六百七十八、三原じゅん子議員の質問に反対する者(朝日新聞等)に反対

平成二十七乙未
三月二十一日(火) 八紘一宇質問
自民党の三原じゅん子議員がグローバル経済や新自由主義に反対する質問をした。この二つに反対するのはよいことである。ところが質問の中で八紘一宇といふ言葉を用ゐたため、さつそく拝米新自由主義社会破壊反日新聞(自称、朝日新聞)が批判の記事を書いた。インターネットで「八紘一宇」を検索すると、Newsweek(ニュースウィーク日本版)のブログで「プリンストン発 日本/アメリカ新時代」といふものがある。
3月16日の参議院予算委で、与党議員として内閣に対する質問を行った自民党の三原じゅん子議員は「八紘一宇」という大戦中のスローガンを肯定的な意味で使用したばかりか、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」という発言までしています。

の段落で始まる。次の段落で八紘一宇の語を解説し、その次で質問の趣旨を次のようにまとめる。
三原議員の発言ですが、話題としては大企業が「タックスヘイブン」、つまり租税回避地を使って「節税」をする問題を批判する文脈で飛び出したようです。「八紘一宇の理念の下に、税の仕組みを運用していくこと」を安倍総理が「世界に提案すべきだ」と語ったというのです。

だとすれば私は三原議員に賛成である。ところがプリンストン発なる記事は
幾層にもわたる政治的・歴史的経緯を踏まえる中で、この発言はしっかりと批判がされるべきと思います。

とした上で、次のように批判する。
まずタイミングが最悪です。オバマ政権は、日韓関係が悪化したことで、日米韓台の軍事同盟が有名無実化し、アメリカの東アジアにおける紛争抑止戦略が根本から崩壊することを真剣におそれています。(中略)そのような中で、しかも戦後70周年の「追悼の年」に、与党議員から第2次世界大戦中に「大東亜共栄圏」拡大のスローガンに使用された言葉が抵抗感なく使われる、しかもそれが直ちに厳しい批判に晒されないというのは重大なことだと思います。

それより日本の国会での質疑はアメリカの顔色を伺はなくてはいけないといふ主張のほうこそ厳しい批判に晒されなくてはいけない。かつて社会党は安保廃棄を主張してゐたが、だからといつて自民党政府はアメリカの顔色を伺つて答弁しないといふことはなかつた。
この発言は「用語とその背景のイデオロギー」が問題であるだけではありません。/現在の日本経済は、アベノミクス「第3の矢」である構造改革、国際競争力の回復が急務です。例えば、この2年強の間に1ドル79円であった円相場は、120円まで下げることに成功しています。ですが、その一方で貿易収支は32カ月連続で赤字であり、通商取引に関して言えば「円安の方が辛い」状況に陥ってしまっています。

これは筋違ひも甚だしい。プラザ合意以降の日本はもはや国際競争力がない。人間は応用することが得意な人から定型業務が得意な人まで色々ゐる。決して前者が優れてゐるのではない。色々な人が色々な仕事に就けなくてはいけない。ところがプラザ合意以降は後者を切り捨てることになつた。既に日本には競争力がない。これを解決するにはプラザ合意以前に競争力の源となつた長時間労働と企業別組合を禁止する以外にない。ところがプリンストン発は
国内の競争力を回復するということは、つまり外へ出ていった企業が戻ってくるような政策を採らなくてはならないわけです。そのために安倍政権は今回、諸外国より高率である法人税の引き下げに踏み切りました。/ですが、これで世界に逃げていった企業の工場、事業所が日本に戻ってくるかというと、そう簡単ではないわけです。例えば英語を使った法務や会計への対応、国際的な会計基準への対応(中略)といった問題にメスを入れて、本気で改革に取り組まなくては流出した経済や雇用は戻ってはきません。

と筋違ひなことをいふ。英語を使つた法務や会計への対応はまるで船橋洋一の英語公用語である。出ていつた企業が戻るのになぜ英語対応しなくてはいけないのか。
せっかく法人減税をしてビジネスの海外流出を防止しようとしたのに、大企業優遇をイヤがる世論に迎合して、急務である改革よりも「多国籍企業バッシング」というまるで左派ポピュリズムに迎合したようなことを言っているわけです。その中身を覆い隠すために用語だけは古色蒼然としたものを使って「右派的」なスパイスを利かせた――今回の「お騒がせ」発言はそのように見ることもできます。

「世論に迎合して」「急務である改革よりも「多国籍企業バッシング」というまるで左派ポピュリズム」といふ言葉で明らかなように、プリンストン発は拝米新自由主義そのものである。

三月二十六日(木) ハフィントンポストの記事
ハフィントンポストといふアメリカの新聞がある。新聞といふものは日本でもさうだが編集者による偏向の激しいものである。ハフィントンポスト日本語版のホームページを見ると「THE HUFFINGTON POST IN ASSOCIATION WITH Asahi Shimbun」とある。これでこの新聞の日本に関する記事は社会破壊拝米新自由主義反日新聞の影響下にあることが判る。
戦後、1945年12月22日にGHQから発令された「神道指令」により、軍国主義、過激な国家主義と切り離して使用できない言葉として「大東亜戦争」などとともに公文書での使用を禁じられた。
公文書ニ於テ「大東亜戦争」、「八紘一宇」ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ(中略)ハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ却刻停止ヲ命令スル


ここでGHQが禁止したのは公文書での使用である。国会の質問は公文書ではない。更にこれは重要なことだがGHQが禁止したからといつて国民は従ふ必要が無い。ましてや講和条約締結後は何の意味もない。

三月二十七日(金) ニューヨークタイムズ元東京支局長ヘンリー・ストークス氏
次にニューヨークタイムズ元東京支局長ヘンリー・ストークス氏の発言を紹介しよう。ストークス氏はイギリス人でイギリスの新聞の東京支局などに勤務のあと、 ニューヨークタイムズ東京支局長となつた。以下は大東亜会議70周年記念大会での講演である。大東亜戦争は日華事変(当時名は日支事変。最近は日中戦争と呼ぶ人がゐるが日中とは日本と共産党政府、日華とは日本と国民党政府のことだから間違ひである。欧米の用語を猿真似するからこういふ間違ひを犯す。日本の学者、マスコミが如何に欧米の影響下にあるかが判る)が引き起こしたものだから大東亜共栄は戦争の目的ではなく手段でありその意味では虚構である。一方で当時のアジアアフリカはほとんどが植民地であり、だから大東亜共栄自体は九割がた間違ひではないが日本が中心で進めるといふ部分は残りの一割である。
このシンポジウムは1943年の11月5日、6日に東京で開催された大東亜会議の70周年を記念して開催されております。このような歴史的な瞬間を皆様と共にできることをたいへん光栄に存じます。20世紀で最も驚くべき展開は、500年続いた植民地支配、その禍が終焉を迎えたことにあります。白人による支配が霧散してしまいました。誰もがまったく予想しなかったことです。1930年代末に「インドの独立はいつになるか」と問われたネルーは、「70年代には実現するかもしれない」と答えました。つまりそれは、「私の亡き後に」という意味です。ところが1940年代初頭には、インド人たちの間に独立の気運が突如として高まりました。なぜ独立の気運が高まったのでしょうか。答えは簡単です。第二次大戦が勃発し白人の植民地支配500年のドラマに出現した新興勢力が、白人の植民地支配に痛烈な打撃を与えたからです。その新興勢力こそ、日本でした。

で始まるその講演はチャンドラ・ボースについて
ボースは今でもインドで「ネタージ」と呼ばれています。ネタージとは「偉大な指導者」という意味です。日本の支援を得て、ボースはINAを結成しました。 Indian National Army インド国民軍です。(中略)ボースは日比谷公会堂で講演しました。そのメッセージは当時のアジアの人々の気持ちを代弁していました。「私が小学校に通い始めた頃に、アジア人の国が世界の巨人・白人帝国のロシアと戦いました。」「このアジアの国はロシアを大敗させました。 そしてその国こそが、日本だったのです。」「このニュースがインド全土に伝わると、興奮の波がインド全土を覆いました。」「インドのいたるところで、旅順攻撃や、奉天大会戦、 日本海海戦の勇壮な話が、沸き立っていました。」「インドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を素直に慕いました。」「親たちが競って、元帥や大将の写真を手に入れようとしましたが、できませんでした。」「その代わりに市場から日本製の品物を買ってきて、 家に飾りました。」

そしてボースは来日した。
同年(1943年)11月5日より6日間にわたって、東京で大東亜会議が開催されました。これは人類の長い歴史において「有色人種によって行われた最初のサミット」となりました。(中略)今日、日本の多くの学者が大東亜会議は日本軍部が「占領地の傀儡」を集めて行った国内向け宣伝だったと唱えています。しかし、そのようなことを言う日本人こそ、日本の魂を売る外国の傀儡というべきです。会議では大東亜共同宣言が満場一致で採択されました。ボースは「この宣言がアジア諸国民のみならず、全世界の被抑圧民族のための憲章としようではないか」と訴えました。

大東亜戦争における大東亜共栄圏は虚構だが、大東亜共栄圏自体は九割がた正しい。一方で八紘一宇といふ言葉には日本が中心にといふ意味はないし三原議員もそのようには使はなかつたから、十割正しいことになる。

三月二十九日(日) 八紘一宇を用いたことを賞賛する理由
自民党には新自由主義派や拝米派がたくさん紛れ込んでしまつた。左右に分裂してゐた社会党が合同し特にそれまで左派の伸張が著しかつたことに、危機感を抱いた自由党と民主党(今のシロアリ民主党とは別政党)まで合同してしまつた。今から六十年前の話である。米ソ冷戦がどれだけ国内政治に影響を与えたかを示す今となつては笑ひ話である。
だから三原議員が普通にグローバリズムや新自由主義に反対しても、それで終つてしまふ。だから三原議員は八紘一宇といふ言葉を使つてみた。案の定、日本中のマスコミがこれを取り上げた。本来、グローバリズムや新自由主義に反対してもよささうな新聞はなぜそこまで考へないのか。そもそも拝米新自由主義社会破壊反日(自称朝日)新聞はその名のとほり新自由主義である。しかも英語公用語を唱へた船橋洋一が主筆になつたように拝米でもある。

三月二十九日(日)その二 小林よしのり氏のホームページ
検索エンジンで「八紘一宇」を検索したら小林よしのり氏の次の記述を見つけた。
朝日新聞は「戦時中のスローガンを国会でなぜ?」と書いているが、「なぜ?」と問うなら三原が使った「文脈」を紹介しなければならないが、それはしない。「単語」のみ問題にしている。文脈を見れば、弱肉強食のグローバル資本主義に、歯止めが必要だという、トマ・ピケティに似た趣旨がわかる。

まつたく同感である。次に
東京新聞の方がGHQの洗脳度が高いので、もっと大々的な記事になっているが、「侵略戦争を正当化」「八紘一宇 国会質問」「アジア民衆の心を刺す」「歴史的文脈無視は危険」と仰々しく書き殴り、ヒステリックな「言葉狩り」に終始している。

こちらもすべて同感である。私は朝日は新聞、東京はもはやパンフレットと断定してゐるが小林氏は東京の方がGHQの洗脳度が高いと表現した。どちらも同じ内容である。(完)


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