八百八十四(その二) 東京唯物論研究会編「戦後思想の再検討 人間と文化篇」佐藤和夫さん

平成二十八年丙申
十月十三日(木) 東京唯物論研究会編「戦後思想の再検討 人間と文化篇」佐藤和夫さん、その一
千葉大学助教授佐藤和夫さんの「文化運動と高度経済成長」には、半分賛成半分反対だ。ここでは労音について考察されてゐる。まづ反対が出現する。
ヨーロッパでは、ルネッサンス以来、芸術家は貴族やブルジョワジーの積極的な援助を受けてきたのにたいし、日本では「河原乞食」という言葉に象徴されるように、劇やその他の芸術は、長い間、賤しいもののするものとさげすまれてきた。
ここで問題なのは、ヨーロッパが正しく日本が間違ってゐるといふ発想が根底にある。貴族やブルジョワジーが積極的に援助するのがよいか、それとも援助しないほうがよいかは賛否両論ある。私は長い歴史を持つものは後世のため援助すべきだが、明治維新以降に起きたものは滅びるなら自然に任せたほうがよいと云ふ立場だ。もう一つ問題なのは、日本では能、狂言のやうに幕府や大名から援助されたものと、歌舞伎のやうに何回か取り締まりの対象になったものがある。佐藤さんは後者だけ取り上げて、ヨーロッパと日本は異なると主張するがその姿勢はよくない。更になぜ保護するものと取り締まりの対象になるものと分かれたのか、なぜ現在では能、狂言はほとんど国民の目に触れないのか、そこも議論すべきだ。私は明治維新以降の西洋のものが優れてゐるといふ間違った文化政策が国民を能、狂言から乖離させたのだと考へる。子供のときからこれらに親しめば、その良さが判る。
労音は昭和二十五(1950)年に発足し毎年会員が増え続けて昭和四十(1965)年には63.8万人に達する。ところがそれから会員が激減し昭和四十七(1972)年には17.6万人にまで減少する。労音の理念に「よい音楽」がある。これについて
まず、とにもかくにも、専門家によるクラシック音楽の演奏を聞くことであった。(中略)ポピュラー音楽がとにかく最初に例会としてとりくまれたのは、創立三年後の五二年七月の東京シンフォニックタンゴの演奏会であった。この例会は好評で、(中略)ポピュラーミュージック例会(PM例会)が正式に発足した。
当初、「よい音楽」には流行歌は含まれておらず、「こんな女に誰がした」といった「退廃的な流行歌」を追い出すことが、労音の目的であった。先述の東京シンフォニックタンゴの例会も、実は「流行歌追放は私の念願」とする(氏名略)を指揮者として行なわれたのである。
この主張は絶対に反対だ。「こんな女に誰がした」が「退廃的な流行歌」であり、追ひ出したほうがよいのは私も賛成だ。しかしタンゴだってダンスは社会に有害だ。男女が両手を合はせて踊る。西洋では許されても東洋では有害だ。西洋の風俗として鑑賞するならよい。音楽については人それぞれ音楽観があるからそれを尊重すべきだが、戦後の米軍占領下で強制された音楽観は人為的に元に戻さなくてはいけない。それなのに
おもしろいことだが、当時、PMには日本語の流行歌などは含まれておらず、PMとは、クラシックのポピュラーなものであるとか、ジャズやタンゴのことであるといった議論が行われていた。(中略)しかし、現実には「流行歌は一向すたれないばかりか、いぜんとして勤労大衆の中につよい支持あり、労音の会員ですら、酒を飲むとトンコ節をうたい(以下略)
大阪労音十年史によると専門家による次のような論が展開された。
(1)流行歌は人間の肉体や官能に直接訴えることによって「肩のこらぬ」大衆性を獲得しているが、それは理知的理性的な批判を拒否する性質があって危険である。
肉体や官能に直接訴へるのは流行歌で儲けようとする資本主義の目的が原因ではないのか。資本主義以前に肉体や官能に訴へることはあっても、利益だけを目的とする組織の運営ではなかった。経営者個人には良心も悪い心もあるが、利益を目的とする組織だと良い心がまったくなくなってしまふ。そこを指摘すべきだ。
(2)音楽的にみても和声に欠け、白痴的な音感構造の上に成立している。
これは悪質な西洋音楽押し付けだ。和音を用ゐない特長もある。それは音程を細かく気にする必要がなくなる。ドは一つ下(オクターブ下のシ)の音階との中間より上から、一つ上(ド♯)の音階との中間より下まで広い範囲になる。或いは半音を気にしなければ全音で一つ上(レ)との中間より下全部になるが、幼稚園、小学校、中学と西洋音楽の教育を受けた現代人からすると全音の半分まではさすがに無理がある。
(3)その原因は日本の封建性と抑圧された生活環境にある。
これは悪質な祖国文化批判だ。封建性と抑圧された生活環境は西洋にもあった。筋違ひも甚だしい。
(4)古典音楽にの鑑賞には「気らくさ」ではなく、一種の「きびしさ」が必要である。
これは悪質なエリート意識だ。また子供のときから西洋音楽を聞けば西洋音楽は「気らくさ」で聞けるし、子供のときから「常磐津」を聞けば常磐津は「気らくさ」で聞ける。音楽エリートたちは子供のときから西洋音楽を聞いてきたから「きびしさ」と云ってもそれは、庶民の「きびしさ」の百分の一だ。
以上は大阪労音十年史に載った専門家の意見であって佐藤さんではない。
ヨーロッパのクラシック音楽が、王侯貴族からはじまってブルジョワジーを主要な対象として発展してきたという問題を第一に考えねばならない。(中略)マルクスらもいうように、資本主義による商品の流通は、あらゆる地域、共同体の組織を裂き、あらゆる地域的特性をつきやぶり、共同体のつくりあげる文化を破壊していく。
完全に同感だ。

十月十五日(土) 東京唯物論研究会編「戦後思想の再検討 人間と文化篇」佐藤和夫さん、その二
佐藤さんは昭和三十六(1961)年から昭和四十八(1973)年までを第二期とし、昭和三十五年の安保闘争の高揚を踏まへ、次のやうに述べる。
もはや、政治か文化(音楽)かという二者選択ではなく、「勤労者の立場にたった音楽運動」(中略)と明言される。(中略)この問題は、七三年まで続く深刻な問題となっていった。
もう一つの新しい特徴、流れは、民族的性格の強調である。ラジオ、レコードなどのマスメディアの急速な発展は、アメリカのロックンロール、ジャズなどの影響力を急速に強めたが、それらに対しては「内容的には日本の勤労者に植民地的、たいはい的な感覚をもちこみ、勤労者の人間性をひくめ、その連帯性についての自覚をねむらせる役割」を果たしていると厳しい評価が加えられた。
これも完全に同感だ。この当時の左翼は左翼崩れではなかったことがよく判る。さて昭和43(1968)年に
一連の学園闘争が活発化し、それに対応するかのように、フォークや演劇などさまざまな運動がおきて、そのなかには、かなりアナーキーなものや解放的な気分にあふれたものが少なからずあった。(中略)これまでの労音運動とははっきり傾向の異なる面があらわれていた。
直接、問題になったのは、集いのためのチラシに、「アンポNO!エキスポNO!インポOH!」というスローガンが入っていて、インポOH!とは何ごとだ、不真面目だ、という批判で(以下略)
私も何ごとだ、不真面目だ、と感じる。左翼が社会建設勢力から社会破壊勢力になりつつあった。フォークの中には曲や歌詞の優れたものもあるが、多くは退廃的だ。これは世代断絶が原因だ。終戦のときに未成年だった人は精神的に大きな悪影響を受けた。

十月十六日(日) 東京唯物論研究会編「戦後思想の再検討 人間と文化篇」佐藤和夫さん、その三
佐藤さんは昭和四十八(1973)年に「労音運動の基本任務」が改正されたことを取り上げる。この年から昭和五十五(1980)年までを第三期とした。昭和三十六(1961)年に制定され基本任務は
労音運動は、日本民族の進歩的音楽運動の伝統をうけつぎ発展させ、海外諸民族の民主的文化遺産に学び(以下略)
労音運動は、勤労者の立場に立つ民主的な音楽運動である。その組織原則はサークルの活動を基礎にした(以下略)
昭和四十(1965)年をピークに労音の会員は減少する。その原因は基本任務の三つだと佐藤さんは云ふ。
第一は、労音が「大衆的で民主的な鑑賞運動」であるべきはずだか、六十年代初め頃から、その目的が新しい音楽を想像することにあるような「創造団体的性格」をもった。(以下略)
私は「創造団体的性格」をもつことに賛成だ。金儲け主義の低俗な音楽に反対のものを想像すべきだ。しかし低質なものであってはならない。そのためには音楽家が労音に親しみを持つやうにすべきだ。
第二の問題点は、「勤労者の立場にたつ」ということの理解にある。(中略)「音楽を愛好する人なら、誰でも一人でも簡単に入れる組織でなければならない」とした。
これはよいことだが、だとすれば労音は存在意義がなくなる。音楽を愛好する団体を装ひながら共産主義革命を遂行する団体だとかの、下心を持ってはいけない。下心を持たず労働者は主人公の地位を辞退し、音楽家を主人公となる団体にすべきだ。
第三には、「労働者が創造と音楽運動の主人公であるということから、専門的創造活動や専門家の活動への無理解な言動や、粗雑で乱暴な「音楽批判」をおしつけ(以下略)
さうならないために、これまで書いてきたやうに音楽家が労音に親しみを持つやうにし、その音楽家を主人公にすべきだった。次に改正された「基本任務」は
労音運動は、「良い音楽を安く、多くの人びとに!」の基本スローガンのもとに(以下略)
労音は、音楽を愛好する人なら、誰でもが個人として参加できます。(以下略)
佐藤さんは改正の前と後で三つの違ひがあると述べたが、これらより重要な違ひがある。それは民族と云ふ言葉が改正前には入ってゐた。日本民族だけではなく海外諸民族も言及し、均衡が取れてゐる。私は民族と云ふ言葉は西洋野蛮人の作ったものでありほとんど使はないが、共産主義者は帝国主義からの解放のため民族解放をさかんに提唱した。だからこの流れで民族と云ふ言葉を使用することは良いことだ。この語を使用することにより、伝統を尊重する心も生まれて唯物論を克服することもできた。
敗戦による世代断絶と、高度経済成長が日本を悪い意味での唯物論に追ひやったと云へる。ここで「悪い意味での」といふ枕詞を付けたのは、書籍が唯物論研究会のため、この時点ではまだ悪化してゐない唯物論者の皆さんに敬意を表してのことである。


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