25、民主主義を考える

平成十五年十二月廿日

昨年9月のWebページで民主主義について触れるとき、長谷川三千子さんの名著「民主主義とは何なのか」を読んでから作ろうと思っていた。しかし結局読む前に書いてしまった。理由は図書館に行ったところ貸し出し中だったからである。読んだのはそれから随分経ってからであった。内容は私が考えていたよりかなり深いものだったが、矛盾するところがなく胸をなでおろした。
図書館といえば、国会図書館で西部邁氏の著書を読もうと思い、検索コンピュータに著者名を入れようとするのだが邁という字が変換できない。西部で検索したら、西部衛生材料組合やら西部建築事務所やらの図書が多量に出てきて、200件を越えたため検索を中止しました検索条件を絞ってくださいという表示まで出た。これらに混じっていた西部氏の著作を何とか読んだものだった。


1 民主主義という名称
民主主義という名称は良くない。キリスト教徒にとっては許せない名称であろう。仏教徒に向って民釈迦主義、神社本庁に向って民御神体主義というのと同じである。
これは戦前の民本主義に戻すべきである。民主主義の名称を用いる限り、日本はマッカーサが仕掛けた封印から逃れることはできない。

2 陪審制から民主主義を考える
国によっては裁判に陪審員制度がある。陪審員は自分に有利になるようにある訳ではなく、無私の心で裁判が正しくなるようにするためにある事は誰でも知っている。
選挙も同じである。自分に有利な候補者に投票するのではなく、世の為人の為となるよう最大の努力を払い選ぶべきである。

3 財界、労組、宗教団体、市民団体は干渉してはならない
財界、労組、宗教団体、市民団体が、裁判の陪審員に干渉したらどうなるだろうか。正しい裁判は望むべくもない。
選挙も同様である。有権者は公益第一で候補者を選ぶべきである。干渉する団体は国を乱すものとして重罪に処すべきである。

4 顔写真の禁止
アメリカでは、あの議員はハンサムだからと将来の大統領候補に育てることがあるという。選挙は人気投票ではない。立候補する者には1年以上前から顔写真の公表を禁止すべきである。

5 統計手法の活用を
有権者全員が投票する必要はない。選抜が統計学から見て公正であれば、何の問題もない。裁判の陪審員は少ないから民意を反映しないと考える人がいないのと同じである。投票者は私情や個人利益を考えず良心に従い公益のため投票する誓紙を提出し投票すべきである。違反した場合、投票者が重罪に問われるのは当然である。これまで投票者が多かったため良心に従い投票したかどうかの確認ができなかったが、数学の進歩とともに可能になってきている。

6 世論調査は廃止せよ
新聞社が行う世論調査は極めて不公正である。設問の「どちらかといえばxxxだ」や「どちらともいえない」を含めるかどうかで賛成は少数、反対は少数のどちらにもなる。質問の仕方で誘導することもできる。結果が新聞社の意向と異なった調査は発表しないこともできる。
決断には責任が必要である。人気投票みたいに無責任に短時間で議論なしに回答した結果を以って国の進路を決めることは絶対に避けなければならない。

7 民主主義から民責主義に
世界を見渡すと、大統領、首相の選出方法には直接選挙、間接選挙などいろいろある。国会議員も、小選挙区、大選挙区、比例代表などいろいろある。 戦前の日本も普通選挙を行う民本主義の1つであった。マッカーサが押し付けた民主主義は民本主義の1つに過ぎない。しかも戦後58年間を見れば判るように不完全で歪んだ制度であった。民主主義の名称は民本主義に戻すべきだが、ここは更に進め民責主義という名称はどうか。良い政治も悪い政治もすべて国民の責任である。

<付録 検索方法>
西部邁氏を検索するには「西部  すすむ」と空白を入れると良い。「西部すすむ」では駄目である。なお、邁という字に変換できないのは国会図書館が悪いのではなく、日本のコンピュータ全体の責任である。ためしに自分のPCですすむを変換してみよう。




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