九百五十(その二) 加計学園は教育機関と云へるか、加計学園理事長は教育者と云へるか
平成二十九丁酉年
三月二十九日(水)
学校教育法第四条に掲げる学校は、許可がなければ設置できないし、民間では学校法人しか運営できない。ところがこれを逆手にとる連中がゐる。学校を運営することで立派な人間を装ったり、教育者を装ふ人間である。
加計学園がこれに該当するかどうかをこれから検証して行かう。
三月三十日(木)
既に結論は出てゐる。卒業生の将来まで考へない人間は教育者ではない。だから今回は別の角度から徹底的に教育機関とは何か、教育者とは何かを考へたい。
まづ学校法人名に苗字を用ゐるところは失格だ。学校名或いは掲げる理想を表すべきなのにそれをしない。組織の性格は無意識のうちに名前に似てくる。苗字を学校法人名に用ゐると自分の子供に跡を継がせようと考へるやうになる。これでは学校法人ではない。法律を改定し、理事の世襲は禁止すべきだ。
仮に世襲が禁止されてゐたとして、加計さんは学校法人を設立したか。
四月一日(土)
学校法人は非営利法人だ。営利法人との違ひは配当できるかどうかだが、理事長の報酬が多すぎると配当と変はらない。親戚や知人を幹部として優遇してゐないか。もししてゐた場合は営利法人だから、文部科学省は学校法人を解散させるべきだ。学校を増やしたい学校法人はたくさんある。文部科学省は処分を出すことに心配はいらない。
四月二日(日)
学校法人には目的分野がある。日本獣医生命科学大学は学校法人日本医科大学が経営し、これは医学が獣医学に分野を広げたものだ。同じやうに北里大学の獣医学部も医学が獣医学に分野を広げたものだ。麻布大学は単科の獣医学科が発展し、日本大学は山田顕義の始めた日本法律学校を総合大学として発展させたものだ。
それに比べて加計学園はいったい何だ。目的とする理念があって教育を始めたものではない。進出できる分野に次々と手を広げただけではないのか。一番初めの岡山電機工業高等学校から岡山理科大学までなら、理科教育を目的としたと考へられる。ここまでは加計勉さんの功績だ。それに比べて加計孝太郎なる男はいったい何だ。Wikipediaを調べると
学校法人加計学園理事長・総長、広島加計学園長、フィンドレー大学理事、日本私立大学協会理事、岡山県国際交流協会理事、岡山県郷土文化財団理事。岡山県日中教育交流協議会参与。特定非営利活動法人日本・ミャンマー医療人育成支援協会顧問、岡山北ゴルフ倶楽部理事。
広島県出身。立教大学文学部卒業。
勿論本人が書いたのではないだらうが、役職名を並べるのはよくない。その人の功績があり、その結果として役職があとから付いてくる。これが普通の人だ。ところが一部の人間はカネに物を云はせたり、役職をたくさん集めることだけに集中する人間がゐる。功績を書かずに役職名を並べるところを見ると、後者だと疑はれても仕方がない。文学部の出身者がなぜ獣医学部に進出しようとするのか。そこからして濡れてに粟商法を疑はれるし、これまでの教育分野とも無縁だ。
本来は次に各学校の進出分野と、各教員や学校法人の著作を調べて徹底的に批判すべきだが、加計さんがミャンマー医療人育成や日中教育交流に関はってゐることを今回初めて知った。呼び方まで「加計孝太郎なる男」から「加計さん」に変はった。加計さんもマスコミ報道で獣医学部は辞退したほうがいいのではと検討してゐることを期待し、とり合へず一旦終了したい。(完)
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