湯の入ったビーカーに蛙を入れると飛び出し無事である。一方、水の入ったビーカーに蛙を入れて加温するといつまでも飛び出さず死んでしまう。
日本にとって不幸だったのは、アメリカの戦後処理が水に蛙を入れる作戦だったことである。
そのため今、日本の命は風前の灯火である。
1 或る小説家の日記
山田風太郎は昭和20年終戦直後の日記に次のように記している。
「敵が日本に対し苛烈な政策をとることをむしろ歓迎する。
敵が寛大に日本を遇し、平和的に腐敗させてかかって来る政策を何よりも怖れる」
9月11日には次のように記している。「米国、アメリカ映画の日本輸入を大々的に企画中なりと。そろそろやりはじめたな」
2 文章と言葉(1)
国を抹消しようとするには国民を抹消すればよい。国民を抹消するには文章と言葉を抹消すればよい。略字と新かなづかいは戦後の文章抹消大作戦である。戦前の教育を受けた人には新しい書き方が加わっただけであり、影響はまったくない。一方、戦後の教育を受けた人は戦前の文章はほとんど読まない。ここに落とし穴がある。つまり日本人はほとんど気付かなかったのである。
戦前も手書きの際は今の略字に近かったという。(これも変な話である。日本人の私でさえ、近かったという、などと日本文化専攻の外国人の論文のような不確実な言い方しか出来ないのである)。まず学校では略字体を書き旧字体を読めるように教育すべきである。略字体のうち戦前用いなかったものは廃止すべきである。
3 文章と言葉(2)
今から17年程前に小田嶋隆さんがあるパソコン雑誌に、文字変換のためには漢字の音読みは新仮名遣い、その他は旧仮名遣いのほうがよい、という主張をされていた。まったく同感である。
伝統を重視する立場からはどちらも旧仮名遣いが良いような気もするが、まずは出来るところ便利なところから行う必要がある。
4 文章と言葉(3)
言葉について言えば、戦前の国会には歴史に残るような名演説が沢山ある。戦後は1つもない。日本人は民主主義、言論の自由という空虚な言葉だけをアメリカからもらい、言葉そのものを取られてしまったのである。
5 アメリカ民主主義の正体
マッカーサーのゆで蛙作戦を抜け出せない理由に民主主義がある。ここで、アメリカ民主主義は世界の異端に過ぎないことを見てみたい。戦前の文章を探せばいくらでも見つけることは可能だが、ここでは西部邁氏が先の埼玉県知事選挙で応援した浜田卓次郎候補が所属していた統一会派の公明党の支持母体であるXX会が10年程前まで所属していたXX宗を見てみたい。大正時代に同宗管長だった土屋日柱が宗会から退陣要求を突きつけられ文部省や地元警察まで巻き込む騒動となった。その最中に土屋日柱は「而も米国の民主主義や露国の無政府共産主義の如き事が我宗内に行はれることになり、(以下略)」と宗内に文書を発している。米国の民主主義とロシアの共産主義が世界の異端であったことが判る。当時の日本は大正デモクラシーの時代であったが、デモクラシーと米国流民主主義はまったくの別物である。
6 戦争責任
それでもなおゆで蛙作戦を抜け出せない人の理由は、日本が仕掛けた戦争だったという点であろう。ここに戦争責任はすべてアメリカにあることを明らかにしたい。
(1)日本を強制開国させたのはアメリカである
(2)日本を敵国とする計画を立てていた
(3)第2次世界大戦は経済が原因である。世界恐慌はアメリカに100%責任がある
(4)アメリカは第2次世界大戦に参戦する口実を探し、日本を利用した
(5)戦前の国際連盟に加盟しなかった
7 西洋対東洋、西洋の反則負けで東洋の勝ち
それでも抜け出せない人は敗戦後遺症である。ここに、東洋は西洋に勝ったことを明らかにしたい。
欧米がアジアアフリカを植民地にしたのは、西洋の戦力が東洋より優れていたためである。しかし西洋文明は永続不可能である。あと100年で石油は枯渇する。永続不可能なやり方は反則である。例えば、戦争に絶対に勝つ方法があるが、この方法を使うと100年後に人類が滅びるとしたら、この方法は反則である。
西洋対東洋は、西洋の反則負けで東洋の勝ちである。とはいえ欧州は植民地を手放し、二酸化炭素排出削減にも熱心で今では敗者復活を果たした。唯一、国全体が植民地そのもので(譲歩すれば最初の13州を除いた残りが植民地)、しかも京都議定書にも加盟しないアメリカが敗者のままでいる。私は何も、土地を先住民に返せと言っているのではない。少なくとも京都議定書には加盟すべきである。日本においても、祖国を守るため亡くなった中国の犠牲者や東洋を勝ちに導いたインドのガンジーやベトナムの犠牲者に対し敬意を表する必要がある。
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