六百六、1.忍び寄る老化現象、2.うちの労組は存続できないかも知れない
平成二十六甲午
八月三十一日(日)
ホームページを作らなかつた日
最近老化現象を感じるようになつた。ちよっとした間違ひが多くなつた。昨日は関西から来客がありAさんのお見舞いに
行くため西武線に乗らうとして東武線の方向に向かひ途中で気付いた。そのような間違ひが多い。沖縄から帰つた翌日
から体が重くなりこれは四日間ほどて治つた。このときは往復とも夜行便だつたことと暑い中を長時間外にゐたことが
原因である。ところが四日ほど前から気候が急に涼しくなりまた体が重くなつた。
ホームページを作ることは世の中のためになるし、脳の老化も防ぐ。さう思つてきたが、同じことを繰り返すと脳の刺激に
ならない。だから昨日は家に帰つてからパソコンの電源を入れなかつた。
九月一日(月)
ミャンマーの経典学習会は欠席
昨日はミャンマーの経典学習会があり、絶対に出席の予定だつた。ところが昨日の朝、体が重いので欠席することにした。
日本の座禅の方法に二つあり曹洞宗では思考せず座る、臨済宗は与へられた公案を思考する。上座部仏教の瞑想は座禅と
比べると足が自由である。座禅は足を組むから時間が経つと痛い。その痛さとの闘ひが瞑想で、上座部仏教の瞑想は各国各
宗派内、更にはここ百年ほどの各グループによつて息に集中、数を数へる、水晶を思ひ浮かべるなど多様である。これらを
まとめると、大乗仏教が阿弥陀仏、釈迦仏、X経、密教などに祈るのも実は瞑想の方法だと気付く。つまり仏教各派は同じ
だと判る。
このように考へると一神に祈るXX教、イスラム教、多神に祈るヒンズー教、道教、神道、経典を重んじる
儒教も同じだが、これについては岡倉天心がインドで会つたヒンズー教指導者が世界のすべての宗教はヒンズー教に統合できる
と言つたように、世界のすべての宗教はどの宗教に統合することもできる。
その理由は宗教とは教祖が言つたから宗教に
なるのではなく、長い年月を掛けて宗教になる。これは人類が永久に存続する知恵であり、ストロース式に云ふと構造である。
ミャンマーの経典学習会に参加するとそのようなことも判つてくるがそれが目的ではない。ミャンマーの人たちが純粋に信仰する
ものを我々日本人も信仰しよう。そしてミャンマーの文化にも触れよう。これが目的である。
九月二日(火)
労組の全国集会も欠席
年に一回全国集会が行はれる。今年は札幌で開催されるが私は欠席することにした。その理由は行く時間があればホームページ
の特集を一つ作れる。そのほうが世の中のためになる。私も今の調子であと何年作れるか。もう一つ、毎年同じ内容で飽きた。私に
話させてくれればあの十倍は面白く話せるのだが。一番有益な題材は「左翼と右翼の共通点」、二番目は「なぜ今でも米帝国主義は
人類と全生物の敵である、と主張しなくてはいけないか(世代の引き継ぎ)」、三番目は「旧社会党の右派と左派の対立の考察」。以上
は三〇分コース(出席者の討論を含めて一時間)だが五分コースで「話を十倍有意義に話す」もある。これなら分科会ではなく総会
のとき五分間時間をもらえれば参加者全員の話し方を改良できるのだが。
昨年の山形大会で九里学園高校校長九里廣志氏の話はよかつた。私は別の分科会に出席
したから終了後の発表を聞いたが同感である。私が今まで参加した全国集会で有意義だと感じたのはこの発表である。
九月三日(水)
月に二回から三回国会図書館へ
数年前までは土曜に月二回から三回国会図書館に行つた。書籍を引用する場合に国会図書館だとまづ帳面に書き写し、自宅でパソコン
に入力するから二重手間になる。引用する場所を後で精査するためその十倍は余分に書き写す手間も掛かる。その後、地元図書館で
借りられるものは書籍を見ながら入力するようになつた。しかし国会図書館も月に一回くらいは行きたいものだ。
ところが土曜に組合事務所に当番として詰めるから今は国会図書館に行く時間がない。それでも組合活動を続けてきたのは、うちの
組合は左翼(三里塚闘争時代から活動したA副委員長)から民族派(分裂前に引退したK執行委員)まで誰でも入れることと、一人で加入
してもきちんと闘争できることだ。よその組合は一人だと加入させないことが多い。うちはどんな人でも加入させる。これこそ大きな特長で
ある。
将来はO委員長代行が委員長、A副委員長が専従といふことで引き継ぐことが三年前までの規定路線だつた。A副委員長の左派路線を
嫌ふ勢力があり、A副委員長の書記長就任に反対しやむを得ず私が書記長を務めてきた。ところがA副委員長が倒れ組合の均衡が崩れて
現体制維持派(世間は右派と呼ぶがこれは正しくない。大手組合や経団連は既得権派で、そこまでひどくはないが中小労組に加入しても
不満がないと戦後体制を維持したくなる。S書記長【分裂後は向ふ側の委員長】がこの勢力を嫌つてアンタッチャブル組合員は除名にしろと
過去の主張を蒸し返したことがあつた)が動き出した。
ここで私が引退すると組合の均衡が更に崩れて左翼から民族派まで共存できなくなる。私はますます引退できなくなつた。
九月五日(金)
反小出発言
区民が気軽に集まれる歓談カフェを東京東部の区の施設で開催してゐる人がゐる。この人は労組のOBでもある。三日の会議にうちの
組合事務所でも開催したいと言はれたことを紹介したが、或る副委員長が反原発の話はそこでやるなと発言した。委員長も同調して「小出裕章
は科学ではなく結論が先にあるからイデオロギーだ」と発言した。
翌日の執行委員会ではそのOBにも来てもらつて歓談カフェの説明を聞き、前日の副委員長はこの日も反原発はやるなと話した。このときは
それだけなので問題はなかつた。ところが終つたあと近くの安い食堂に飲みに行つたとき、委員長がまた反小出発言を始めた。私は席が
離れてゐたので何も反論しなかつた。
労組が反小出発言を繰り返すのは適切ではない。我々は電力総連や電機連合ではない。中小労組である。思へばA副委員長が倒れて
十ヶ月。それまでは現体制維持派が「労組がどんどん左に行くのではないか」と心配するので、私が「誰もが共存できる体制を維持するから
大丈夫」と答へたことがある。それが逆になつてしまつた。反小出発言から二日間考へてみたが、今の労組を維持することはたぶん不可能だらう。
九月六日(土)
会議が機能しない事態
そういふ問題は会議で話し合へばよいのだが、うちの組合はA副委員長が倒れて以来、会議が機能しなくなつた。まづN書記次長問題
が突然発生した。なぜ発生したかと言へば今まではA副委員長がH委員長の防御役を引き受けてくれたのだが病気で倒れたため、
N書記次長とH委員長が激突した。
この問題でさんざん組合内が荒れたあとN書記次長は組合を脱退し一段落したが、今度は私が委員長と激突するようになつた。三日
の会議で組合のロゴが問題になつた。四年前に分裂した向かう側に対して登記の問題で裁判を起こし、結局はこちら側が敗訴して名称と
ロゴを使へなくなつた。委員長がロゴを変へたからMUといふ字は使つてもよいと発言したので私が「ホームページは最初その方針でした
が字も変へたほうがいいと指示があり、新しいものを使つてゐます」と発言しようとすると最後まで発言させず途中で突然「フォントを変へ
たから使つてもいいんだ」と大声を出すので「いや、ホームページの場合を説明してゐるので」と言ひかけても「字とロゴの違ひも判らない
のか」「加藤晋介弁護士に直接聞いたのか」と言ひだし結局五分間議論して最後まで発言できなかつた。
私も五八歳でいつまでこのホームページを今の調子で続けられるか判らないからもつと時間を掛けたいのに、なぜ私より二十歳近く
年上の人と大声を張り上げて無駄な議論をしなくてはならないのか。と同時にこんなことをやつてゐたら組合は確実に消滅する。
九月七日(日)
その時代の人たちに任せる
委員長の反左派発言は「何が総労働対総資本か」と吐き捨てるように言つたり、「私は左翼は嫌いです」と発言するなどここ数ヶ月で
突然発生した。ちなみに私は「総労働対総資本」がないと労働者どうしの団結ができないから「総労働対総資本」は必要だと確信する。
そもそも社会党が存在した時代はそのこと自体が「総労働対総資本」だつた。だからといつて私は組合内でその話をしたことはない。
だから何を理由に「何が総労働対総資本か」と吐き捨てるように言ふのか不明である。
このままだと次期委員長はOさん、書記長が私と、左左コンビになつてしまふと危惧するのかも知れない。だから私は前から書記長は
別の人にお願ひする方法もあると言ひ続けてきた。またOさんも私も特定の政治団体に所属するわけではないから左派を警戒する
必要はない。私に至つては三島由紀夫、森田必勝兩烈士追悼四十三年祭に参列したから右翼だ
と言はれてもよいくらいである。
かつて労働組合はいろいろな政治団体の派閥争ひの場と化した。今は事情が違ふ。そのときの組合員に任せるのが一番よい。(完)
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