80、会社は公共物

平成十九年
十一月十ニ日(月)(会社は公共物)
同族企業経営者の相続税を軽減しようという動きがある。これはよくない。相続税を軽減すると賞味期限をごまかした赤福のような企業が氾濫する。あちこちで地域が混乱し疲弊する。

十一月十五日(木)(ジョブローテーション)
一つのポストに同じ人がずっといるのは良くない。外国の会社では転職が多いし日本の会社では社内移動が多い。問題は中小企業である。中小企業の問題点は一つのポストに同じ人がずっといるということに尽きる。

十一月十七日(金)(肩書きは地位に非ず)
一つのポストに同じ人がずっといると、国も政党も会社も組織の活力がなくなる。その人と同じ種類の人間が継いでも活力がなくなる。中小企業の問題点はどのように経営陣を入れ替えるかにある。社長は会長になったり相談役になったりしなくてもいい。平取締役を2年くらいやってまた戻ればいい。その間に任せた人が自分より優秀だったらそのまま任せたっていい。

十一月十九日(月)(世の中のあるべき姿)
世の中のあるべき姿は個人商店(商店以外の製造業等も含む)が中心の社会である。そして個人商店は直接雇用を禁止しその必要があるときは職業安定法による労働者供給を受けるのがよい。労働者供給を正常にするため労働者派遣法は廃止の必要がある。個人事業主のふりをさせた偽装雇用も厳しく取り締まる必要がある。
個人商店は労働者供給、会社は直接雇用。これが正しい。会社は公器なのだから。

十一月ニ十日(火)(残りの2割はどうするのか)
今回の税制改革案は、非上場の同族会社株を相続する場合は従業員の8割以上の雇用維持を条件に課税価格を大幅減額するのだそうだ。すると残りの2割の従業員はどうするのか。ここからして無責任である。
次に相続した人に経営能力はあるのか。ここ数年、西武鉄道をはじめ世襲経営の破綻が目立っている。世襲経営は九分九厘がうまく行かない。

十一月ニ十一日(水)(旧古河財閥)
20年ほど前、富士通グループに勤務していたとき同じ職場に旧古河財閥の古河建純氏がいてパーソナル機器事業部第ニ技術部の部長代理であった。富士通は富士電機の系列会社であり、富士電機は古河とドイツ・ジーメンス社の合弁会社で古河の「ふ」とジーメンスの「じ」から富士電機と命名された。
たまたま古河氏など数名が打ち合わせをしていて何か資料が足りない、と言っている時に私が横を通りかかり、その資料ならあります、と言って自分の席に戻り印刷して渡したことがあった。私は他の部長代理と同じに思っていたが、後日別の人から「古河さんが積極的だと褒めていたよ」と言われ、周りは氏に気を使っていることが判った。
古河さんは後に常務取締役になり子会社のニフティの社長になった。しかし4年で会長に退いた。
社長は激務で5年が限度だと言われる。古河氏の進退は正解であった。
古河さんが褒めていた、と言ったのは第二技術部の部長だが、古河さんが第二技術部の部長代理だとすると部長が部長代理に気を使うことになり少し変なので、古河さんはパーソナル機器事業部の事業部長代理だったかもしれない。事業部長の正式名は部長であり、部長の部下が部長という関係にあった。部の部長代理は課長を兼任することが多かったため、古河さんはやはり事業部の部長代理であろう。開発製造以外の営業、営業推進、システムは間接部門であり、事業部とは呼ばず統括部と呼んでいた。こののちパーソナル機器事業部はパソコンが原因で赤字なのでパーソナル機器開発部と改称されたような気がする。パソコンが電算機事業本部に移管される前は、半導体事業本部のマイコン事業部パソコン技術部であった。このとき事業部の部長は技術部の部長も兼任し更に第一技術課だったか方式課の課長も兼任していた。3段階兼任は富士通でもここだけであろう。パソコンはNECに大きく離され富士通も必死であった。

十一月ニ十ニ日(木)(旧安田財閥)
今の職場には旧安田財閥の人もいた。私は安田さんから安田財閥の話を聞いてはいないが、世間に流布する書籍は間違いが多いように思う。安田善次郎は自分の娘婿を後継者にしたが後に娘ともども一族から追放している。これをある本は自分の息子が小さかったため一時的に後継にしただけだと書き、別の本は娘婿を後継にしたことは長子相続に反し善次郎唯一の失敗だった、と書いている。しかし善次郎は世襲がうまく行かないことを知っていて優秀な人を娘と結婚させ後継者にしたのであろう。
娘婿追放の原因は、屋敷内で相撲の土俵入りを行い、これが質素を旨とする善次郎の逆鱗に触れたとも書かれているが、善次郎のような人は10万人に一人しかいない。善次郎は娘婿を本家とするとともに分家を10近く作っている。娘婿が分家と相談せず事を進めることを怒ったのではないか。それは10万人に一人しかやってはならない、と。
善次郎の優れたところは明治政府の爵位を餌にした献金要求を拒否したことにある。くだらぬ爵位よりカネを有効に使うことが重要である。晩年は日比谷公会堂、安田講堂と無駄な寄付を行っている。そのようなカネがあったら農村改革に当てるべきだった。浅野に再度投資してもよかった。長くその地位にいると優秀な人でも目が曇る。

十一月ニ十三日(金)(中小企業は公共物)
安田善次郎でさえ失敗した後継者選びを、相続税の軽減くらいで同族企業がうまくできるわけがない。相続税相当分を株券で納入させ、これを商工会議所、労働団体、金融機関からなる中小企業育成委員会を作りこれに監督させたらどうか。

十一月ニ十四日(土)(個人商店と労働者供給)
世襲を希望する者は個人商店(商店以外の製造業等も含む)にすればいい。個人商店の多い社会こそ活性化した社会である。個人商店の雇用は労働者供給に限定するとよい。事業の好不調に対処できるし労働者の地位も守られる。
労働者派遣法はよくない。大悪法である。企業は直接雇用、個人商店は労働者供給。これで経営者も労働者も安定した生活ができる。

十一月ニ十六日(月)(会社の均衡)
会社といえども社会均衡の範疇にある。ところが終戦直後に財閥から没収した大企業群は癌細胞のように自己増大を続けた。これはプラザ合意前には限定社会主義を生み、終身雇用制という奴隷制度を生み、過労死や地域破壊、家庭破壊の原因となった。限定社会主義は絶対に避けなければならない。しかもひとたび経済が悪化するやリストラと派遣労働者で帳尻を合わせ、これら大企業群は限定社会主義でさえないことが明らかになった。
これらを今後どのようにすべきか。経済だけ考えれば外資に買収されるのが一番いい。しかしその結果英語文化に日本が洗脳される。ここは派遣と下請けを禁止して大企業は人件費で均衡を取らせることと、個人商店の育成で人事を流動化させる必要がある。そして事業を通して社会に貢献ししかもリスクとともに配当が得られる、という趣旨に賛成の株主だけで将来は会社は構成すべきである。

十一月ニ十七日(火)(株主と経営陣の分離を)
つまり経営者になることを目的に株を所有するものは、資本主義に反している。
政治には三権分離がある。大臣が最高裁判事を兼ねていたら公正な裁判は期待できない。本来、株を一定以上所持する者(その親族、持ち株会社の所有を含む)は取締役への就任を禁止すべきである。暫定的に取締役(株主総会前の辞任を含む)の所有する株は議決権を停止したらどうか。会社は公共物なのだから、NOVA社長のような会社私物化は許されない。NOVAはいよいよ明日から破産手続きが始まる。前払いの授業料は戻ってこない。

十一月ニ十八日(水)(経営陣の正当評価を)
株の買占めや次期社長争いがしばしば報道される。これは経営陣を過大に評価した不均衡より発生する。会社を大きく伸ばしたのが現社長であるのなら、大きな報酬を得るべきである。たまたま景気がよくなったのであれば株主に配当すべきである。
社長になりたい人が多く出る状態と社長になりたい人がいない状態の中間に均衡点はある。

十一月ニ十九日(木)(欧米の猿真似はやめよう)
以上述べてきた内容は、日本の現状を見れば誰にでも考えられることばかりである。ところが多くの学者、政治家には考えられない。その理由は欧米の猿真似にある。しかも日本の場合は欧米のうちのアメリカの政策に偏っている。
どうしても欧米の政策を真似するのであればEUの真似をするべきだが、一番いいのは欧米の真似をせず日本の現状に合った政策を考えることである。


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