71、志の高さという尺度

平成十九年
四月十日(火)(志の高さ)
高い理想は立派である。しかし実現不可能な理想は俗論である。旧社会党の非武装中立がいい例である。
理想主義を辞書で調べると、不利と自己犠牲を顧みない高潔な態度、または現実を無視した空想的態度、とある。二番目の意味により、理想には悪い印象を伴う。理想の代わり志の高さという尺度を用いたらどうか。


四月十一日(水)(旧社会党に見る理想の低さ)
戦争をなくすには、国際条約の充実、EUのような地域連携、西洋文明の押し付けに反対、アメリカにイスラエル偏向をやめさせる、などが必要である。旧社会党はこれらをやってきたか。何もしなかった。護憲、平和を叫ぶだけだった。
一番の原因は各派による内訌と妥協の産物である。護憲、平和なら各派とも人畜無害である。それでも米軍基地に反対するだけまだよかった。以前同じ職場に宮城県の小学校元教師という人がいた。宮教組の米軍基地反対集会に行きたくなかったが行った、組合も嫌だったが誘われて入った、と語っていた。
旧社会党の人たちは今どうなったか。米軍基地を放置したまま平和を叫んでいる。


四月十四日(土)(組織のための組織)
組織は必要があるから生まれる。ところが目的を達成したあとも組織が残る。こういう組織は志が低い。
私が以前所属していた電機労連(現、電機連合)は、かつては安保条約反対を主張したこともあったが、大手電機メーカという恵まれた環境にあったため、昭和60年代以降その存在理由を失っていた。沖電気では人員整理者を見捨てるという汚点も残した。メーデーで電機労連の各単組は、平和を守れー、物価上昇はんたーい、公共料金値上げはんたーいと人畜無害なシュプレヒコールでデモ行進した。
平和を守る運動や物価上昇を抑える運動を1年間してきたというのであれば理解もできる。そうではない。シュプレヒコールなしでは他の単産の手前みっともないから、適当に叫んでいただけである。必要のなくなった組織は構成人員を少しずつ入れ替える必要がある。


四月十五日(日)(目先の利益)
日本人の致命的な欠陥は目先の利益しか考えないことである。アメリカ軍の国内駐留を放置したまま平和を叫ぶのはその典型である。あるいは、アメリカ文化の日本への異常流入を放置したままグローバルだ英語だと騒ぐのもいい例である。その結果どういう弊害があるかを考える必要がある。今までは一歩先しか考えていなかったが今後は三歩先を考える必要がある。


四月二十一日(土)(高い志と妥協)
国労は20年間不利を顧みず立派である。しかし国鉄は巨大な赤字を抱えていた。存続は不可能であった。赤字は労使双方に責任がある。私が国労を支持するのは、使用者側は民営後の幹部に登用され、第2組合も採用され、国労等だけが不利益を蒙っているからである。赤穂藩のお取り潰しと同じで片手落ちである。
一方で国労の妥協しない姿勢はよくない。高い志があれば、妥協しても賞賛するに余りある。妥協すればこそ志も実現されよう。


四月二十二日(日)(買春先生)
これまで私が所属した組織で一番ひどかったのは、18年前に3年間教師をした学校法人A情報処理専門学校である。職員の飲み会で「校長が卒業生の女子と不倫した」「H先生は1週間くらい行かないと売春街にまた続けて行ってしまうんだよな」といったくだらない話が延々と2時間続いた。私は明日の授業の準備が残っていたので「まったくくだらない」と独り言をいうと近くにいた校長の次の次くらいの人がこっちを睨んでいた。私が3年で辞めたのはこのときが原因といってもよい。
校長始め幹部教師は都内でも有数の専門学校で長年教えて来た人たちなので、A専門学校が特に低いということはない。その後も新卒の職員が入ってくると、ここの学校の儀式だ、といっては売春街に連れて行っていた。本当に懲りない連中である。あの学校法人はそれから7年で倒産した。


四月二十三日(月)(民主主義を叫ぶ人は怪しい)
多数決が正しいとすると、あの職場ではいっしょに売春街に行かなくてはならなくなってしまう。だからといって「大衆とは愚かなものである。エリートが指導すべきである」というのはよくない。エリートだって間違えるし堕落もする。
リーダが立派な組織は構成員の志が高い。リーダは大衆の意見に従うのではなく大衆をリードすべきである。しかし大衆から疑問、意見が出されたら、十分に話し合いリーダーも意見を修正すべきである。
民主主義を叫ぶリーダは一番よくない。自身の志が低いのであろう。民主の姿勢は重要である。しかし民主主義を叫ぶ必要はない。


四月二十五日(水)(リーダーに特権はいらない)
議員のうち日本を良くしようという人と自分のために議員をやっている人とどちらが多いだろうか。今ではほとんどが後者であろう。議員に特権がありすぎるためである。議員は無報酬でよい。欧米の真似をして議員に報酬を与える必要はない。
欧米猿真似の弊害がこんなところにも現れている。


四月二十八日(土)(実現可能な理想)
アメリカ軍を日本から撤去させることは不可能でも何でもない。ほとんどの国は、たとえ小さな国であっても国内に外国軍なぞ駐留させてはいない。世界第二の経済大国、サミットのメンバーでもある日本が、アメリカ軍がいないと怖いんです、というのはみっともない。欧州にもアメリカ軍はいる。しかしNATOは多国間である。日本のように属国関係ではない。
国内に外国軍を駐留させることが、戦後日本の精神構造にいかに悪影響を及ぼしてきたかを総括する必要がある。


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