六百一、辺野古の美しい海を守らう(その一、沖縄県内基地賛成派兵糧攻め大作戦)

平成二十六甲午
八月十五日(金) 辺野古を埋め立てたら二度と戻らない
日米軍事同盟は短期の問題である。日米軍事同盟を軍事以外に拡張し、文化を破壊するのは中期の問題である。これらに対し美しい 海を埋め立ててはいけない。これは長期の問題である。埋め立てたら二度と戻らない。

八月十六日(土) ジュゴンの生息地を守れ
琉球新報98年1月27日に次の記事が載った。
海上基地候補地となっている名護市辺野古のキャンプ・シュワブから約一キロの沖合で二十六日午前九時二十分、琉球新報は、 海面をゆっくり泳ぐジュゴンの撮影に成功した。国内で野生のジュゴンの撮影に成功したのは今月十三日の日本テレビに次いで二度目。 ジュゴンの調査を続けている内田詮三国営沖縄記念公園水族館館長は、同海域がジュゴンの日常的な生息場所なのかについて「当然 だろう。藻場があるのだから」と説明した。度重なる撮影で同海域がジュゴンにとって回遊だけでなく生息地である可能性が一層高まった。 ジュゴンは同日午前九時十分、濃紺の海の下からゆっくりと海面に上がってきた。浮上した途端、鼻から一気に息を噴き出し、海面に白い しぶきが広がる。ビロードのような光沢のある褐色の体が姿を現した。体が丸みを帯びたかと思うと、左右に広がる人魚のような尾びれが 空を仰ぎ、海中へと再び身を沈めた。


インターネットで「辺野古 ジュゴン」で検索しよう。偏向のひどい反ジュゴンのページがたくさん出てくる。一例を挙げるとYahoo知恵袋の 辺野古にジュゴンがいるというのは、本当でしょうか? の答は二つしかなく、ベストアンサーに選ばれたのは昨年十二月の
18日(水)日本テレビ23時のニュースで人気の女性キャスター山岸舞彩さんが辺野古の海に潜るというのでジュゴンの映像が見られるのかと 期待したのですが大変がっかりしました。どうやら事実はだいぶ違うようです。出てきたジュゴンの映像はもっと南のフィリピンのほうの海に 生息するものでした。
活動家の方がこの地域にいる根拠としている海草の生えていない部分があるといいましたが、畑ではないのですから海底の草の生え方に 均一でないところができるのは当たり前だと思いませんか?
これだけを見てジュゴンがいると言うほうが、むしろ無理があると感じました。(以下略)

質問者のコメントは
ネットでジュゴンの映像を調べましたが、でてきませんでした。ジュゴンの食み跡といわれる画像と、保護活動の情報だけですね。 回答頂いたとおり、胡散臭い感じがします。ありがとうございました。

もう一つの回答は
ジュゴンは、いるのでしょう。しかし、普天間基地の移設先は、辺野古しかないので、どっか他に行ってもらうか、基地と共存してもらうしか 無いでしょうね。
民主党が、政権与党だった時代に、あちこち、代替地を探しましたが、何処にも、そんなものは、ありませんでした。(以下略)


普通Yahoo知恵袋は回答が多いが、今回は質問の翌日に二件あつただけだ。それだけなら一笑に付して終はりだが、このようなページが 検索の上位にたくさんあると、国民に誤解を与える。ジュゴンは絶滅が心配されてゐる。そして棲息の北限が沖縄である。短時間潜つて撮影 できる訳ではない。98年の琉球新報に載つたようにジュゴンは確実に棲息してゐる。辺野古の海を埋め立ててはいけない。

八月十六日(土)その二 辺野古賛成派を兵糧攻めにしよう
沖縄には辺野古賛成派と反対派がゐる。だから賛成派の意見にも耳を傾けようとした(沖縄旅行記外伝八月十日(日) 基地賛成者の意見)。しかし「ジュゴン 沖縄」で検索すると賛成派は偏向が過ぎる。賛成派がどこから生じるかといへば、広く国民が負担 する税金からだ。基地反対派にとつては基地は迷惑なものだから、本土の人たちは反対派と連帯し基地削減に努力すべきだ。一方で賛成派は 基地の地代と対策費を食ひ物にする。とんでもない連中である。
本土の住民は沖縄の基地賛成派の収入を税金が賄ふことに反対しよう。(沖縄旅行記外伝八月十日(日)基地賛成者 の意見)に書いたが、地代が年に八百億円といふことは固定資産税以外の経費が掛からないから利益だけを見れば確かに八千億円の 売上げに匹敵する。しかし一般の産業が八百億円の利益を得るために八千億円売り上げたとき、従業員への給料、原料費、電気代、事務所や 工場の家賃など経費はすべて沖縄県内の収入になる。地代は地主だけが儲ける。八百億円の地代は八千億円に匹敵するといふ主張は、沖縄 の基地で検索エンジンを調べると大量に出てくる。
基地に賛成する人で地代或いは米軍関係で収入を得る人がどれだけゐていくら収入を得ているのか発表すべきだ。すべての日本国民はそのような ことに税金を使つてよいのか大いに議論しようではないか。

八月十六日(土)その三 原子炉と基地は似てゐる
東北大地震の起きる前年に茨城県東海村の原子力施設を見学した。駅前に無料送迎バスが来て、その日の乗客は私一人だつた。日本で 初めての原子炉を始め色々な原子力研究施設を見学した。帰りに駅の待合室の立派なことと、駅前通りの市の施設の立派なことに驚いた。 もちろんその前に私一人しか乗らない無料送迎バスにも驚いた。見学者のゐない日もバスの運転手に給料は払われるのだらう。
その翌年に東北大地震が起きた。福島第一原発のある福島県大熊町、双葉町はもとよりその風下となつた地域で被害が大きい。しかし 事故が発生するまでにさんざん潤つたのは地元である。事故が起きたとき地元はこれまでさんざんカネを貰つたからよいとして風下の 離れた地域である。同じことが基地でも言へる。
沖縄県名護市辺野古区のホームページがある。これによると
キャンプシュワーブ
農村であった辺野古は、基地という経済基盤の元に地域開発を進めるために、有志会では軍用地契約に踏み切り、昭和32年に基地建設が 着手されました。


とある。基地のゲート、基地内のビーチの写真まで掲載されてゐる。そのすぐ次には
アップルタウン
基地建設の着工を機に新しいまちづくりの機運が高まり、昭和33年に上集落のまちづくりがスタートしました。このまちづくりにおいて多大な 協力をしてくれたアップル少佐に因んで町名が「アップル町」と命名されました。その後、この開発によりまちは急成長し昭和40年には 309世帯、2,139人の規模となりました。


とあり、アップル少佐なる人物の顔写真まで載つてゐる。行事のページには
ハーレー大会
古来住民娯楽として催されたハーレーは、青年団を中心に行われていたが、近年では字行政が主体となり各班対抗や職域対抗が行われています。 沖縄高専、キャンプシュワーブの皆さんもチームを組んで参加しています。


とある。大会の写真が三枚り、そのうち一枚は米兵たちが私服で船を漕ぐ。これは地元対策だと気づかなくてはいけない。基地との交流のページ では
親善委員会
年に一回行われ、地域と基地との問題解消のための取り決めをしたり、地域行事の案内をします。

区民運動会
毎年、辺野古区民運動会に11班として参加するキャンプシュワーブの人たち。


として米兵たちが私服で参加する写真が二枚ある。久辺地区のまちづくりのページには、公民館、マルチメディア館、みらい1号館、2号館、 国際海洋環境情報センターなどの写真が載つてゐる。国際海洋環境情報センターは深海生物の標本や潜水船の模型、 ジオラマ等の展示物の見学や、開放パソコンがあり、各種の情報収集ができますとあるから海洋環境の活動を行ふ施設ではない。 展示とパソコンがあるだけである。いかにも補助金の無駄遣ひで作つた。そんな感じである。
辺野古のまちづくり構想のページには、アップルタウンの玄関口、生まれ変わるアップルタウンの中央通り、海浜公園、親水公園、漁港整備と運動場 の構想図が描かれる。人口の割りにこの贅沢な施設はいつたい何だ。国民はこんなことに税金が使はれることに怒りの声を上げよう。


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