七百六十九 リベラルは、毛沢東、ポルポトの後継者だという理由

平成二十七乙未
十一月十九日(木) ハト派と悪魔の思想リベラルは正反対
ハト派とリベラルはよく混同される。しかしまつたく異なる。ハト派といふのはよく他人の意見に耳を傾け、自分の意見をできるところまで他に合はせる人たちだ。だから私もハト派である。かつての自民党対革新勢力のときは、革新勢力は万年野党なのだから本来その主張は無視されてよい筈だか耳を傾ける。
これに対し、リベラルといふのは社会を破壊することに狂信してしまつた連中である。他人のいふことに耳を傾けない。ハト派とは正反対だ。

十一月二十一日(土) 革新勢力消滅後の異変
自民党内で革新勢力に耳を傾けるのがハト派だから、革新勢力が消滅の後は異変が起きた。拝米になつてしまつた。あるべき姿の保守派に対して、文化を破壊し西洋化することが正しいと思つてしまつた。しかもかつての革新勢力に耳を貸す度量もなくなつてしまつた。
リベラルが口にする経済優先は欺瞞である。経済を成長させるには、政府の借金を増やすか、格差を拡大させるしかない。格差を拡大させれば経済は成長する。しかし社会は不安定になる。日本では平成五(1993)年辺りから格差拡大を容認するようになつた。
実は経済を成長させる方法があと一つある。それは既得権を潰すことだ。ところがリベラルと称する連中は態度が曖昧だから既得権派に対してはハト派を演じる。先祖返りである。なぜ格差は是認するのに既得権派に弱いかといふと、既得権派は抵抗する。抵抗には対抗しないから弱者をますますいじめて帳尻を合はせる。

十一月二十三日(月) 左翼崩れが醜い理由
自民党内のリベラルが小悪人とすれば、左翼崩れのリベラルは大悪人だ。元は社会主義だつたくせに、目標を喪失するや民主主義と自由を叫び出した。江戸時代に主張するなら偉い。東條内閣のときに主張しても偉い。今は既に達成された民主主義と自由を叫ぶことは、つまりは何もしないといふことだ。過去に自民党が自由と民主主義を主張したのは判る。共産主義に対抗するためだつた。ソ連が崩壊し冷戦が終結した後に叫ぶのは無意味なばかりか世の中を悪化させる。船が傾いた方向に移動するから転覆の危険がある。
左翼崩れは若い人たちにもある。左翼崩れの言論に騙された人たちや、偏向マスコミに踊らされる人たちだ。安保法案のときに一時マスコミに踊らされたグループはここに分類される。執行部や参加者はマスコミや左翼崩れ(今回はシロアリ民主党)に踊らされたことを自覚しないと、一生の言論を誤ることになる。

十一月二十九日(日) 文化を考へない人たち
リベラルの欠点は文化を考へない。唯物論とは文化を考へないことである。マルクスの弁証法的唯物論は、当時の伝統崩壊、宗教崩壊、社会崩壊の世の中にあつて、労働力でこれらを再生しようとしたものだから、当時としては有益だつた。だから弁証法的唯物論と唯物論は別にしなくてはいけない。
更にレーニン、スターリンの民族解放運動は、唯物論の欠点を克服するものだから、アジア、アフリカのほとんどが植民地だつたあの当時としては有益だつた。ところが毛沢東が文化大革命を起こし、弁証法的唯物論や民族解放運動から単純唯物論に戻つてしまつた。だから文化大革命では文化破壊はおろか殺人事件まで起きた。それを引き継いだカンボジアのポルポトや、日本の赤軍派が同じことを始めたのも当然だつた。

これらは文化破壊といふことですべて説明できる。文化とは人間関係であり、道徳であり、社会である。これらを破壊したら殺人しか残らない。ところが左翼崩れの連中はそのことが判らないから、どうすればポルポトや赤軍派にならないで済むか方法が判らない。だから自由だの民主主義だの護憲だのを唱へる。自民党だつて自由と民主主義を唱へてはゐない。自由党と日本民主党が社会党の左右合同に危機感を持ち合併したから、さういふ党名になつただけだ。
唯物論の自由とは新自由主義、或いは無政府主義だ。唯物論の民主主義とは戦国時代と変はらない。兵力の多い少ないで勝敗が決まるからだ。そして民主主義とは対立のないところに無理やり対立を持ち込むことだ。リベラルは、毛沢東、ポルポトの後継者である。(完)


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