九百五十四 大雄山参拝記
平成二十九丁酉年
三月二十四日(金)
先日、藤沢、秦野、曾我に行く用事があった。ついでに足を伸ばし大雄山最乗寺の参拝をした。松田で小田急から御殿場線に乗り換へようとしたが、一時間以上の待ち時間がある。バス停を見ると大雄山行きのバスが10分弱で来る。と云ふことで往路はバスに乗った。大雄山で道了尊行きのバスが停車してゐたのでこれに乗った。

三月二十六日(日)
箱根は小田急(とその背後の東急)と伊豆箱根鉄道(とその背後の西武)が勢力争ひを繰り広げ、箱根山戦争と呼ばれた。そのおかげで双方のグループからクーポン券が発売され、正規の運賃より安く旅行できるのは喜ばしい。競争が無かったため原発事故を起こした東電や、今でも競争が無いため駄番組しか作れずアナウンサー崩れの政治評論家猿真似や芸能人猿真似のNHKとの大きな違ひだ。
しかし近年は箱根登山鉄道、大涌谷を経由するケーブルカー、ロープウェイの小田急系が優勢になった。伊豆箱根鉄道側は大雄山線を有効利用できてゐない。だから大雄山から道了尊、大涌谷を経由して駒ケ岳までケーブルカー、ロープウェイを作るのがよい。とは云へ自家用車の普及とともに、或いは海外旅行の普及と共に、箱根の公共交通利用者は減少した。
私は平日に道了尊を参詣したので、その静けさが気に入った。この静けさを保護するためにこのままがよいと云ふ思ひもある。一方で大寺院には観光客を教化する任務があると云ふ思ひもある。いづれにせよ、小田急と伊豆箱根鉄道は今後も競争を続けてほしい。

三月三十一日(金)
総受付で、永平寺、総持寺、最乗寺の関係について尋ねた。予想通り最乗寺は総持寺の末寺だった。次いでに岩手県水沢にあるお寺(このときは寺号を忘れた)と永平寺、総持寺の関係について質問したが、受付の方も寺の名前が判らず後方に居られた僧が正法寺だと助け舟を出してくださり、これも予想通り総持寺の末寺だと判った。
総持寺の末寺と予想した理由は、総持寺の末寺は永平寺の末寺と比べて圧倒的に多い。だからたくさんの末寺を持つ二つのお寺は総持寺の末寺と予想はしてゐた。しかし総持寺日曜座禅会(今は廃止)に参加してから二十三年目で判った。
灯篭に独住十八世だとかの記述があるので、総持寺と同じでかつては輪番制だったやうだ。総持寺と最乗寺は輪番制を復帰したほうがいい。平日だったが観光客のほとんどゐない静かな雰囲気だ。お寺はかうでなくてはいけない。

四月三日(月)
帰りは大雄山駅まで歩いた。遊歩道が整備され地元の観光への熱意を感じた。お寺に近い部分はあじさい参道と呼ばれるさうだ。観光は宗教心または学術心を高めるものでなくてはいけない。だからかつて鉄道の終点は川崎大師や成田山などお寺だった。
途中、酒屋で地酒の湾カップを買って歩きながら飲んだ。地酒からその地域の文化度が判るのではないかと最近考へ始めた。酒屋はクリーニング屋兼業だった。酒造所とは別に、酒屋からも地域の文化度が判るかも知れない。
駅に着き、プラットホームと平行に電車庫がある配置に昔の鉄道の面影を感じた。しかし大雄山線は典型的な通勤路線だ。黒字なので伊豆箱根鉄道は観光路線に力を入れなかった。(完)

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