八百七十一 社会を破壊する反日パンフレット「朝日新聞批判その三十六(マスコミの横暴を許すな65)」

平成二十八年丙申
八月十七日(水) 何が本質かを考察しない
十四日の社会破壊西洋猿真似新自由主義反日パンフレットは出来が悪い。何が本質かを考察せず、平和、平和と叫ぶからだ。このやうな文章が五つも載った。一つならまだしも五つはしつこい。そればかりではない。登場した人は全然悪くないのに、載せられることで醜い対象になってしまった。反日パンフレットは人間を使ひ捨てる。気を付けないと踊らされるうちに最後は、就職先が無い、世間から相手にされない、となりかねない。
そのことに気付いた団体が数日前に解散した。この団体は安全保障関連法に反対してデモを行ったが、国民のほとんどは冷ややかな目で見た。偏向マスコミが繰り返し繰り返し報道するから名前を聞いたことがある。その程度だった。今回解散してメンバーは就職や進学をするといふ。偏向マスコミの使ひ捨てにされなくてよかった。

八月二十一日(日) 何が原因かを書かない
あのときアジアで植民地にならなかったのはタイ、中国、日本だけだ。第一次世界大戦のあと、植民地獲得戦争は一時休止したが、再開されるのは時間の問題だった。英米仏蘭が広大な植民地を持ったまま世界平和が訪れることはあり得ない。日本の場合、幕末に黒船が現れ、このままでは植民地にされると云ふ恐怖心から明治維新が起きて、西洋式の陸軍と海軍ができた。
戦争の原因は西洋列強の植民地支配だ。そのことに言及せず何回同じことを書いても意味がない。紙とインクが無駄になるだけだ。

八月二十七日(土) 時代の変化を考へない
昔は伝染病で亡くなる人が多かった。少し前まで元気だったのにあっといふ間に亡くなる。そんなことが多かった。今、日本で平均寿命が高いのは人口一人当たりのGDPが世界でも有数だからだ。昔と今で死生観が異なることをまづ無視してはいけない。だからと云って戦争がよいとはならない。それには宗教観が必要だが、反日パンフレットは日本の社会を破壊し西洋化することを目指してきたから宗教観を論じることは無理だらう。
二番目に人間は目の前にあることは何とも思はない。目の前にないことは奇怪に感じる。一つの例を挙げると、私が子供のころは交通事故の死者は1年に1万人だった。今はだいぶ減って四千人強だ。大まかな計算で昭和二十年から昭和六十年までに40万人が亡くなった。これだけ大量に犠牲者が出るのだから常識で考へれば自動車は禁止すべきだった。或いは産業以外の自動車は禁止すべきだった。それなのにやらなかった。これなんかは目の前にあることは何とも思はない典型だ。もう一つ例を挙げると、鉄道のホームが混む駅はいづれホームドアが全駅に設置されるだらう。そのやうな時代から今を見ると、ホームいっぱいに人がゐるのにホームドアが無い、何と危ないことを平気でやる時代だったのだ、と誰もが思ふことだらう。
戦争の時代を生きた人たちは、戦犯の遺族にも年金を与へる法案を共産党を含む全会一致で可決し、戦友会を毎年開催し、部隊ごとに護国神社などに慰霊碑を建てた。これらの人たちは戦前は軍部に洗脳されても、戦後はマッカーサに再洗脳された。つまりこれらの人たちの意見こそ偏向が中和され、あの時代を評価するには一番正しい。今頃になって時代の変化を無視して奇怪観を煽る反日パンフレットには、何か別の意図があると疑ったほうがよい。

八月二十七日(土)その二 文章の表面しか見ない
悪質な文章がある。この日の天声人語だ。
戦前の昭和恐慌のころを描いたのだろう。詩人の吉田嘉七が「銀行は倒産し・・・・・」と書き出している作品がある。「月給が下がったと言う 物が売れないのだと言う・・・・・・大人たちの暗い表情が 暗い街に溢れた」。局面を変えたのが、大陸での戦火だった。▼1931年の満州事変である。「物がぼつぼつ上がりだし 景気が良くなって来たらしい」。軍事費が増えたおかげだろうか。「戦争が始って良かったね」という大人たちのつぶやきが、中学生である自分たちの耳にも入った。「やがて戦争で殺されるぼくらの」耳に

まづ「戦争が始って良かったね」ではなく「景気が良くなって良かったね」が大人たちの会話の本当の意味だ。そんなことさへ判らないのは、反日パンフレット社の文章作成者が低質なのかそれとも悪質なのか。
次に満州事変は五ヵ月で終結したから戦争特需で景気がよくなるはずはないし、もしその期間に景気が良くなったとしたらそれは世界大恐慌がピークを過ぎたといふことだ。そもそも満州事変は事変だから「戦争が始って良かったね」と大人たちが云ふはずがない。普通の新聞なら記者がこの程度のことは瞬時に気付くはずだ。ところが新聞を名乗るとは云へ実態はパンフレット社だから気付かなかった。この文章は最後に
戦争は上から降ってくるのではなく、ときに私たちの足もとからわき出てくるのだから。

これは正しい。かつて戦争を煽ったのは新聞社で、そのことは丸山真男も認めてゐる。特に朝日新聞がひどかった。

八月二十八日(日) 植民地或いは権益
第二次世界大戦が終了したあとも昭和三十(1955)年くらいまでは、戦争で占領した地域は植民地にするかあるいは権益があるといふのが西洋列強の考へ方だった。だから日清戦争の後に朝鮮半島を属国にするか併合するかは日本に任せるといふのが西洋の態度だったし、日露戦争の後は南満州に日本が特殊権益を持つことは西洋列強が認めてゐた。
このやり方はその土地の住民を無視したものだが、これが当時の西洋の野蛮な思想だった。このやり方が変はったのは米ソ対立が原因で、ソ連が民族解放を掲げるものだから西側はしぶしぶ植民地の完全独立を認めるやうになった。
このことが判らないと幾ら、韓国併合はけしからぬ、満州事変はけしからぬ、と書いてみても今でさへ国民の感覚とずれてしまふ。反日パンフレットの批判すべきはこの当時の西洋の思想なのにできない。それは日本の社会を破壊して西洋化することが反日パンフレット社の社是となって久しいからだ。(完)


「朝日新聞批判、その三十五(マスコミの横暴を許すな64)」
(その二)、「朝日新聞批判、その三十七(マスコミの横暴を許すな66)」

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