六百九十一、歌は世につれ世は歌につれ(「涙から明日へ」「赤い風船」「しあわせの一番星」そして)

平成二十七乙未
四月十九日(日) 思い出のメロディー
昨日と本日は一日中家にゐた。咳は出ないのに痰が出るからである。二日間固い話題でホームページを作り続けたので夕方疲れた。昭和四十八年辺りのNHK「思い出のメロディー」で演じられた「一杯のコーヒーから」を突然聴きたくなつた。といふことでYoutubeを聴いた。聴いたあと二曲目を何にするか困つた。苦しまぎれに「時間ですよ」と入力したが、このテレビドラマの劇中歌は著作権の関係ですぐ削除されて検索されず天地真理がソロで歌ふ「涙から明日へ」が検出された。この曲は「時間ですよ」の劇中歌ではあるが、今回は堺正章抜きで天地真理のソロである。といふことで今回の特集は始まつた。
なぜ「時間ですよ」と入力したかと云へば地元だからである。と云つても事情は複雑である。最初の「時間ですよ」は五反田が舞台だつた。しかしあの光景は東京の至る所に見られたから地元ではないといふ感覚はなかつた。「時間ですよ」が終つた次に「寺内貫太郎一家」が始まつた。これは見なかつたが谷中が舞台で隣町だから地元である。この番組は浅田美代子、悠木千帆、左とん平、篠ヒロコなど出演者はかなり共通だつた。「寺内貫太郎一家」と「時間ですよ」の続編や続々編が交互に放送された。

今回特集を組まうとしたのは、天地真理の「涙から明日へ」に次の書き込みがあつた。
真理さんの歌声はファルセット。本人は当時、裏声ですとそっけない(某ラジオ番組)。当サイトで「赤ちょうちん」を地声で歌うのが確認できます。しかし、真理さんのファルセットは高音の伸びが美しく、空いっぱいに広がる感じ。国立音大付属中学・高校でクラシック(ピアノと声楽)を学んだとは言え、優れもの。特に、ライブは天性の歌手という人さえおります。ホント。

といふことで「赤ちょうちん」を聴くと確かに声が全然違ふ。「赤ちょうちん」の書き込みは
1975.4.7 TBS 「モーニングジャンボ奥様8時半です」
めずらしく地声を中心にして歌っています。

これ天地真理さんの声ですか?

天地真理さんは、多様な歌い方ができる天才的な昭和の歌姫だと思います。この「赤ちょうちん」を聞いてやはりすごいと思います。昭和戦後から高度成長期の国民的歌姫が美空ひばりならば、そのあとの歌姫になりえる可能性があったのは、この人天地真理ではなかったのかと思います。残念というか悔やまれます。

真理ちゃんの別の顔が見えるような気がします。
一般受けはしないでしょうが、味があると思います。


四月二十日(月) 旋律、歌詞、歌手、伴奏
天地真理がファルセットで歌つてゐたといふのは今回初めて知つた。私はああいふ声なのだと思つてゐた。さて曲の優劣はどこで付くだらうか。それは旋律、歌手、歌詞、伴奏である。旋律、歌手、歌詞は判るが、伴奏とは「涙から明日へ」で歌に入る直前の小節で半音下げるように隠し味である。
昭和五十年辺りまではこの四つがそろはないと売れなかつた。旋律が極めてよく他を補つただとかはあつても基本はこの四つだつた。ところがこの辺りから歌詞の悪いものや伴奏の悪いものが現れた。丁度日本の貿易黒字が問題になり始めた時期であり、米ソの冷戦が米側有利になり始め国内でも革新知事革新市長がかげりを見せ始めた時期である。

四月二十一日(火) 浅田美代子の時代とその後
天地真理は年上の世代だからファンといふ訳ではない。私の知つてゐる「時間ですよ」の劇中歌は浅田美代子の「赤い風船」と境正章の「街の灯り」だけである。今回「寺内貫太郎一家」に浅田美代子「しあわせの一番星」といふ劇中歌があるのを知り聴いてみた。昭和49年に作られたから歌詞のよい曲である。時間ですよと同じで屋根の上で歌ふのを始めて知った。
「時間ですよ」は第一作(第1回-第30回)、第二作(第31回-第65回)、第三作(第66回-第95回)、昭和元年(26回)、ふたたび(8回)、たびたび(13回)とある。私が見たのは第三作だけだが、「たびたび」のスペシャルをたまたま観たところは舞台が根津だつた。劇中歌は岡本南「風とかくれんぼ」だが、せつかく小林亜星の作曲でよい旋律なのに歌詞が軽薄になつた。昭和63年である。曲は加点法だが歌詞は減点法で視聴者は評価する。歌詞が優れるだけでは売れないが、だからといつて歌詞の悪いのは駄目である。

四月二十四日(金) 街の明かりとジュークボックス
昭和四十九年か五十年の夏に家族で山形、山寺を旅行し、そのときだと思ふが宿泊した旅館のゲームセンター(といふものが昔はあつた)に行つた。平成五年くらいまで旅館のテレビは100円を入れると30分か一時間見れるようなものだつたからゲームセンターで時間をつぶす人が多かつた。ゲームセンターのジュークボックス(といふものもこのころまではあつた)に「街の明かり」があつたので100円だか入れて聴いた記憶がある。私の生涯でジュークボックスを使つた最初で最後である。レコード盤を自動で取り出し回転盤の上に置きレコードが回り始める。今から見ればずいぶん原始的だが、ジュークボックスといふのもよいものだつた。

四月二十四日(金)その二 加山雄三「お嫁においで」
昭和三九(1969)年の東京オリンピックで日本が西洋化されてしまつたといふのは松本健一氏の主張だが、私も同じことを感じた。まづ「チロリン村とくるみの木」の暖かい主題歌が「ひょっこりひょうたん島」の変に西洋化された曲に変つた。赤塚不二夫の「おそまつ君」の主題歌が変つたのは私が小学校五年生のときである。なぜ今でも覚へてゐるかといへば変つた翌日が小学校の臨海学校(内房の岩井海岸)だつた。皆で「おそまつ君」の曲が変つたことを話した。向こうで加山雄三の「お嫁においで」が流されてゐたか皆で歌つたかどちらかは覚へてゐない。歌詞は最後の「口付けしよう」の部分がよくない。これだけで全体が駄目になる。
しかし天地真理が歌ふとなかなかよいものである。加山雄三の当時の姿はアメリカのバンドみたいでこれもよくない。しかしその後は普通の姿で出演したし、何より大河ドラマ「飛ぶが如く」に島津斉彬の役で出演した加山雄三はよかつた。

四月二十七日(月) 歌は世に連れ
今の時代から見れば「涙から明日へ」や「街の灯り」は淡い恋愛ごつこではあるが、しかし心を揺さぶる内容でも或る。それをぶち壊したのが昭和五十年辺りの山口百恵の歌でこれは有害である。そして社会にも影響を与へた。世は歌に連れ、である。その後、プラザ合意の円高で西洋文化の急激な流入により、我々の世代から見れば音楽が意味不明になつた。
かつての歌謡曲は歌詞はともかく曲や伴奏は音楽の教科書に載つても変ではなかつた。「赤い風船」や「しあわせの一番星」のように歌詞をそのまま載せてもおかしくないものもあつた。江戸時代までの日本音楽から唱歌を経て歌謡曲に至る連続性があつた。 今はそれがない。世の中で経済の占める比率はせいぜい五割まででなければいけないのに、今は経済だけが世の中を動かすふうに見える。これは社会の崩壊が原因であり昭和五十年以降の音楽にもその責任は多い。(完)


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