九百八十三(その三) 1.西新宿のアパート街、2.野村ビル
平成二十九丁酉年
六月七日(水)
西新宿の青梅街道から北側に入ると、そこにはアパート街がある。何々荘と書かれた表札があり、或いは看板がある。変なカタカナ名より何々荘の方がよい。家主の心に理想を植ゑる。良心を生育させる。
月曜は成子天神の二本乃至三本東側の路地、火曜は小島屋乳業の小道に入って最初の道を左折しその次と更にその次の小道から青梅街道に戻った。アパートが三棟あった。同じ造りだから同一家主かもしれない。これらとは別に、一階は五部屋、二階は共同入口から階段と奥に流し。共同トイレもあるのかも知れない。入居者は退去の後だった。
六月十一日(日)
金曜の早朝、出勤前に家のPCから或る銀行のインターネット手続きをした。IBMのSecurity Trusteer Rapportと云ふソフトを無料インストールするやう表示が出たので、これもインストールした。おそらくキーボードの操作を盗まれないために特化したアンチウィルスソフトだらう。実はこの銀行の普通預金口座は前に申し込んだのに、まだ一回も使ってゐなかった。今後は頻繁に使ふのでその準備だった。
この日の昼休みに早速、野村ビルのATMで預金した。そのときに昔、野村證券と取引したことを思ひ出した。
会社の横浜事業所の近くの鶴見支店と取引したが川崎支店に統合された。私は旧本社が西新宿にあり週に一回出張するので、取引先を新宿野村ビル支店にした。もともとインターネットで社債などの売買ができる。パソコンには野村証券が無料提供する認証局の証明書をまづ入れる必要があった。確か一回期限が切れて再度新しいものを入れた記憶がある。かなり活用したが自宅を購入するときにすべて売却し、その後は野村證券と取引せず今日に至る。
今回証明書ではないがセキュリティソフトをインストールし、しかも野村ビルのATMを使ったのは十七年ぶりの偶然だった。
六月十二日(月)
昔はDEC社のハードウェアをR社から仕入れた。その後DEC社は転落の一途をたどり二度の買収で消滅した。R社は今でも野村ビルにある。十八年程前にR社と共催でセミナーを開催したことがある。会場は野村ビルのセミナールームを借りた。来場者用に地下一階のコーヒーチェーン店に注文し、定刻に配達してもらった。
それとは全然別の機会にR社を訪問したことがある。確か操作方法を教はりに行った。何のソフトウェアかまったく思ひだせない。私の勤務する会社がソフトウェア製品を販売し、DECのハードウェアを販売したのは遠い昔のこととなった。
六月十四日(水)
野村ビルの地下入り口で昼休みにタイ料理店が弁当を販売する。日本の商習慣に慣れないためか、大声で弁当を販売してゐた。西新宿駅からの地下道を調べたときに大声が聞こえるので野村ビルに接続することが判ったくらいだった。
昨日はそのお店で弁当を買った。最近は大声が無くなった。七つくらいあるうちのチキンカレーを買った。十二時に会社を出て一階に降りて野村ビルまで往復すると二十分掛かった。
チキンカレーはルーが小さなビニール袋に入っただけなので、量が不満だ。しかしタイ料理特有の香りがして美味しい。インターネットで調べるとカオマンガイと云ふチキンライスだ。それならこの量でも問題ない。
700円でチキン3個はやや不満だ。量からすると500円が適正か。しかしインターネットで調べると本店はタイとある。更に詳しく調べるとフジグループといふタイで日本料理店を展開するグループが日本でタイ料理を展開した。場所は新宿のほかに赤坂、銀座など高級地ばかりだ。味を考へれば700円でも高くはない。
六月十五日(木)
その次の日は昼食後野村ビルに行った。タイ料理店は入口の前で昼食を販売する。なるほど入口の内側はレストランなのだと判った。私は最初、入口が本来の販売所で、その前は昼食時の増設部かと思った。この日は12時30分なので弁当がグリーンカレーなど三つしかなかった。なかなか繁盛するやうだ。
この日の目的は四階のカフェテリア街だ。行ってみると二店が営業し都庁の職員食堂にそっくりだ。思へば三十年くらい前までは社員向けの食堂は福利厚生の一環だった。市役所や図書館の食堂も来場者サービスの一環だった。野村ビルが建設されたのは昭和五十三年(1978)。プラザ合意以前の日本の社会が健全の時代だった。
その後、十一年前に地下商業フロアの大規模改修。このとき道路から地下2階への階段とエスカレーターが新設された。西新宿駅からの地下連絡は六年前だ。私の記憶では館内の案内所はエスカレータの横だったが、今は向かひに移った。
六月十八日(日)
その翌々日はタイレストランは弁当が五つあった。この日は五階の診療所街を見るつもりだったが五階に止まるエレベータの乗り場が判らず、五十階に行った。ここは高級なレストランが四つと西向きの展望台がある。前に高層ビルが出来て見えない方角があるものの、展望台の価値は建設時と比べてまったく損ねてゐない。最近は無料展望台を設けない高層ビルが多いなかで、公共性を保った展望台は貴重だ。店内風の階段で四十九階に降りて、ここにも四つレストランがある。そして一階に降りた。
六月二十一日(水)
その次の日は五階の診療所街に行った。驚いたことに歯科が二つと、灸治療と美容室が一つづつしかない。あと今年二月に閉店した調剤薬局が一つ。ここも点灯するので営業所として使ってゐるのかも知れない。私が一週間ほど前に野村ビルのホームページを見たときは、まだ薬局が載ってゐた。この日は既に無かった。
他の高層ビルの診療所街は繁盛するのになぜ野村ビルだけ寂れるのか。一つはエレベータを一階で乗り換へないと行けない。四階は社員向け食堂街ですべてのエレベータが止まるのだから、三階と四階を結ぶ階段を設ければ違ふはずだ。あと一階から五階までエスカレータで行けるとビルの外の患者を見込める。四階の食堂街と同じで、診療所街は福利厚生の意味合ひも強い。高層ビルの模範として診療所街は繁盛を取り戻してほしい。
六月二十二日(木)
野村ビルの調査はこれで終了し、次の日は常円寺の裏の墓地との間の道まで行った。かつて両側が白いコンクリート製の塀に囲まれた中を新宿駅まで歩いたものだった。
今回両側が網に変った。私の記憶より道路幅が二倍になった。しかし両側の電柱は古い。この道路と連続する西側の道路は狭い。拡張して電柱は二十年の風雨で古くなったのかとも一旦は思ったが、よく思ひ出してみると道路幅は最初からこれだった。塀がコンクリートから網に変っただけだ。(完)
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