八百三十四 1.平成二十八年度のキックオフ(ビル・トッテン氏のアシスト社と同居)、2.国会議員は特権意識を持つてはいけない

平成二十八年丙申
四月二十八日(木) アシストと同居
毎年春にキックオフミーティングがある(昨年の下期へ)。毎年健保会館のホール全体を借りるのに、今年は2/3しか借りることができなかつた。狭くなつたが、机を撤去し椅子を並べたので、全員座れることができた。
1/3を借りたのは会長がビル・トッテン氏のアシストだつた。私が「日本のコンピュータ業界で二番目に正論を述べるホームページ」を名乗るのは、 ビル・トッテン氏が一番と認めてのことだ。
私は受付を担当したから入口にゐると、アシストの会場は人の出入りが無い。会議の始まるのが遅いのかと思つたが、暫くして一人トイレに行つた。既に会議は始まつてゐるのかと思つた。たまにトイレに行く人がゐる。新人研修ではないかと教へる側と思はれる一人に訊いたところ、やはりさうだつた。プログラミング言語を教へるのが大変とのことだつた。

四月二十九日(金) 懇親会
終了後は同じ建物の三階にあるレストランで懇親会があつた。かつてスポーツプラザだつたとき、運動をしたあとにここのレストランでビールを飲むと、これが美味しかつた。私が今の会社に転職する前の話だ。前の会社は私が勤務してゐるときに、この健保組合に加入した。スポーツプラザに行くようになつたのはこのときだ。独身時代だつたから、終つたあとはレストランでビールを飲み食事をした。二十四年前の話だ。部屋は船室を形どつたものだつたと記憶してゐる。
今回の懇親会は貸し切り用の部屋だつた。だから船室を形どつたものとは異なる。四月に入社した人も公衆が終つた後に、遅れて到着した。何人かと話をしたが、先輩に勧められて入社したといふ人もゐた。これは良いことだ。かつては退職者が多く、勧める先輩はゐなかつた。今は勧める先輩がゐる。会社が進化したのかも知れない。

五月一日(日) 国会議員は特権意識を持つてはいけない
勤務場所が横浜から東京に変はつた後に、スポーツプラザに行くのに四谷から歩くようになつた。定期券があるから交通費が掛からないし、歩いて最後を走れば準備運動をしなくて済む。神田川の土手道を歩き途中の法政大学で斜め右に入る。靖国神社の裏を過ぎると右に議員宿舎があつた。あるとき私が歩道を歩いてゐるのに議員会館から車が出てきて私の30cmくらのところを高加速で走り抜ける車があつた。国会議員といふのは横柄なものだ。国会議員に秘書はゐらない。秘書がゐるからかういふ横柄な車が現れる。(完)


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