七百九十八 真田丸と真田太平記

平成二十八年丙申
一月十一日(月) 真田丸
日曜から大河ドラマ「真田丸」が始まつた。テンポがよいし、堺雅人の大げさな演技がよい。普通に演技したのに大げさだとひんしゅくを買ふが、わざと大げさに演技してゐることが明らかで大げさなら、視聴者を楽しませてくれる。よい事だ。
昨年の花燃ゆは途中でつまらなくなり、椋梨藤太の失脚までしか見なかつた。今回はぜひ最後まで観たいものだ。毎年、最初はよいのに途中で息切れする。映画と違つて四十五分を一年間繰り返すから、制作が途中で中だるみになる。

一月十一日(月)その二 真田太平記
真田丸をインターネットで調べると、真田太平記で幸村を演じた草刈正雄が今回は真田昌幸を演じるとある。真田太平記は観たことがないので、インターネットで一話から五話までの一部づつを観た。真田太平記とは真田三勇士のことかと思つたらまつたく違つてゐた。
忍びのお江といふのが、幸村、その兄に次ぐ重要な役で、遥くららといふ女優が演じた。この女優も初めて名を知つた。

一月十二日(火) 娯楽時代劇
真田太平記を知らなかつた理由は、昭和五十九年から六十一年まで大河ドラマで『山河燃ゆ』『春の波涛』『いのち』と明治以降を舞台にした作品が三つ続いた。そのため娯楽の時代劇が放送されてゐた時間枠に移して『宮本武蔵』『真田太平記』『武蔵坊弁慶』が放送されたさうだ。インターネットで調べるとこの時間枠ではそれまで『大岡政談』『池田大助捕物帳』『鞍馬天狗』『赤ひげ』などが放送された。その後も娯楽時代劇は続いたが、五年前に四十五年間続いた娯楽時代劇は終了しBSに移行した。そしてその一年後にBSのアンコールとして復活、その半年後に正式復活した。
大河ドラマも娯楽時代劇も、近代に移行したり廃止したりするものの、短期間で復活した。西洋かぶれのNHK上層部と、視聴者一般との意識のずれだらう。私自身は娯楽時代劇を数回観るのはよいが、毎回観ようとは思はない。民放の『水戸黄門』『当山の金さん』『暴れん坊将軍』と同じで飽きる。しかしNHKが娯楽時代劇を続けるのはよいことだ。
民放は、提供企業の意向で若者志向になり『水戸黄門』などを廃止した。しかし若者も年を取れば時代劇志向になる。そのとき観る番組がないのはつらい。NHKが公共放送として時代劇を続けることに賛成だ。ただし昨年の『花燃ゆ』のようなつまらない作品だと、NHK廃止論が頭をもたげてくる。

一月十三日(水) 少年期を演技
堺雅人は大げさな演技なのかと思つたら少年期の演技ださうだ。そのことを視聴者に云はないと判らない。子役を使はず堺雅人が演じることを主題曲の前か番組の中で云ふべきだ。昨年「花燃ゆ」についてチーフプロデューサが「(制作者としては)面白かった。それが視聴者にも伝わっていたらいいと思う」と不遜なことを云つた。それと同じだ。制作者側だけが喜んでゐる。
堺雅人の演技で少年期を表したのは、言葉が一回、顔芸が一回だけで、あとは青年期だつた。だつたら青年期を番組の開始点にすべきだ。

一月十八日(月) 近藤正臣ほか二名の演技
第二回は、途中で観るのを止めようと三回思つた。まづ始まる前の主題曲の部分で、本田正信の役が近藤正臣とあり、これは楽しみだつた。私が高校生のときに大河ドラマ「国盗り物語」があつた。明智光秀は近藤正臣が演じた。信長の正室濃姫の従弟といふ設定だつた。将軍の直参で教養人、常識人といふ設定でもあつた。
ところが今回は主君の家康を小馬鹿にした演技で、これは脚本が悪いが近藤正臣の演技も悪い。そのときはさう思つた。岩櫃城に逃げるときに真田幸村の母親の大袈裟な演技も、観るのを止めようと思つた。家康の側室のわざとらしい演技でも、これで大河ドラマと云へるかと呆れた。
つまり三つとも不真面目なのだ。俳優は真面目に演じるが、演出と制作が不真面目だ。NHKは外部と競争が無く、官僚的な組織だから、この程度しか作れなくなる。

一月二十六日(火) あり得ない筋書き
私が二十代か三十代のときだらうか。大河ドラマに、後で考へればあり得ない筋書きがときどき登場し、それが心に引つ掛かつた。一昨日の番組にそれがあつた。
真田幸村の兄が父から密書を託されて上杉に向かふ。信濃の国衆で真田に従ふものの半信半疑の二人が密偵を放つてあつたからそれを知る。途中で奪はうとして幸村の兄が密書を落とし、供の者がそれを受け取り越後に向はうとするところで殺されて密書は奪はれ信長の下に届けられる。幸村の父は密書を強奪されて信長に届けられることを見越して芝居を打つたのだつた。それで信長は真田を高く評価するようになる。そんな筋書きだつた。
しかし後から考へれば、そんなことはあり得ない。一歩間違へれば、幸村の兄が殺されるところだつた。真田の嫡男がそんな危ない役割をするはずがない。密書をうまい具合に落として供の者が受け取り、その直後に殺害される。そんなうまく話が進むはずがない。

NHKは脚本家に丸投げではなく、あり得ない筋書きのときはそれを指摘して書き換へてもらふ勇気が必要だ。或いは、時代考証係は時代に合つた大道具、小道具かを見るだけではなく、時代に合つた筋書きかも考証すべきだ。

事実は小説より奇なりといふが、事実には矛盾や無理がない。大河ドラマの奇には矛盾と無理がある。だからといつて視聴するのを止めようとは思はなかつた。前回のように時代離れをしたわざとらしい演技ではなかつた。
上杉とも手を伸ばすふりをするといふ筋書きは面白い。だつたら矛盾のないように、一族や国衆と図つて上杉とも気脈を通じるのがよい。

二月一日(月) 嘘も二回放送すれば真になる
昨日の放送に批判すべき点はなかつた。なぜ今まで駄作があつたのか不思議なくらいだ。とはいへ信長が明智光秀の顔を欄干に打ち付けるのは史実なのか。国盗り物語でもこの場面があつた。しかし史実とは思はれない。その理由は織田信長は大軍を率いないで京に入つた。そこに軍事空白地帯が生まれ、明智光秀に欲が生じた。これが本能寺の変の真相ではないのか。
信長が光秀の顔を欄干に打ち付けたとすれば、軍事空白状態で京に留まるはずがない。光秀を信用するからこそ京に留まつた。しかしそのことはそれほど問題ではない。国盗り物語と同じ話にすると、将来これが史実だと書く人が何人も出て来るだらう。嘘も二回放送すれ真実になる。NHKは長い目で見た社会責任を果たしてゐない。(完)

追記二月十日(水) 今週は見なかつた
今週は本能寺の変だが観なかつた。安土にゐる幸村が姉夫婦と命からがら真田に戻つた、幸村の父が信長の次は誰と組むか探るといふ話だ。ここに史実と異なつた、或いは原作のない作品の弱点がある。
例へば新平家物語は史実ではない。しかし原作があるから、そのこと自体が架空の史実となり、それに沿つたものを見るといふ楽しみがあつた。真田丸は史実にも合はず、原作もない。今後は徳川の養女との結婚、関ヶ原の戦ひでの親子兄弟の別れ、戦後の助命、大坂冬の陣、夏の陣を除き観ることはないだらう。

真田丸の他の記述


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