七百二十九(丁) 中村元氏「現代語訳大乗仏典」4.浄土経典、6.密教経典他

平成二十七乙未
八月二十九日(土) 4.浄土経典
阿弥陀経、大無量寿経、観無量寿経は多くの人に知られてゐるので、中村氏の解説について特に感想はない。正当な解説をされ、しかも西洋流学問の弊害を受けない名著である。終戦時に33歳のため、GHQの洗脳に影響されなかつた世代と云ふこともできる。三つのお経について解説された後に、付録として「アミターバの浄土」として重要なことを書かれてゐる。
一般に、名を口に出してとなえるという実践法は、すでに原始仏教において存在していたが、当時の浄土教において、アミターバ仏の名をとなえる実践法はが実際に存在していたかどうかは明白ではない。ともかく臨終にアミターバ仏に迎えられる人の心は乱されることがない(臨終正念)と信じられていた。

とある。また
インドの浄土経典全体を通じて、アミターバ仏を瞑想すること(buddha-anusmrti 念仏)が肝要の実践法であった。/しかし中国の善導は、念仏とはアミターバ仏の名を繰り返しとなえて呼びかけることであると解釈した。そのときから、この解釈は中国・日本の大部分の浄土教徒に採用されてきた。

とある。また大無量寿経は一〜二世紀に
当時ガンダーラ地方で栄えていた化地部(Mahisasaka)のビクたちの教団によって作成されたと推定されている。

とある(中村氏の原文にはアルファベットに上線や上はね点や下点が付くが、パソコンでは表示できないため省いた)。ここで化地部とは上座部仏教の一派で説一切有部から派生したか説一切有部を派生させた。
「4.浄土経典」が出版されたのは中村氏の亡くなつた四年後なので、別の方が「あとがき」を書かれてゐる。そこには
インドにおいては、浄土教に基づく学派や宗派は、ついに成立しなかった。それが成立したのは、世親の論書に大きな影響を受け、『浄土論註』という注釈書において阿弥陀仏の本願による救済を信じるように勧めた曇鸞(どんらん)や、つづく道綽(どうしゃく)、善導によって称名念仏を中心とする浄土教が確立されるに至った中国においてであった。

とある。また中村氏の菩提寺は浄土真宗だが、毎日自宅の仏壇でおつとめのときはご自分で選ばれた仏教聖典を読まれたさうである。

八月二十日(日) 6.密教経典他(その一、金光明経)
『金光明経』は、すでに『法華経』の中に示されている若干の特徴をさらに発展させて、タントラ仏教(密教)へ移るための中間項を形成しています。この経典の特徴としては、ブッダの寿命が無限で永久であることを説き、(以下略)

ここでいふブッダの寿命が無限といふのはブッダは死後も不滅といふ意味であり、法華経の如来寿量品にある久遠実成とは異なる。因みに私は久遠実成は信じない。それでは法華経を信じたことにならないではないかと云はれさうだが、お釈迦様は二十九歳で出家して三十五歳で悟つた。その素朴な歴史観がよい。
「正論品第十一」では、どのようにしたならば国家が栄えるか、またどういう法をなおざりにしたならば国が衰えるか、(中略)そういう教えが説かれているのですが、このような議論は、数多い仏典のなかではまったく珍しいことです。(中略)世の中の国王というものはどうかすると人民を苦しめるものである、その点では盗賊と異なるところがない、(中略)しかし、現実の問題として、国王は国を統治しています。ことに最初は諸部族による小さな国にすぎなかったものが、だんだん発展して広域国家が形成されると、国王の権力はひじょうに強大になります。そこへ、インドでは外敵が西北ほうから絶えず侵入し(中略)国王の意義というものがあらためて反省され、ほんとうの国王はいかにあるべきかということが説かれるようになったのです。


法華経、仁王経とともに護国の三部経と呼ばれるのはそのような経緯があつた。

八月二十日(日)その二 6.密教経典他(その二、仏教の衰退と密教の登場)
仏教は、カニシカ王の現れたクシャーナ王朝時代までは、ひじょうにさかんでした。(中略)その後インドではグプタ王朝がインド全体を統一するようになり(中略)集権的な国家体制が確立して、(中略)今までさかんであった商業活動を統制しようとします。/また、他方では、この時代に西洋では西ローマ帝国が衰退していきました。(中略)仏教がさかんであったクシャーナ王朝時代には、ローマから莫大な金の流入があって経済も栄えたのですが、貿易がとだえると、それはもはや不可能となりました。(中略)仏教が栄えていたころの仏教教団は、王侯貴族の支持や公園もありましたが、また富裕な商人の帰依にまつことがひじょうに多かったのです。(中略)農村で民衆のあいだにずっと根を下ろしていた草の根の宗教であるバラモン教ないしヒンドゥー教は少しも衰えず、(中略)民間信仰をもとり入れた新しい仏教のかたちである密教を成立させたのです。

なるほどさういふ事情だつた。

八月二十日(日)その三 6.密教経典他(その三、密教の堕落とそれを入れなかつた日本の真言宗)
密教は後期になると堕落した。
タントラの宗教は、当時民間で行われていた卑猥な宗教であり(中略)仏教を堕落させることとなりました。


しかし日本には伝はらなかつた。その理由として
(一)中国人は、インドの原典の露骨・卑猥な表現を必ずしもそのままに翻訳せず、湾曲な表現を用いた。
(二)とくに日本の真言宗は、弘法大師によって左道的要素を拭い去ったかたちで伝えられ、弘法大師は独自の哲学的体系を確立した。


日本の真言宗は世界でも貴重な存在と云へる。(完)


大乗仏教(禅、浄土、真言)その十四
大乗仏教(禅、浄土、真言)その十六

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