八百八十四 唯物論研究協会、唯物論研究会の書籍を読む(その三)

平成二十八年丙申
十月十六日(日) その他の書籍
平成四(1992)年に出版された唯物論研究協会編「社会主義を哲学する--崩壊から見えてきたもの--」を1/3読み、これは論評が可能だと思った。先頭から1/3まで読んだのではなく読んでゐるうちページめくりになって、それでも普通は速読で100%理解するのだが1/3しか頭に入らなかった。平成七(1995)年の唯物論研究協会編「終末の時代を超える」は10%読んだ。これは全体の半分程度目を通してあまり読み進む気にならなかった。そして頭に入ったのは10%だった。
それでも論評を書かうと(その三)を作ったのだが、再度読む気にならない。私は数年前まで共産主義の書籍は読まなかった。実際に共産主義者の言動を見れば、読まなくても判るからだ。その後、労組の左翼崩れの連中の金銭スキャンダルや男女スキャンダルがあまりにひどいので、マルクスを読んで彼らに正しい路線を示す必要が出てきた。労組に介入しようとする反日パンフレット(自称朝日新聞)編集委員にも反対することになるが、それは後に判った話で、しかも結果としてのことだった。
今回、唯物論研究会などの書籍を読み、私が左翼崩れと感じる人たちは、実は平成年間に入り唯物論者たちによって研究されたものだと判った。左翼は社会を破壊する資本主義に反対し社会主義を作る。左翼崩れは社会を壊す。そのことも特に「終末の時代を超える」で感じた。

十月十七日(月) 二冊の問題点
再度読まうとは思はないが二冊のどこが悪いか印象に残ったことを記したい。「社会主義を哲学する--崩壊から見えてきたもの--」で古田元夫さんは『ベトナムにおける「社会主義の道」』において昭和六十一(1986)年に行はれた党大会は
従来の「貧しさを分かちあう社会主義」という発想から訣別して、「刷新」(ドイモイ)が提起された。(中略)国内の革命戦争であれ、外敵にたいする抵抗戦争であれ、戦争から生まれた「アジア」の「社会主義国」では、軍隊は「国軍」である以前に「党の軍隊」である。(中略)このような軍隊が、みずから進んで「社会主義」を放棄するというのは、当面は考えにくいシナリオであり(以下略)
膨大な犠牲者を出してベトナム戦争に勝利したのだから、ベトナムは社会主義を放棄してはいけない。それでは戦没者が浮かばれない。次に普通選挙は正しくないと云ふ立場に社会主義者は立たなくてはいけない。普通選挙と云ふのは数の多いほうが勝ちだからつまり戦国時代と変はらない。古田さんはこの二つを放棄し、それでゐて共産主義的唯物論を保とうとするのだから無理がある。
「終末の時代を超える」では「性の自由について」と云ふ論文がある。唯物論者たちは社会主義建設を放棄しあとは社会を破壊することだけが任務になってしまった。

十月二十日(木) ドイツ・イデオロギー
今回同時に「マルクス・エンゲルス遺稿 アドラツキー監修 唯物論研究会譯」の「ドイツ・イデオロギー(1)」と云ふ本も借りた。「横濱市圖書館」と云ふ大きな蔵書印が押してある。邦譯者序言一九三五年十二月七日。そこには
本書はソヴェト同盟におけるマルクス・エンゲルス・レーニン研究所で、アドラツキー監修の下に編纂されてゐる『マルクス・エンゲルス全集』の第一部・第五巻の飜譯である。(中略)アドラツキーは(中略)辨證法的唯物論の世界觀確立としての、及び人間の歴史の眞に科學的な把握たる史的唯物論確立としての本書の意義を述べてをり(以下略)
とある。一九三五年と云へば昭和十年。日華事変の起きる二年前だ。この書を翻訳した人々に敬意を表したい。スターリン批判、フルシチョフの失脚、ソ連崩壊が後に起きるとはこの時点ではまったく予想できなかった。今から見るとスターリンの大量粛清を正当化するため従来の社会規範を破壊する必要があった。そこでソ連はやたらと哲学を叫んだだけではなく、アドラツキーにマルクスの原稿の改変をやらせた。
奥付を見ると昭和二十二年二月に發行、昭和二十三年九月に再販發行とある。邦譯者序言のページに「4020/1/125」と押印された旧図書番号の上に赤い×を押印し、書籍の背には「363.3/1/7」の新図書番号のシールが貼ってある。古い本なので紙袋に入った状態で貸し出す。貴重な書籍ではあるが、本文は読まず返却することにした。

十月二十二日(土) 清水正典著「人間疎外論」
不破哲三『「科学の目」で日本の戦争を考える』と古在由重訳マックス・ヴェーバー「ヒンドゥー教と仏教」を返却の後、イ・ヴェ・スターリン著マルクス=レーニン主義研究所訳「弁証法的唯物論と史的唯物論」、清水正典著「人間疎外論」を借りた。東京唯物論研究会編「戦後思想の再検討 人間と文化篇」を読みそこで引用された書籍のうち六冊を選んだうちの第一弾だった。まづスターリンの本を数ページ読んで、大量殺人者の本を読む価値があるのかと熱意が冷めた。といふことでこの本は読まずに返すことにした。
清水正典著「人間疎外論」は111ページまでは全文を読んだものの、その後はページめくりになった。111ページまでで取り上げようと思ったところが七箇所あり付箋をつけたが、それが全体とつながらない。付箋を付けた後に当ホームページで紹介しないのは今回が初めてだ。唯物論はやはり空虚な思想なのだ。
これは唯物論といふ単語が悪い。唯物論だから人を殺しても何とも思はないし、文化は物以外だから無視する。ロシア革命がたまたま成功したため、一つの学説に過ぎなかったマルクスが有名になり、ソ連は英仏独伊米の帝国主義から祖国を防御するため民族解放を掲げてこれに対抗し、孫文やホーチミンはこれに頼った。共産主義は、唯物論の資本主義と戦ふから唯物論の弊害が相殺された。ソ連崩壊で資本主義と戦はなくなった唯物論は、悪魔の思想と云へる。(完)


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