六百七十三、下の子の卒業式

平成二十七乙未
三月四日(水) 一番印象に残る話
下の子の高校卒業式があつた。今まで上の子と下の子の入学式と卒業式が合計十三回あつた。そのうち卒業式は仕事の都合で二回ほど参加できなかつた。そのなかで校長の話が記憶に残つたのは一回だけで、今回校長から「周囲の人間と過去は変へられないが、自分と未来は変へることができる」といふ話はよかつたので、これが二つ目になると思ふ。実際は何年か経過しないと記憶に残るかどうかは判らないが。
一つ目は上の子が確か小学校を卒業するときの伊能忠敬の話である。その理由は日本の過去の偉人でありしかも関東地方で身近である。これが外国人、特に西洋人では駄目である。我々と差が大きすぎる。徳川家康や豊臣秀吉でも駄目である。身分が違ひ過ぎる。伊能忠敬なら我々でも出来さうである。そして佐原といふ昔の雰囲気を色濃く残す観光の名所と重ね合せて記憶してきた。

三月五日(木) 茶話会
卒業式の終了後に会議室でPTA学年委員会主宰の茶話会がある。ウーロン茶を1カップづつ、クッキーが6個くらい入つた袋を受け取り、まづ一年から三年までの体育祭、文化祭、合唱コンクール、修学旅行のスライドを観た。時間が余つたので同じ物をもう一回映し2/3くらい終つたところで担任七人が挨拶した。
三人は三年前に初めて一年の担任になり今回初めて卒業式を迎へたさうで、そのうち一人が理系なので話が下手ですが、と前置をしてから話をした。別に下手ではなかつた。校長は自分も話すと思はなかつたみたいで、私も理系ですが、と前置きして話されたが、もちろん校長の話は上手である。私は、理系だから話が上手でなくてはいけないと思ふ。理系は、話を階層的に話すことと間を取るのが得意である。理系の若い教師にそのことを言はうと思つたが話す機会がないまま拍手で八人の教師は退場した。勿論文系も話は得意なはずである。文系の場合は表現力の豊かさと話題の豊富さを駆使すべきだ。
校長先生はうちの子に国立大の推薦入試のための面接指導を個別にしてくださつた。そのお礼を言ふよう妻に言はれていたが、その機会がなかつた。思へば上の子のときも副校長先生が国立大受験者数名に社会課の特別授業をしてくださつた。熱心な教師に恵まれた。

スライドは写真を数秒づつ連続させてPCでスクリーンに映し背景に軽音楽が流れるもので開会前に放映すべきだ。それより各クラスごとに集まつて担任を囲むなど対話の時間をとるべきだつた。

三月六日(金) 年齢相応の話
偶然といふことがある。毎週月曜は会社で朝礼がある。今週は私が話す当番だつたので、上手な話し方について話した。話は階層化する、四つ話すことがあるとすると四つを並列させて話すのではなく階層化して話す、次に間を取る、以上は以前の朝礼で話したが学校の授業の場合はそれだけだと生徒が退屈するから30分に一回面白い話をするとして、面白い話の例を三つ実演した。その二日後だつた。

年齢相応の話ができなくてはいけない。PTA会長の話を聞いてふと、さう思つた。年齢相応とは人生の経験を積むにつれて話が上手にならなくてはいけない。別にPTA会長が下手だといふのではない。あれが普通である。普通であるが故に過去のほとんどの校長、PTA会長、送辞、答辞は式が終ると内容を忘れる。現に私は伊能忠敬の話以外は覚えてゐない。

三月七日(土) PTA批判
PTAでは三年前に午前と午後の両方に会議などがあるときは昼食代を支給するようになつた(日本のPTAは一旦廃止を)。私はこの決定に反対である。PTAの行事がなければ昼食は取らないが、行事のある日は昼食を取るといふのであれば昼食支給に賛成である。しかし行事があつてもなくても昼食は取る。それなのに昼食代を支給することは道理に反する。家で食べれば安いが学校で近くの店に買ひに行くと高くなるといふのであれば自宅から弁当を持つてくるべきだ。
PTAで更に反対のことがある。成人委員会主催の劇やミュージカルの観賞は多額の補助が出る。それでゐて参加者はPTAの役員や委員がほとんどである。私が委員長を努めたホームページ委員会は予算があるといふので一眼レフやら望遠レンズを買ふ。月に一回二時間程度使ふだけなのにインターネット回線を会議室に引く。実に無駄である。多くとおとなしい保護者の会費を少数の役員や委員が浪費する。PTAは一旦廃止すべきだ。その立場で次にPTAを批判したい。

壇上向かつて右側に校長など三名、左側にPTA会長、同窓会会長の二名が並んだ。PTA会長だけが着物なのですこぶる目立つた。これはよくない。卒業式の主役は卒業生であり、二番目が校長である。この壇上光景だとどう見てもPTA会長が主役になつてしまふ。
茶話会でPTA会長が、特権で卒業生の顔を見れたが最初から涙ぐむ正ともゐたといふ話をした。そのこと自体はよい話だが特権といふ言葉がよくない。この会長に限らずPTAではときどき特権で何々ができるといふ言ひ方をすることがある。しかし特権なんて言つてはいけない。もし特権があると思つたらそれを上回る働きをしてその分を返すべきだ。私はホームページ委員長のときに取材当日だけではなく前日も学校に行つて一眼レフ三台を受け取り家で充電して翌日学校に持つて行つた。肩に掛けて自転車に乗ると振動で機械が痛むといけないので自転車を押すか片手で浮かせて持つてゆつくりこいだ記憶がある。

三月八日(日) 仰げば尊し
私が小学校五年のときだらうか卒業式に左在校生として参列した。音楽の教師が式の最中に幾つか曲をバックで演奏した。その中に「仰げば尊し」があり、よい曲だと思つた。典型的な日本の歌曲で文部省唱歌にも指定されてゐる。
この曲はアメリカの十九世紀の楽譜にある。そのことが四年前に発見された。だとしてもやはり日本の名曲である。それはアメリカで流行しなかつたためである。二百年近く忘れられてゐた。アメリカで発見された楽譜を演奏したものを聴いてみると伴奏の付け方が日本のものと違ふ。私が小学五年で聴いた曲は四小節目の付点四分音符+四分音符をタイで繋げたところに伴奏で四分、八分、四分でドーレミーと入つたがこれがない。日本の楽譜にもこの伴奏のないものがある。それでは価値が減少する。
更に歌詞も重要である。日本で長い間、国民に親しまれたのは歌詞も優れてゐるからだ。アメリカの歌詞では芸術性に乏しい。日本の歌詞も二番は立身出世を煽るものだといふ批判がある。世間から尊敬される人間になれといふ意味で、地位や名声の上昇を望むものではないと解釈したいが、当時の時代背景と作詞者の意図は判らない。だから二番は歌はなければよい。
二人の子供の六回の卒業式で「あふげば尊し」は一回も歌はなかつた。私自身の卒業式では小学校の時に伴奏として演奏された。しかし歌はなかつた。
(補足)インターネットで調べると田中克己氏が次のように書かれてゐる。
〈身を立て名をあげ〉については、中国古典『孝経』にある〈立身行道挙名後世〉からの借用である。(中略)『孝経』の「開宗明義章」第一に見られるが、その段の文脈は以下のとおりである。
先生がおっしゃった。一体、孝行というものは、あらゆる道徳の根本を為すものである。教化のよって生ずる根源を為している。まあ座りなさい。わたしがお前に篤と話してやろう。わが身体は両手・両足を初め毛髪・皮膚の一切に至るまで、すべて父母から戴いたものである。いわばわが身体は両親の遺体である。この大切な遺体を善く守ってわけもなくいため傷つけないように心がけるべきである。それが孝行の始めというものである。
人として立派に成長し、正しい道を践み行い、名を後の世までも語り継がれるように高く揚げて、その上、だれそれは誰の子であるよと、父母の名を世間に広く光りかがやかせる。そうすることが、孝行の終わりというものである。(以下略)


やはり私の想像は正しかつた。(完)


メニューへ戻る 前へ 次へ