九百八十八(その十二) 記者会見に見る安倍の厚顔無恥
平成二十九丁酉年
六月二十二日(木)
十八日に通常国会が終了し、十九日に安倍が記者会見をした。その内容があまりに厚顔無恥なので指摘したい。まづ国会答弁について
つい強い口調で反論してしまう私の姿勢が、結果として政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省している。
お詫びに「結果として」を入れる人間は、本当は反省をしてゐないことは松野博一の記者会見で指摘した。それなのに安倍がまた陳腐な手口を用ゐた。
そればかりか更に悪質なのは野党の質問を「政策論争以外の話」だとした。野党の質問は、お友達に濡れ手に粟で甘い汁を吸はせることが正しいのかどうかの、立派な政策論争だ。「深く反省」するふりをしながら野党を批判する。実に厚顔無恥なやり方だ。
六月二十三日(金)
毎日新聞の記事を引用すると
一方で首相は、学校法人「森友学園」や加計学園の問題が焦点になった国会を「建設的議論から大きくかけ離れた批判の応酬に終始した」と振り返り、野党の追及を「印象操作のような議論」と批判。
これも「深く反省」したくせに、実はまったく反省しなかったことがばれてしまふ。
不誠実な人間が使ふ言葉に「丁寧な説明」がある。「結果として」が一番目なら、こちらは二番目だ。記事を続けると
野党は加計問題を解明するため、国会の閉会中に衆参両院の予算委員会を開くよう求めている。首相は「丁寧な説明」は約束したが、国会審議に応じるかどうかは明言しなかった。
私が「丁寧な説明」と云ふ表現に始めて出会ったのは七年前の組合分裂のときだった。「誠実な議論」ならよいことだ。双方が互いに歩み寄るのだから。分裂時の向かう側が「丁寧な説明」を繰り返すので、なるほどこれなら一切妥協せず自分側の主張を繰り返すだけで、ずいぶん便利な表現だと感心した。
この陳腐な表現を安倍も用ゐた。つまり一切妥協しないらしい。あとは街頭演説の力で安倍に、国会を開催したほうがましだと判らせるしかない。
六月二十四日(土)
野党四党は、憲法53条の規定に基づき、臨時国会の要求書を衆議院と参議院に提出した。国会議員の1/4を超えるから、安倍は臨時国会を召集しなくてはならない。ところが一昨年十月に憲法53条に基づき臨時国会の要求があったときは、翌年1月に通常国会が召集されるので合理的な期間内と云ふことで、これを無視した。
これだって憲法違反だ。なぜなら臨時国会召集を要求した議員は通常国会があることは判ってゐる。判ってゐて1/4を超える議員が要求したのだから臨時国会を召集しなければならない。今回は、いつ招集するのか。それより重要なことは招集をいつ決めるのか。遅くとも都議選の投票日の前までには決めるやう通知し、決めないときは前回と合はせて憲法違反の安倍と宣伝したほうがよい。
六月二十五日(日)
毎日新聞の記事に戻ると
獣医学部新設計画については、計画が「総理のご意向」と記述した文書が文科省の再調査で確認された。首相は「対応が二転三転し、政府に対する不信を招いたことは率直に認めなければならない」と不手際を認めたが、国家戦略特区を利用した獣医学部新設自体は「時代のニーズに応える規制改革は行政をゆがめるのではなく、ゆがんだ行政を正すものだ」と重ねて正当性を強調した。
「対応が二転三転し」とあるが、一回目は間違へることもあるから二転は許容範囲だ。一回目の訂正を更に修正することは、二回目が嘘だったと云ふことだ。だから三転をした時点で嘘つきと看做される。
次に、歴代の首相、過去と現役の国会議員、過去と現在の自民党員と支持者は、安倍の「ゆがんだ行政を正す」と云ふ発言を放置してはいけない。安倍はこれまでの政治を歪んだ行政呼ばはりした。自民党は安倍を除名にすべきだ。盗人猛々しいとはこのことだ。(完)
(その十一)へ
(その十三)へ
メニューへ戻る
(その十一)へ
(その十三)へ