼ将棋、王より飛車をかわいがり」という川柳が或る。王を皇統、飛車を皇族制度と考えると私的懇談会の間違いがよく解る。
戦前は皇族の方々は主に軍人となられ勤務されていた。戦後の日本にあっては、清子様が嫁がれた黒田氏が一つのモデルとなろう。黒田氏同様、皇族の方々は地方公共団体、それも東京だけではなく京都、奈良、その他全国に分散して勤務し、警察、消防など国民の生命を守る部署が望ましい。
現在の一般国民の生活は江戸時代の大名皇族を超える。給料だけでも十分である。しかし安全などの面があるから不足分は宮内庁が支出すべきである。
それでは次に財団法人宮内庁について考えてみよう。


11月29日
宮内庁を民営化する、それでは郵便局と同じではないか、天皇機関説ならぬ天皇郵便局説である、けしからぬ、と考える向きもあろう。実は民営化させるのは政府のほうである。
前にも述べたように、政府は幕府である。そういう俗的機構に天皇を所属させるのは畏れ多いことである。国家は天皇と国民で構成されている。国家を治めるために、選挙で選出する幕府に委任しているだけなのである。
そうはいっても法的にどうするのか。そこで財団法人ないし宗教法人である。しかし世間に多数ある法人と同じでは畏れ多い。皇室法人宮内庁ではどうだろうか。


12月4日
皇居東御苑に入るには受付でプラスチックの札を受取り退出時に返却する。この受付の対応が、役所的、事務的、不機嫌そうな顔、自分の収入には関係ないという態度でよくない。皇宮警察官が来園者の質問に丁寧に答えてくれるのと対照的である。ちなみに皇宮警察は警察庁の一機関であり宮内庁とは無関係である。
宮内庁は官僚組織である表と、昔からの伝統を守る奥に分かれる。即ち皇居は(1)天皇の宗教行為を担当する掌典職、(2)宮内庁の奥、(3)宮内庁の表、の三種に分類される。
皇室の費用は、[1]天皇の個人収入とされる内廷費3億2400万円、[2]皇族の個人収入である皇族費2億7000万円、[3]皇室の公式活動費である宮廷費62億8000万円である。掌典職の給料は内廷費から支出される。このほか[4]宮内庁費107億7100万円がかかる。
日本には皇室に反対の人もいる。これらの人たちの一番大きな理由は税金の無駄使いということであろう。宗教や政治の理由で反対する人も自分の払った税金が使われるから反対なのである。
天皇は幕府である政府から独立すれば国民総てが賛成できる。それでは収入はどうすればいいか。


12月6日
天皇を政府から独立させた場合、国事行為について給料を支払い、公的行為、私的行為については多くの国民が支えることは理に適っている。しかしこの際、国事行為を含めすべての費用は国民が支えるようにしたらどうか。
[1]内廷費、[2]皇族費、[3]宮廷費の一部、[4]宮内庁のうち奥の経費は、国民からの寄付でまかなう。宮廷費のうち建設費修繕費は政府が補助をする。宮内庁の表は廃止または民間委託する。
この場合、平衡が大切である。税金で運営する現状の天皇は国家元首と明記する必要はないが、政府から独立する場合は海外の国家元首に相当することを明記し平衡を取ることが肝要である。
天皇の最も重要な行為である宗教行事が国民の目に触れず私的とされる皇室を、幕府から独立し質素だが国民の精神支柱であった江戸時代末の皇室に戻すべきである。


12月10日
私的懇談会は、三つの重要な事項を意図的にぼかしている。
(1)女系を皇族にするとその数はねずみ算式に増える。それなのに皇族離脱については「その時々の状況に応じて」と逃げている。
(2)配偶者の名称についても「女性天皇、内親王、女王の配偶者等についても、適切な名称を定める必要がある」と逃げている。適切な名称なんか存在しない。国民感情からいっても、奥さんのおかげで偉くなった男を尊敬するはずがない。有名な女優と結婚した無名な男と同程度となろう。
(3)「内親王、女王の配偶者についても、同等の(皇族費の)額を定める必要がある」と述べ、結婚前の収入、財産について考慮していない。皇族費を実家に仕送りすることの可否も述べていない。高貴な方と結婚されるほどの人である。さぞ能力も財産もあることであろう。皇族費なぞ必要ないではないか。そんな男を税金で養う必要があるのか。


12月11日
昨日の三つより更に重要な問題点がある。女性天皇、内親王、女王の配偶者は選定が困難である。おそらく二世代くらいは旧皇族から見つけることになろう。しかしその後は大混乱となる。

そもそもの原因は終戦のとき、政教分離に天皇を無理やり合わせ表面だけ俗化するとともに、西洋流王室を模倣したことにある。多数の皇族がイギリスに留学することに象徴される欧州文化の模倣は、皇室の存在目的に反し今回の問題が発生してしまった直接原因でもある。


12月13日
私的懇談会での一人の講師の発言を見てみよう。
「天皇あるいは皇太子に子どもが生まれたその瞬間から、国民全体が、次の天皇はこの方だと男のお子さん、女のお子さん関係なしに将来の天皇はこの方だというような、そういう親近感がやはり一番大事なんではないかと思います。それが男子優先のようなことになりますと、いつまでたってもなかなか決まらないということも考えられます。最初のお子さんですと、御両親にしても、あるいは側近の方にしても、お育てする心構えと言いますか、帝王学というんではなくてお躾といいますか、そういったものに対してもお考えができようと思うのです。」
生まれた瞬間から次の天皇というのはよくない。歴史を振り返ると天皇の子が次の天皇になるとは限らない。先人が苦労して築いた歴史の知恵である。本人がなりたくない場合は強制してはならない。周囲が見た適性もあろう。今上天皇を議長に、皇統に属するご親戚、宮内庁の奥、神社本庁、伊勢神宮、仏教代表、茶道等伝統宗家が協議し皇太子を決めるのがよい。間違っても政治家、学者、裁判官、その他俗人が協議してはならない。皇位を巡る争いが過去にあったが、皇位に限らず地位の争いは待遇と責任の平衡で解決できる。天皇になりたい人が多いときは責任を多く、少ないときは待遇を厚くし、不平者がでないようにすべきである。
小さいときからの帝王学もよくない。そういう時代ではない。国民の模範として育てるべきである。皇太子になってから学んでも遅くはない。


12月17日
民主党の鳩山幹事長、石川静岡県知事、松沢神奈川県知事など女系天皇に反対の声は広がっている。源平合戦、応仁の乱、戦国時代にも滅びなかった天皇を俗人どもが短期間の会議で変更してはならない。
今後万が一、女系天皇が決まったときには神社本庁、仏教各派、各界宗家は旧皇族から男系天皇を京都または吉野に立てるべきである。日本の仏教各派は天皇存在下で独自の教学を築き上げてきた。天皇不在となるとその存在意義を失い大乗非仏が現実のものとなろう。神社本庁について言えば国民のほとんどは神社の信者でもある。にも関わらずこれまで政府の言いなりである。例えば神社本庁は歴史かな使いを用いるのに政府の新かな使いに抗議をしない。今回の女系天皇は日本に巣食う唯金論と欧米崇拝主義の仕業である。神社本庁は日本を唯金論と欧米崇拝主義から守る団体となってほしい。
男系天皇が正しいことは歴史が明らかにしてくれよう。


12月20日
戦後の天皇はアメリカ軍によって作られた。それは限りなく俗化するとともに欧州の王室を模倣したものであった。天皇を敬う人は実は(1)アメリカ、(2)俗化社会、(3)欧州スタイルを敬されてしまっていた。

さて、天皇が2000年続いたのはそれぞれの時代にあって人々が望んだからである。今後も存続させるには二つの方法がある。
(1)現在の皇室典範をそのまま存続させ、いずれ天皇が不在となった時点で民間に旧皇族の天皇を立てる。
(2)女系天皇を政府に一旦作らせ、神社本庁、仏教各派、各界宗家による男系天皇を京都または吉野に立てる。これは現政府が悪いというのではなく、アメリカ軍が作った天皇制度では私的懇談会もああいう答申を出すしかないだろう。
いずれにせよアメリカ軍が作った天皇制度に終止符を打ち、国民のための天皇を回帰すべきである。

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