九百四十六 1.平和人間の勧め(防御は最大の攻撃)

、2.日本に労働組合は不要だ、一つの例外を除いて 平成二十九丁酉年
三月五日(日)
私のホームページを読んで、ずいぶん攻撃的だと思ふ人もゐるだらう。実際は正反対で、私は平和人間を自任してゐる。平和人間とは「防御とは最大の攻撃」のことだ。「それでは逆だ、攻撃は最大の防御だ」と思ふ人もゐよう。それをこれから説明したい。

三月六日(月)
戦術として「攻撃は最大の防御」はあり得る。防御だけしてゐては後手に回ってしまふ。しかし戦略、別の表現をすれば人生の目的として「攻撃は最大の防御」はあり得ない。織田信長のやうに身を滅ぼすか、西洋野蛮人のやうに地球を滅ぼす。

三月九日(木)
かつて春闘で毎年ストライキがあった。今考へると悪い戦術だった。大労組組織労働者は給料が上がる。人手不足の世の中だから中小未組織労働者も給料が上がる。農村を地盤とする議員の尽力で米価も上がる。日本医師会まで医療費を増大させた。物価も上がった。そしてここからこぼれ落ちた個人商店や米以外を作る人たちが損をした。
この時代にこんな横暴が許されたのは、総資本対総労働の考へがまだ残ってゐたからだ。この考への消滅した今となっては、労働組合が横暴を極めることは許されない。

三月二十五日(土)
私はホームページの特集(今日現在だと最新の「954 大雄山參拜記」など)を始めるときに、終着点をアナログ思考で想定する。アナログ思考とは、言葉にはしないがこんな風に終結させようと考へる。アナログ思考にも完全なアナログと、デジタルに近い場合がある。完全なアナログは四百三十八、歌舞伎「シロアリ五人男」がその例で、五人の登場人物を決めればあとはあらすじを考へられると想定した。つまり考へられると思考しただけであらすじは考へなかった。
デジタルに近いのが今回で、私が二十四年間今の会社に勤めることができたのは賃上げなどを要求せず、その背景として世の中がデフレだったことを挙げようと思った。次に予定を変更し、不要なところにあるユニオンショップの大労組は社会に有害なことを書かうと思った。デフレ下では有害だし、インフレ下でも今考へると有害だった。そして題にも「2.日本に労働組合は不要だ、一つの例外を除いて」を追加した。
それから十五日を経過し、会社の本棚に『貞観政要』と云ふ昭和五十年(1975)の書籍を見つけた。中国文学者守屋洋さんの著書で、守りが大切だと云ふ節は同感だ。と云ふことで、今回はこれを紹介し終結としたい。
貞観十年、太宗が側近の者にたずねた。
「帝王の事業のなかで、創業と守成といずれが困難であろうか」
(中略、ここで二人の重臣が創業、守成の立場からそれぞれ意見を述べる)
太宗が言った。
「(前略)今後はそちたちとともに、心して守成の困難を乗り越えて行きたい」

これに続き、解説として次の文章が続く。
将棋の大山康晴がうまいことをいっている。「わたしの将棋は守りの将棋だといわれているが、この守りというのは、アマチュアの考える守りとは全然ちがう。普通のアマチュアは、相手に攻め込まれて、どうしようもなくなって守りに回わる。だからその時はもう手のほどこしようがなくなっている。
わたしの守りは、相手の攻めの先を読んで、対策を考える、そういう守りなんです。ですから、本質は守りではなく、攻めです。升田(幸三)さんは、わたしと対照的に、よく攻めの将棋だといわれているが、とんでもない。あの人の将棋の本質は、守りですよ」
(完)

追記三月二十六日(日)
将棋は相手の王将を取り合ふ競技であり、よく考へると私の主張する「平和人間の勧め」とは異なる。私はこちらからは攻撃しないが、相手が理不尽な攻撃をするときは(例へば「日本死ねの民進党」による国民への嘘付き消費税増税など)平和のために反撃しろと云ふものだ。それにより理不尽な攻撃をしなくなるから平和が訪れる。

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