八百三十五 小異を超えて大同に就く(昭和の日奉祝式典に参列)

平成二十八年丙申
四月二十九日(木) 開会前
本日午後一時半から、明治神宮会館で「昭和の日をお祝いする集い」があつた。案内のはがきが一か月ほど前に届いた。せつかく頂いたので参加することにした。第一部「奉祝式典」、第二部「記念講演 大原康男氏」、第三部「記念演奏会 アンサンブル和奏」といふ構成だ。
葉書によると明治神宮会館は代々木駅からも歩ける。といふことは新宿駅から歩ける。丸ノ内線の新宿駅は駅の北側だ。JRの駅と明治通りの関係は斜めだ。だから駅の南側に行くには新宿三丁目で降りて南に歩き狭い路地を抜けるのがよい。といふことで新宿三丁目から歩いた。この辺をきちんと説明しないと、なぜ明治神宮に行くのに新宿三丁目で降りるのだ、といふ話になる。
代々木駅付近に右翼の宣伝カー6台くらいと、その後に覆面パトカー(とはいへ赤い回転灯を屋根で点灯させてゐるから覆面の意味を為さないが)が4台ほど続く。なるほど共産党本部に向かふのかと思つた。
明治神宮の北参道入口に、小さな日の丸を掲げた式典の案内係がゐた。境内入つて暫く進むと、別の案内係がゐて、これは何と北山本門寺系布教所の住職だつた。実行委員をしてゐるとの話であつた。
会館に到着し着席すると、開会前に録音で童謡が流れてゐた。これはよいことだ。国民の多くが賛同できる運動を進めるべきだ。さきほど出会つた右翼の宣伝カーの場合、スピーカーで大音声で乱暴な言葉を使ふのではなく、駅前で羽織袴マイク無しで演説すれば多くの人たちが賛同してくれるだらう。真剣に演説すればそのまま通り過ぎる通行人もだんだん心の中で賛同するようになる。昨年より今年、今年より来年と、賛成する人が増へる運動を行ふ必要がある。

四月三十日(土) 奉祝式典
司会は板橋区議の高澤一基氏。インターネットで調べると、平成19年板橋区議、平成23年落選、今回当選。予備陸士長(予備自衛官補第一期生)、板橋隊友会理事、日台交流会理事、東京都郷友会常務理事などとある。自民党か無所属だらう。この時点ではさう思つた。

国家斉唱、「昭和の日」宣言朗読、主催者挨拶(高池勝彦氏)と続いた。高池勝彦氏をインターネットで調べると、弁護士、新しい歴史教科書をつくる会副会長、百人斬り訴訟の原告側弁護団長、朝日新聞を糺す国民会議弁護団などとある。
来賓挨拶は、自民党組織運動本部長で衆議院議員山口泰明氏、元民社党委員長塚本三郎氏が行つた。次いで御製奉唱(朗詠緑川摂楽氏、尺八石井胤憧氏)があつた。尺八伴奏のなかを詩吟を朗詠される。聴いて心地がよいものだ。
聖寿万歳は福永武氏の発声で行はれた。福永武氏をインターネットで調べると、大東塾十四烈士が昭和20年8月25日に陸軍代々木練兵場(現在の都立代々木公園)で割腹自刃をされてから66年(中略)影山塾長の御令孫の福永武不二歌道会代表が斎主(中略)として六十六年祭が奉仕された。とある。大東塾を調べると本部の大東会館は東京都教育委員会認可の一般財団法人。主に神道・国学・歌道関係者及び学生のための研修施設を設置運営。1965年(昭和40年)、学生寮を設立。寮出身者には國學院大學神道文化学部教授の大原康男や國學院大學講師で日本文化総合研究所代表の高森明勅などがいる。とある。

五月一日(日) 小異を超えて大同に就く
ここで、今回の題名「小異を超えて大同に就く」について説明しませう。世間一般には「小異を捨てて大同に就く」と云はれる。しかしこれは漢文の誤訳で正しくは「求大同,存小異」で小異は棚上げにしておくことださうだ。しかし棚上げにしてもいつか動き出す。中国共産党と国民党の内戦がその典型だ。日本軍がゐなくなれば内戦が始まる。だから小異は捨てても駄目だし棚上げしても駄目だ。越えなければならない。
小異とは何かといふと、私が思ふに歴代の天皇は同一の扱ひでなければならない。敗戦といふ未曾有の出来事ではあつたが、鎌倉幕府の成立といふ未曾有の時代の天皇を特別扱ひしてはいけないし、南北朝に分裂といふ未曾有の時代の天皇を特別扱ひしてもいけない。同じように昭和天皇を特別扱ひしてはいけない。
とはいへ、これは百年後の話で、昭和天皇を慕ふ気持ちからみどりの日を昭和の日に変更させた尽力に心から敬意を表するとともに、今の時代にあつては昭和の日を祝ふべきだ。これが大同だ。(完)


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