九百五十五 今が神仏再習合の好機だ(付録、浄土真宗本願寺派水月昭道を批判)
平成二十九丁酉年
三月二十五日(土)
仏教が日本に入って以来、千年間に渡る先人の苦労を明治維新は破壊してしまった。本来はここで徳川幕府による寺請け制度が仏教の活力を奪ひ、西洋の軍事力と云ふ異常状態で廃仏毀釈を生んだと薩長に助け舟を出すところだが、加計学園のせいで安倍内閣との関係が悪化したため、廃仏毀釈は邪悪な行為だと云ふ歴史学上(西洋猿真似ニセ学者を除く)本来の評価で先に進みたい。
廃仏毀釈と云ふ邪悪な行為が先の敗戦を生み、国家神道は国家を離れて国民を救済すると云ふ本来の立場に戻った。しかしGHQは日本の非西洋部分を破壊することにのみ専念したため、国家からは独立させたものの神仏習合までは行かなかった。
その結果、日本全国各地の神社のうち、大きな社を除くほとんどの神社では、神主は食わん主と互ひに云ひ合ふほど困窮を極めることになった。今こそ神仏再習合の好機だ。しかしだからと云って仏教界は喜んではいけない。お寺の収入で神主の生活も保障しなくてはならない。

四月三日(月)
まづ、神社に仏像を安置し、僧侶が神前で読経するところから始めたらどうか。寺院が神社を支配するのではなく、神社が寺院を支配するのでもない。対等な関係で交流すべきだ。

四月五日(水)
仏教側に改善すべきことがある。自分の子を弟子にしてはいけない。師匠弟子の関係より親子の関係のほうが強い。弟子でも実態は親子だ。まづ僧侶どうしで互いに子を弟子にし合ったらどうか。そのうちに檀家のなかから優秀な人を弟子にと流れが変はるかも知れない。
住職は何回か移動させるべきだ。明治維新以降も僧侶の履歴を見ると幾つか寺を遍歴するのが普通だった。末寺に活力が無くなったから移動できなくなったのか、移動しないから活力が無くなったのか。
今は世間全体で共稼ぎが普通になった。僧侶の配偶者は寺以外で働くべきだ。そして徐々に寺は宗教施設に特化し、僧侶は交代で寺に宿泊するとともに僧侶の家族は寺以外の借家かアパートに住むやうにすべきだ。

四月十五日(土)
読売新聞に「浄土真宗本願寺派住職 水月昭道」なる人の主張が載った。これは批判しなくてはいけない。どこが悪いかと云へば
伽藍などの建築物については、150年程度のスパンで建て替えを視野に入れねばならない。(中略)その費用は、最低でも2億円ほどかかる。お寺の多くは自転車操業で、そうしたストックがあるケースはほとんどない。そんな状況の中で伽藍の建て直しが必要になれば、多くのお寺では檀家さんに相談をさせていただくほかないだろう。
 お寺任せにはしておけないし、逃げることもまた難しい。このような状況のなかで、檀家さんは、どうやって先祖代々のお墓や地域の縁を守ればよいのだろうか?
まづこの人の発言には信仰心がまったく感じられない。あるのはあたかも銀行が「借金を取り立てますよ。逃げることは難しいですよ。」と脅すやうなものだ。借金は借りたカネだから返すのが普通だ。この人は「檀家さんに相談をさせていただくほかない」と銀行より悪く、借金が無いのにカネを出せと云ふ。次にこの人の解決策を続けて読むと
 ほとんどのお寺は、明確な雇用のルールがあるわけでなく、給与体系も曖昧だ。(中略) 私とは別の宗派の寺の話だが、知人の檀家さんたちは、住職が死去し、跡継ぎ不在となった段階で、新たな取り組みを実行した。宗教法人の規約に給与体系などを明記したのだ。
 意欲的で有能な僧侶を招くため、まず、「住職」の職務に対して、役場の部長クラスの給与を支給することにした。諸手当の他に年間60万円の退職金の積み立ても制度化したという。
こんなことを云ふ人間は宗教者ではない。だいたい役場の部長クラスの給与とは一体何だ。基礎産業(農業、商業、製造業、サービス業、つまり全産業だが為替差益や地球破壊や税金で生活するのではなく真面目に働く多くの国民)の生活を何だと思ってゐるのか。
 その一方で、人件費を含む維持管理運営費を十分に捻出することを目的に、お寺の収入確保という観点から“明朗会計”を打ち出した。それまで「お気持ち」として、暗黙の了解のなかで檀家としては忖度そんたくするしかなかったお布施の額について、「葬儀30万円以上」「法事3万円以上」などと明確に法人としての基準を役員の皆で設定したのだ。お墓を新たに作る、納骨堂をもとめるなどの、お寺に新規に所属することになる人からは、いわば「入会金」として50万円を預かるようにした。
これでは墓地納骨葬儀式典業だ。宗教心がまったくない。都道府県知事はこんなことをやる寺院に宗教法人解散命令を出すべきだ。

四月十七日(月)
戦国時代に本願寺派と高田派などが敵味方になって戦ったのはなぜかと、かねて疑問を持ってきた。結論として、非僧非俗として妻帯したことが財産欲を生んだのではないかと云ふことだった。妻帯しなければ何とか生活できる。妻帯すると生活費がはるかに掛かる上に、生活費を稼ぐことに注意が向いてしまふ。
今後は子供の自由意思に任せて「社会で活躍したいなら社会に出て構はない、お寺のことは宗務庁に任せるから」と話し、在家として寺を支へるべきだ。とうてい所帯を持つことは不可能だが僧侶として活動したいと云ふ人にこそお寺を任せるべきだ。

四月十九日(水)
神仏分離の修復、僧侶妻帯の廃止、僧侶と神官の低収入問題の解決は、伝統に沿って解決すべきだ。かつて社僧と云ふ僧形で寺と神社に勤務する者がゐて妻帯もできた。神職を置くことが不可能な神社は僧が社僧となり寺と神社を運営するとよい。神職が社僧となり神社と寺を管理してもよい。(完)

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