93、自・民は日本の独立を、公は仏教の国教を、共・社は格差社会の撲滅を目指せ
平成ニ十年
九月十五日(月)(政党の存在意義)
日本の政党は魅力がない。その理由は自分の議席を気にする人たちの集まりだからだ。自分の議席を気にしなくて済むなら、自・民は日本の独立を、公は伝統宗教の国教を、共・社は格差社会の撲滅を目指すようになろう。欧米式の政党は日本には合わない。
九月十七日(水)(国の独立)
保守政党が戦後長期に亘り多数を維持できたのは、商店主も自営業も農業も更には被雇用者に至るまで、これまで続いた生活を守ってくれると考えたからであった。
革新政党は道徳を軽視し文化を破壊しカネのことしか考えない。多くの国民はそう考え保守政党を支持してきた。ところがプラザ合意の円高ののち、あるアメリカ人が「多くの日本人、特に若い人が欧米に旅行するようになったので日本は大きく変わるだろう」と言っていた。そしてそれは現実のものとなった。
欧米に行ったくらいでなぜ日本は混乱するのだろうか。一言で言えば日本は独立していない。米軍が存在していても文化的精神的に独立することは可能だが、世界中の笑い者となった英語第2公用語に見られるように、政治家は力量不足である。
保守政党は国の独立を第一に考えるべきである。
九月十八日(木)(伝統宗教を国教に)
次は公明党である。僧Xは「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。」(三大秘法抄)と述べた。御教書は現代においては国会の議決ということで公明党が結成された。その後、言論出版妨害を機に国立戒壇は放棄し中道政党を目指した。しかし日本社会党の解党後は長期目標を失っている。
公明党は仏教の国教を目指したらどうか。僧Xだけではなくすべての宗派が賛成できる国教である。神道や儒教も賛成できる国教である。そのためには伝統宗教と言い換えても好い。
九月十九日(金)(日本の国教)
神道は宗教ではない。戦前はそういわれてきたし仏教と習合していた時代もそう考えられる。位牌や墓石が宗教ではないのと同じである。儒教も日本に入る際に加地伸行氏が言うように宗教性がなくなった。
宗教とは何か。そういうことを問題にすること自体が欧米野蛮人の発想である。仏教も神道も儒教も長い年月をかけて日本人とともに歩んできた。これを尊重することは当然ではないか。
これが国教である。仏教、神道、儒教を中心とする伝統宗教を国教としても、他の宗教が不利益を被る訳ではない。国庫による経済援助は禁止すべきだ。国教は国鳥と同じである。日本の国鳥は雉だか、つばめや鳩が不利益を被ったという話は聞かない。
九月ニ十日(土)(教祖もニ割の過ち)
僧侶や思想家の言うことが十割正しいということはない。時代が変われば誤りとされることもある。当時の行き過ぎを正すための言が後々まで教条されることもある。教祖も今ではニ割の間違いがある。そう考えることが肝要である。
僧Xのニ割とは何か。当時は飢饉疫病が続いた。しかも他の宗旨は既に広まっていた。他の宗旨が諸悪の根源と考えるのは当然である。翻って今の世はどうか。飢饉疫病はない。他の宗旨を攻撃する必要はなくなった。神天上(かみてんじょう、他の宗旨が広まったため、善神は国を捨て去り、悪鬼魔神が神社や神札に住み付いている)ということもなくなった。
X寺66世妻帯準僧侶Xは「不況隊長X先生と話したのだが既に広宣流布は達成している」と語ったことがある。XX会と59世堀日亨の功績である。
さて鎌倉時代には唯物論はなかった。僧Xが唯物論を攻撃しなかったのは当然である。今の世は唯物論が満ちあふれている。僧Xが今の世に現れたら、他宗は批判せず唯物論を攻撃するであろう。XX会は新しい目標を唯物論の撲滅にするといい。
九月ニ十ニ日(月)(東洋に資本主義は馴染まない)
次は共産党と社民党である。昭和20年代から昭和60年の円高に至るまでの高度経済成長を支えたのは資本主義ではない。あれは従業員共同主義であった。そして松下電器やシャープなど戦後新興企業を支えたものは、個性的な起業家であった。これも資本主義ではない。
共産党と社民党が目指すべきは、非資本主義である。資本主義は東洋には合わない。あれは欧米文化圏でのみ機能する。
九月ニ十三日(火)(日本の目指す非資本主義とは)
資本主義は日本に合わないが、共産主義や社会民主主義も日本には合わない。
日本経団連と企業別労組は解体すべきである。その上で商工会議所と職能別労組にすべての企業の株式の一部を分配することから始めたらどうか。
九月ニ十四日(水)(共産党と社民党は欧米思想から脱却を)
共産党は共産主義、社民党は社会民社主義。どちらも欧米の猿真似である。国民が支持する訳がない。
共産党は日本共同産業党、社民党は社会民俗党と改称したらいい。共産党は「昭和30年代の息吹をもう一度」、社民党は「農民一揆の民俗を今に」を掲げよう。
(國の獨立と社會主義と民主主義、その一)へ
(國の獨立と社會主義と民主主義、その三)へ
メニューへ戻る
前へ
次へ