八百三十三 浅草寺仏教文化講座(竹村公太郎氏、地形から解く歴史の謎-比叡山延暦寺、本願寺-)
平成二十八年丙申
四月二十六日(火)
奈良盆地
昨日の浅草寺仏教文化講座は、第一講座に竹村公太郎氏が「地形から解く歴史の謎-比叡山延暦寺、本願寺-」と題して話された。これは優れた内容だつた。まづなぜ?大和盆地で日本文明が生まれたかで、大陸から遠い、森林の木材、湖を船で移動を挙げられた。
洪水で土砂が来ると、それを撤去せず田んぼにした。当時、木材を10本/年、消費した。現代は1万本/年。奈良盆地10万人で100万本/年。禿山になり湖は埋まり、排泄物を流せなくなり疫病。そのため長岡京に遷都した。
四月二十七日(水)
長岡京
長岡京は三つの河川が合流する。かう云ふ所は洪水になる。長岡京が短期だつたのはそれが理由だつた。歴史家は人間関係で遷都の理由を見つけるが、竹村氏は地形から見つけた。
長岡京の鬼門は逢坂の東北に延びる道路だつた。夷といふ字は弓矢を引いたところ。戦に強かつた。京都に移つてからは東北は比叡山だから鬼門ではなくなつたのに、鬼門だとした。京都は全国の街道が集まる。全国が一つの言語に方言はあつても統一したのも京都に集まるのが理由。
歴史家は人間関係から遷都の理由を見つける。竹村氏は地形から見つけた。あと一つ、占ひ、陰陽道などから理由から見つけることもできる。実際のところは地形と、占ひ陰陽道などの二つが組み合はさつたのが正解ではないだらうか。
四月三十日(土)
石山本願寺
信長がなぜ石山本願寺と大きな戦闘を始めたかは、信長の最初の城、津島が関係するといふ。津島から外洋に出るには河口に長島がある。ここは本願寺の門徒が支配してゐた。石山本願寺は三方が湿地帯。上町台地は地下水が豊富。だから最後の和解の条件は石山から退去してくれといふだけで、賠償金など他の条件はつけなかつた。
このとき和睦派と抗戦派に分かれ、それが東本願寺と西本願寺に分かれた理由だつた。教義の違ひではなかつた。
以上のお話しがあつた。石山本願寺が籠城できたのは、本願寺門徒の結束が原因と云はれるが地形が原因、と云つた後で、勿論信心もあつたのですが、と付け加へるなど、なかなか話が面白かつた。無理に笑はせようとするのではなく、自然の笑ひを誘ふ優れた講演だつた。
四月三十日(土)その二
浅草
今回は特別に浅草の話をされるといふことで、比叡山焼き討ちの謎を省略されたのは残念だつたが、浅草でそれ以上の話を聴けた。まづ家康が江戸に行つた理由として、日本列島の流域図を示された。それによると利根川は広い。
利根川の氾濫から江戸を守るため、日本堤を作つた。三越の場所にあつた吉原の遊郭を移転させ、人通りを多くして堤防の地固めをした。お祭りの神輿も地固めのため。両国橋ができて隅田川の東が拓けたため墨田堤を作つた。羽田の穴守稲荷は堤防を守るため。空港が出来る前は河口の先端だつた。
四月三十日(土)その三
平和な二百五十年
戦国時代は農地の奪ひ合ひだつた。それまで河川流域に堤防を築き農地にしようといふ発想は無かつた。農地にすると隣の領主に奪はれた。幕藩封建制度が確立し、他国ではなく内側の開発に努力するようになつた。河口は八俣のおろち。堤防を築き農地にした。奈良時代に560万人だつた人口が850年後の戦国時代は1200万人で僅かな増加。農地は平安時代から戦国時代まで95万町歩程度で横ばい。これが江戸時代に入り人口は3200万人に増へた。農地が100万町歩から300万町歩に増へる曲線と一致。幕末にストックがあつたから武器を買つて植民地にならなかつた。
以上のお話があつた。今回の講演の優れたところは、日本のよいところを紹介しながら話を進められた。これだと聴衆も益々良い国にしようといふ気持ちになる。ここ二十年程日本を悪くしようと西洋の目で批判する悪質な連中が増へたので、竹村氏の講演は貴重だ。
五月一日(日)
竹村氏の講演の優れる理由
竹村氏の講演には高級官僚臭がない。ときどき会場から笑ひが起きてユーモアもあるし、何よりその科学根拠に基づいた発表がすごかつた。国土交通省の河川局長などを歴任されたとは思へない講演だつた。なぜ素晴らしいのか考へてみると、土木の専門家といふ技術に裏付けられた局長だからだ。法学部の卒業者が司法試験に合格するのはよいことだ。各省庁や企業の法律顧問になるのもよいことだ。しかし政策立案や政治家・他省庁・マスコミとの折衝や裏工作に回つてはいけない。
専門分野以外の人間を高級官僚にしてはなぜいけないのかといふ結論を得る名講演であつた。
五月二日(火)
第二講座「変わりゆく浅草と東京まちづくりの歴史」北海道大学名誉教授越澤明氏
続く第二講座の越澤明氏は20年間大学の助教授、教授を勤められた。その割には話が上手とは云へないが、越澤氏は貴重な存在だ。最近、話し方のうわべの技術が流行してゐるが、大切なのは(1)中身と、(2)話す人の真心だ。話す技術はどうでもよく中身が大切だといふ手本だった。決して皮肉で云つてゐるのではなく、本当にさう思つた。
ただし私と越澤氏は志向が正反対だつた。私は古い街並み、狭い路地こそ貴重だと考へるが、越澤氏は都市計画が大切だと考へる。そのため講演の中身であまり紹介するところが無かつたが、これは講演に問題があるためでは決してない。
越澤氏と私で同じ考への部分もある。都電荒川線を池袋と浅草に延伸することを主張されてゐる。私は池袋、浅草の他に、早稲田から江戸川橋まで伸ばすことを主張するから私のほうが多少多いがほぼ同等だ。あと講演では言及されなかつたが、越澤氏は中国長春市都市計画顧問、中国大連理工大学客座教授、中国清華大学栄誉専家を勤められてゐる。アジア志向も同じだ。(完)
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