12、文化立国


作成日 平成13年4月24日

テレビから次々と流れる国籍不明ミュージックは、日本が亡国の危機にあることを示している。 戦後絶えることなくアメリカ文化の流入は続き、日本は確実に悪くなった。

1 文化を軽視する国は滅びる
フランスは、ナポレオン時代に大規模な戦争を行いながら、領土を割譲させられることもなく、ウィーン会議では主導的立場に立ち、西洋で一番進んだ国という評価さえ勝ち取った。 一方、満州族は戦争に勝ち中国大陸を支配しながら、漢族に吸収された。確固とした文化を持てば戦争に負けても国は亡びない。いくら軍隊が強くても、自国文化に自身を持てない国は亡びる。 今の日本は亡国の危機に瀕している。いまだに終戦直後症候群を抜けきれない人たちに言いたい、「ウィーン会議のフランスを見習い、戦争に1回負けたくらいでくよくよすることはない」と。

2 文化を考える
文化というと、文化ホールや市民会館で上演されるピアノやオーケストラを想像する。しかし、これらは芸術であり娯楽である。文化とは先人たちが永年かけて築きあげた貴重な財産であり、後世に伝える義務があるものをいう。西洋ではクラシック音楽は文化である。日本では日本古来の音楽、古典文学、日本画、工芸品、更には道徳や社会の習慣こそ文化である。 音楽について言えば、明治以降の唱歌から戦前の国民歌謡までは、西洋音楽の影響を受けている。しかし根底に日本文化が流れている。小中学校は、このような音楽を教えるべきである。唱歌には文語に親しむという目的もある。我々戦後の教育を受けた人間には文語は馴染みにくい。しかし言語には根底に文語の精神が必要である。唱歌は口語ではあっても根底は文語である。 大晦日のNHK紅白歌合戦で、国籍不明ミュージックが3割を越えたら、音楽教育に問題がある。全国の音楽教師、文部省、教科書出版社は、翌年の給料を10%返上するつもりで工夫してもらいたい。

3 玄関のある街
日本文化の特徴は家屋にも現れている。家屋は居住するだけに留まらず心を正すためにある。仏壇、神棚、障子、ふすま、床の間、畳、瓦、玄関。このような家に住めば国籍不明ミュージックを聞こうなどとは夢にも思わない。 郊外住宅地に潜む魔性について最近注目されだした。同様にドアの魔性についても触れてみたい。木で作られた2枚引戸の玄関は体当たりすれば壊れる。しかしそのようなことをする人は日本にはいない。鉄砲の弾さえ貫通できないような頑丈な洋風ドアが並ぶ街は異常である。このような街に住めば人間の心はおかしくなる。木造の玄関と甍の波を、洋風ドアとマンションの街にしてはならない。自民党は容積率緩和や地上げで不良債権を消化しようなどと考えてはならない。玄関のある街こそ日本人の故郷である。

4 アジアへの貢献
日本はこれまでアジアのために良いことも悪いこともした。良いことを取り上げれば、戦前は軍事力で欧米に対抗できることを示し、戦後は経済で欧米に対等になれることを示し、非白人に希望を与えた。今後日本がなすべきことは、文化で欧米と対等になることである。日本の経済はアメリカの物真似だと世界から思われている。今こそ、アメリカとは異なるアジアの文化を世界に示すときである。 もし儒教を根本とする韓国が世界第2の経済大国だったら、アジアの若者は儒教にあこがれるであろう。上座部仏教のタイが世界第2の経済大国だったら、若者は上座部仏教にあこがれるだろう。アメリカの物真似だけの日本が世界第2の経済大国では、アジアの若者たちは退廃してしまう。日本が脱戦後を目指すことはアジアの若者たちのためになる、とアジア全体から支持される日本になってほしいと思う。

5 世界平和のために
「ウィーン会議のフランスを見習い、戦争に1回負けたくらいでくよくよすることはない」という言葉には、内外の戦争犠牲者が忘れられている。あえてこの表現を用いた理由は、今の日本は亡国の危機に瀕しているからである。 すいかは縦に切っても横に切っても断面は同じである。しかしみかんは、横に切ると多数の袋、縦に切ると左右二つの袋となる。 文化は横に切ったみかんの袋のようにありたい。それぞれの国が独自文化を守り、決してアメリカに同化してはならない。一方、軍事は縦に切った袋のようにありたい。そこには人種や民族を超え多数の国民と、一握りの戦争指導者という、左右2つの袋に分かれる。 今後、戦争が起きたときは、世界中の人々はそれぞれの国で当該大使館を囲み「XXX(大統領や首相の名)、おまえが前線に行け」と叫ぼうではないか。死者が出たらその名前全部を大使館の前に張り出し「XXX、おまえが殺した」と叫ぼうではないか。そこには人種や民族間の憎しみはない。脱戦後を目指すときは、平和への配慮も必要である。

メニューページへ戻る 前へ 次へ