八百十四 玉突き解雇より大変なことに

平成二十八年丙申
三月二十一日(月) 前の会社の派閥と、今の会社の人間関係
前の会社の営業部長兼システム部長のTさんはトラブルメーカだつた。半年間でNTT(NTTデータを分割する以前で情報処理部門があつた)、ロータス株式会社(ロータスデベロップメントの日本法人)ほか一社を相手にトラブルを起こした。ほか一社といふのは、私が今勤務する会社で、Tさんはトラブルの内容を社内でいちいち大声で叫ぶものだから、私も会社の内情を入社前からよく知つてゐた。
今の会社は、前の会社からNetwareといふLANソフトウェアを購入してゐた。そして今の会社のY大阪事業所長とトラブルになつた。T営業部長兼システム部長は、今の会社の東京の何人かゐる営業部長(この当時の営業はほとんどが第二営業部長など一人一部長だつた)の一人で大阪事業所長とは中の悪いE部長を味方にした。つまり私が入社したあと、前の会社に様子を聴きに行つたといふ人だ。だから最初から私は悪く云はれる立場にあつた。
T営業部長兼システム部長がいふには、この会社は変はつてゐて、どの営業がどの会社に何を売つてもいいさうだ、だつたらYではなくEを使つて売らうなどと云つてゐたが、暫くしてYがEの上司になつてしまつた、Yは腹黒い奴だ、苗字がYと同じ営業が東京にもゐて、こいつは使へさうだ、あとシステム部長のHといふ人も使へさうだとわめいた。

Hさんは元IBMで東京オリンピックのときは時計システムに携はつたさうだ。4GLを当社に紹介してくれたのもこの人で、当社の功績者だつた。残念なことに数年後に転職した。
この当時、東京の業績が悪いので、大坂のYさんをシステムインテグレーション事業部長に任命し、受託開発部門のすべてをここに所属させた。もう一つソフトウェアプロダクト事業部があつたがこちらは10名程度で、残りはすべてシステムインテグレーション事業部長だつた。だから今の会社に転職したとき、組織を見てTさんが叫んだとおりだと驚いた。

三月二十四日(木) 玉突き退職
システムインテグレーション事業部は翌年に東京と大阪に分割され、数年して大阪のYさんも退職した。こうなるとYさんと仲の悪かつたEさんの天下だ、と誰もが思つた。ところがあつけなく退職した。社長の大学の同期で三流信託銀行(私も一回貸付信託を申し込んだが、店員の態度の悪さに唖然とした。その後この銀行は自主再建を断念し買収された)にゐた男を押し付けられた。引き受けないなら借金を返せといふ訳だ。Eさんは社長やこの男の後輩だから、仲良くやるだらうと誰もが思つた。ところがEさんとは性格が合はなかつた。
この人以外にも金属関係から二人来た。一人は、机の上に重機の企業別労組からの機関紙が送られてきたから、元の企業との差額はその重機会社が負担して出向だつた。二年ほど営業をして、元の会社に戻つた。もう一人、別の金属会社から来た人は熱心で誠実だつた。後に当社の副社長、社長も務めた。私が都立学校で八年間教へたのもこの人の縁だ。社長と云つても株が分散してゐる訳ではなくオーナー会長がゐるから権限はなかつたが。

三月二十五日(金) 人間関係がめちやくちやに
オーナー社長と無関係の人が来るのは大歓迎だ。一方でオーナー社長の同期や親族が来ることは絶対に反対だ。人間関係がめちやくちやになる。
銀行出身の男はその後、営業本部長になつた。そして営業といつしよにその営業のお客さん一社を選んで訪問するといふ。営業出身の営業本部長ならそんな必要はない。報告を訊くだけで判る。営業出身ではない男が営業本部長になるからこんなことをやる。営業は皆相当怒つてゐた。
千葉事業所長退職事件もあつた。千葉はずつと同じ人が事業所長を勤めてきた。突然この男を事業所長、元の人を副事業所長に格下げしたから、元事業所長は怒つて退職した。
Yさん急死事件もあつた。社長の大学の後輩の中年女性を紹介され採用した。安田善次郎は一代で築いた財閥を守るため、本家のほか分家を幾つか制定した。徳川御三家みたいなものだ。その分家の娘で、お父さんは故人で東京大学農学部の教授だつた。善次郎は分家が商売することを禁止したが、勤めにでることは可能とした。ましてや戦後だから財閥は解体され勤めに出ないと収入がなかつた。Yさんが新人採用担当、私が新人教育担当として四年間いつしよに活動した。
最後の年はYさんが人事採用センター長で新卒担当、私が中途採用担当兼教育担当となつた。私は上司が誰でも、女性でもまつたく気にしないから、何の問題もなく順調に仕事が進んだ。
たまたま国会図書館で安田教授の書いた雑誌の記事を見つけた。コピーを取りYさんに渡した。お父さんがこのような文章を書いたことを今まで知らず、仏壇に供へたさうだ。その二週間ほど後に、銀行出身の男がセンター長になるかも知れないとかなり動揺し、その数日後、ゴルフ練習中に心臓麻痺で亡くなつた。

三月二十六日(土) 社長の弟
社長の弟も入社した。大手商社に勤めてゐた。この当時日本の大手企業はどこも中小への押しつけをしたのではないかと疑ひたくなる。この弟は社長にも直言し、我々の期待の星だつた。八年くらいは勤めたと思ふ。しかしストレスが原因で起きる病気になり、欠勤が多く最後は退職した。
私はこの弟さんの云ふことはほとんど賛成だつた。しかし二つ不同意のことがあつた。一つは当社が人工知能ソフトを扱ふことに弟さんは猛反対した。私は賛成派だ。但し私の予想では一年目は失敗する。それは売却元の会社が何年もやつて失敗したのに、その会社から引き取つた人間に引き続きやらせるからだ。引き取つた人は契約社員なので翌年解雇され、だからこの事業は今でも続いてゐる。
二つ目は、社長と私との人間関係を壊した。社長は私を追ひ出さうとしても、数年するとまた良い仕事を私に任せてくれる。その繰り返しだつた。あるとき全社員を数人づつ合宿し社長が直接話をするので、その準備を進めてほしいといふ。準備を進めつつ社長の出席しない業務報告の会議でそのことを話すと、弟さんが社長を批判することを云つた。それから合宿の話はうやむやになつた。社長に問ひ合はせても返事さへ来ない。
ここから先は想像だが、社長はこの仕事を弟にやらせようとした。しかし弟は反対した。だから私に回した。弟が怒つて私の悪口を社長に云つた。これ以降、社長は永久に私を避けるようになつた。

三月二十六日(土)その二 日本経済が駄目になつた理由
日本経済が駄目な一番目の理由は、プラザ合意で給料が日本人の給料が世界的に見て上がり過ぎた。だからと云つて下げてくれとは云へない。その後、バブルがあつたから気付かなかつた人が多い。しかしプラザ合意が最大の原因だ。
第二の理由として大手が自分たちだけの都合で、中小企業に人を押し付けた。そのため中小企業が大変なことになり、その影響がじわじわと現れた。
それと同じ効果のことをやつたのが消費税増税だ。消費税は大企業には都合がよい。中小企業と個人商店と地方には都合が悪い。今後、何十年掛からうと西洋猿真似の消費税を廃止させようではないか。消費税を西洋のように認めるなら、西洋のように企業別労組とユニオンショップと組合費天引きを廃止させよう。(完)


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