七百五十五(丁) 築地本願寺で青年僧侶による「法友」

平成二十七乙未
十月十六日(金)
浄土真宗本願寺派の東京教区青年僧侶による「法友」といふ催しが十三日(火)の夜にあつた。会社を終へてから急げば間に合ふので参拝した。 パンフレットには
法友/For you/ごくらく/ごくらく

と書かれ、鬼と猿と犬が温泉に浸かつた絵がある。その下に
プログラム/勤行(雅楽入り)法話/阿弥陀経の響きとお話しを味わい、皆さんの居場所を見つけてみませんか?

とある。主催は東京教区青年僧侶協議会、協力は築地本願寺とある。裏面は
法友/(中略)実は、わたしたちは皆つながっている。/けれども、わたしとあなたは切り離されている。/このプロジェクトをとおして、/本来ひとつであるわたしたちが、/ばらばらのままにつながっていることを/感じていただけたらと思います。

とあり、カエデの葉の絵と「ごくらく ごくらく」と大きく書かれた下には
インドに生まれたおシャカさま。たくみな言葉を用いて、世界の真実を説かれます。文字に記されたその教え(お経)は、ユーラシア大陸を横断し、中国の言葉にうつされて、私たちの住む日本へと伝えられました。(中略)温泉のお湯がこんこんと沸いて湯舟をみたすように、極楽浄土の功徳はとめどなくあふれ、声のすがたとなって響きわたっています。(中略)温泉につかるような心地で、のんびりとご一緒ください。

十月十八日(日)
本堂に入らうとすると青年僧侶が丁寧にあいさつをする。その熱意には感激をする。開会のあいさつに続き、三人の僧による雅楽の演奏が始まつた。入り口で頂いたプログラムによると
雅楽が最初にアジア大陸から伝来したのは、六世紀の後半から七世紀の初期頃であり、日本では仏教音楽や宮廷音楽として受容されました。/それ以来、二、三百年の間に、伝来した器楽と舞が日本化し、またその影響を受けたその影響を受けた新しい楽曲が作製され。内容も次第に組織的となり、総合古典音楽として今日まで伝承されました。

とある。平調音取(ひょうじょうねとり)といふ西洋音楽のミの音での音合はせに続き、最初の曲は越殿楽(えてんらく)である。こののち僧侶が数名入場し阿弥陀経の最初の部分を読経し、一人目の法話に入つた。最初の方は、努力した人が救はれるのは当然だが努力しない人がなぜ救はれなくてはいけないのか、と話されその例として知人の寺院出身の方の話をされた。大学卒業後に優秀な成績で就職したが、落ちこぼれ社員になり実家に帰ると祖母が暖かく迎へてくれた。このような内容だつた。その先がどうなつたかは話されなかつたがそこは問題ではない。話し方は流暢とは反対に一言一言確実に話され、逆に好感を持つた。最近はとかく口先だけで話す人が多く、その典型がシロアリ民主党である。その反対だから良かつた。もつと年を取つたらこの話し方では不十分だが、そこはこれからも経験を積めば年齢相応の法話になるだらう。

次に五常楽といふ曲の「序」「破」「急」の三章のうちの「急」が演奏された。続いて阿弥陀経の中間部分の読経があり、二人目の法話に移つた。この方は阿弥陀仏の慈悲は無限で、築地場外市場でどの魚を買つてよいか判らないとき店の人にこの魚がよいと云はれそれにした。阿弥陀仏の救ひはこのときの店の人の一声のようなものではと話された。この日のすべての関係者に敬意を表するが、それだけだと青年僧侶の成長の役に立たないから、一言苦言を呈すると、まづ魚といふ殺生に係る話題は取り上げないほうがよい。次に、魚の選択と阿弥陀仏の慈悲ではその大きさがまつたく異なるから、阿弥陀仏の例へに出すには不釣り合ひである。このような場合は、魚の購入と云はず築地場外市場に用事があつたと述べ、店員の一言もさうだがそれ以外にも地下鉄に乗つたり本願寺に来たり檀家さんたちや多くの人たちの善意に毎日が支へられ、そのすべてを合はせたようなものだと述べればよい。

最後に鶏徳といふ曲の演奏があり、阿弥陀経の最後の部分の読経があり、三人目の法話に入つた。檀家さんの葬儀に向かふとき車の中でラジオを聴いたら、支店勤務だつた会社員が本社勤務になり、初日から健康のためビルの階段を数十階、上らうとしたが途中で足が痛くなりエレベータホールに行かうとしたところ扉が外からは開かない。ここで檀家さんの家に着いたので先は聴けなかつた。後から想像すると、扉の手前でぼうぜんとしてゐると扉が開いて社長がゐて、警備員室から連絡があつてテレビカメラを見たら君だつた、本社でも頑張つてくれよと励まされた。阿弥陀仏の救ひはこのようなものだといふ法話だつた。この青年僧侶もこのままだと成長の役に立たないから一言述べると、本社勤務になつた初日に社長から激励されれば、それは嬉しいだらう。しかし会社は寺院とは異なるから、派閥争ひやワンマン社長や不当行為など起きないとは限らない。そればかりか日本では役職が即ち人格に結びつき、過度な出世競争が行はれ、過労死や自然環境の破壊や非先進国の住民への蔑視などが起きてゐる。だから初日から遅刻し社長に怒られ、翌日は筋肉痛で会社を休み大変なことになつたが、阿弥陀仏を思ひ浮かべめげなかつた。そんな内容がよいのではないだらうか。

いろいろ苦言を呈したが、法話をされた三人を始め、演奏、準備、場内整理などに当られたすべての青年僧侶に敬意を表するものである。最初の法話にそれほど苦言を述べなかつたのは悪人とは弱い人のことだといふ主題が法話の全体を流れ続けた。(完)


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