七百六十九 1.久しぶりに志位発言を支持、2.毛沢東、ポルポトに次ぐ、文化破壊者は誰か
平成二十七乙未
十一月十三日(金)
久しぶりに支持できる発言
志位氏が久しぶりによいことを発言した。産経新聞によると
共産党の志位和夫委員長は12日の記者会見で、今年で60年となる「55年体制」に関連し、自民党の長期政権を許した背景について「社公合意」と呼ばれる昭和55年の社会党(社民党の前身)と公明党による連立政権構想の合意で、革新勢力が分断してしまったことが要因との見解を示した。
志位氏は、社公合意以前の情勢について「共産、社会両党が国政レベルで革新統一戦線の合意を結び、(自民党政治の転換に向けて)もう一歩のところまでいった」と主張した。
私も同感である。このときはまだ社会党と共産党が共闘すれば都市部で革新系知事や市長を復活させる力があつた。志位氏は続けて
その上で「公明党が社会党との合意で『共産排除』路線を決めたことが自民党政治の転換への障害になった」とバッサリ。公明党を暗に批判した。
XX会の言論出版妨害事件のときに公明党を一番批判したのが共産党で、双方に感情の対立があつた。それが政界に持ち込まれるといふ不幸な事件であつた。しかし公明党はその後、自民党と連立を組むに至つた。これは評価してよい。なぜ評価できるかといへば、シロアリ化した以降の民主党と対立するからだ。
民社党分裂前の社会党、既得権化(大企業労組の支援)する前の民社党、全国に革新知事市長を誕生させた社共共闘、自民党長期政権を終了させた新進党、シロアリ化する以前の民主党は高く評価すべきだ。
だから志位氏が昭和五十五年の社公合意に言及したことは久しぶりに(もしかして志位氏が共産党委員長になつて始めて)評価できる発言である。
十一月十四日(土)
社会党の二つの流れ
志位発言を詳細に検討すると、志位氏が社公合意に反対する理由は共産党を排除したことだ。これは現在に当てはまり、シロアリ民主党の嫌共体質を批判したともいへる。だとすれば志位氏の分析は正しくない。国民が共産党を応援するとすれは、シロアリ民主党の既得権化した体質を批判してのことだ。これはかつて、社会党に投票したいが社会党は既得権化したから共産党に投票しようとしたことと同一である。
あの当時の社会党は、社会主義を目指す勢力と、社民主義を目指す勢力が均衡してゐた。だから二本社会党と揶揄された。
アジアではベトナム戦争が続き、しかし当時の日本は都会の人口の多くは農村出身だから、ベトナムにどこか共感を覚えた。都会人口も現業職が多かつたし、都会自体がそれほど広くはなかつた。あの当時、足立区や世田谷区には農村が残つてゐたし、国道17号(中山道)の都県境の戸田橋を渡るとあとは浦和まで一面田圃だつた。
革新勢力を支持する人の多くは左派を支持した。これを理論で説明すると、社民主義は西欧の猿真似である。つひに今日に至るまで、社民主義が日本の主流にならなかつたことを考へると、この理論は正しい。そこへ行くと堕落する前の民社党は、自民党以上に右と云はれることがあつた。つまり民社党は国民性への理解があつたから伸張してもおかしくはない。少数派に留まつた理由は、世界が資本主義陣営と社会主義陣営に分かれてゐたためだ。そして民社党はその成立理由から強い反共を打ち出した。
十一月十六日(月)
日本の社会民主主義は欺瞞だ
ここ十年ほど、日本の社会民主主義が悪い理由を西欧の猿真似としてきた。しかし二十五年ほど前は別の理由だつたことを思ひ出した。それは、日本で社会民主主義だの労働組合主義だのを主張する連中は、本当に社会民主主義や労働組合主義なのか。さうではないことは、民主党に入り込む社会党内既得権派の醜い姿や、ニセ労組シロアリ連合の労働組合主義とは無縁の既得権維持の姿で馬脚を現した。そもそも終身雇用の企業内組合で、採用指名権を経営側が持つ以上、労働組合主義は日本ではあり得ない。
十一月十七日(火)
かつて革新勢力が人気を集めた理由
昭和五十年頃まで、革新勢力は大都市の知事、市長を独占する勢ひだつた。更には昭和三十年に自由党と日本民主党が合同したのも、社会党左派の伸張とその後の左右合同に危機感を抱いたためだつた。
革新勢力の支持勢力は、資本主義が社会を破壊すると感じた国民である。つまり物々交換の時代からの自然経済は貨幣経済になつてからも続いた。それを破壊するのが資本主義だから、それへの反発で革新勢力が人気を得た。
ベトナム戦争では共産主義勢力に土の香りがするし、ラオスやカンボジアでは王族や国王が共産主義勢力の中心にゐる。実際にはポルポトの場合は国王を幽閉するなど利用するだけだつたが、そのことが判つたのは昭和五十年以降だ。北朝鮮は朝鮮語を大切にする運動を進めた。
だから共産党、新社会党、新左翼は昭和五十年以前の革新勢力の支持層を取り戻すべきだ。それには自分たちがそのような支持層と同じ考へ方になるべきで、間違つても政権を獲得するために取り込まうと考へてはいけない。
共産主義者の中には世の中を変へることが共産主義だと勘違ひする人がゐる。それはマルクスの時代の特徴を考へないためだ。レーニン、スターリンはソ連成立後の世界情勢に対応せざるを得ず、だから民族解放、帝国主義反対を前面に出した。レーニンやスターリンの残虐性は別の理由だからここでは触れない。
世の中を変へることが共産主義だと勘違ひし、その後のソ連崩壊を経て目標を失つた結果、社会を破壊することが共産主義だともつと酷い勘違ひをする人が現れた。左翼崩れと呼ばれる人たちだ。彼らは左翼崩れだから左翼との相違を強調して、さかんに自由や民主主義を唱へる。しかし既に自由と民主主義は達成されてゐる。それにも関はらず唱へるのは社会を破壊するためだ。社会の連帯心を破壊するのが自由、社会を二つの勢力に対立させるのが民主主義だと勘違ひしてしまつた。
北朝鮮で金日成の時代に進められた純正な朝鮮語を広める運動は、原理主義である。原理主義は採用してはいけない。原理主義の例として明治維新のときの神仏分離がある。江戸時代の寺請け制度で堕落した仏教に対して、伝統主義は江戸時代以前に戻さうとする。原理主義は奈良時代やその前まで一気に戻さうとする。
共産党、新社会党、新左翼は自然経済と伝統主義の立場に立てば、再び昭和四十年代までの革新勢力になることも夢ではない。自然経済とは何だらうか。資本主義の現れる前の経済を取り敢へず自然経済と呼んだ。しかし大工場など資本の蓄積は必要である。だから株式会社は並存してよい。その代はり給料が株式会社より安くても、すべての希望者に仕事を与へて、しかもその事業体は黒字を義務付ける。そのような社会主義なら資本主義と共存するし、これが現代の自然経済ではないだらうか。(完)
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