六百、沖縄旅行記外伝

平成二十六甲午
八月九日(土) 本当の被害者は
三年ほど前、浅草の木馬亭に浪曲を聴きに行つた。「義士外伝」といふ出し物があり、そのとき初めて外伝といふ言葉を 知つた。浪曲も本土の民謡も沖縄民謡も根柢は同じである。心地よく聴くことができて長い歴史がある。といふことで今回 は沖縄旅行記外伝と称する事にした。
沖縄に行く前に、基地反対運動に参加する人たちは基地の被害者だが、本当の被害者は国民全体ではないのか。さう 云ふ感想はあつた。それは沖縄にアメリカンビレッジといふ軽薄な建物があるからだ。しかしこれは日本全体の現象である。 社会党が崩潰して以降は反日拝連合国といふ奇妙な平和運動が出てきた。アメリカンビレッジといふ軽薄な建物が現れた のも本土の傾向に沿つたものと言へる。
沖縄で基地反対運動を進める人たちにとつて基地は不愉快なものだから被害者である。しかし基地から土地代など収入を 得る人、アメリカかぶれの人にとり基地は不愉快ではない。国民の一人一人は僅かな金額ではあつても税金で負担したお 金がさう云ふ人たちに流れる。だとすればやはり国民全体が被害者である。

八月十日(日) 基地賛成者の意見
ここで基地賛成者の意見を見よう。
  1. 軍用地料850億で経費は固定資産税以外かからない。県全体の観光収入は4000億円。
  2. 軍用地料880億、軍雇用員給与460億、軍関係消費500億で沖縄経済の5%。ここには基地による公共工事や民間地域にある外人住宅の建設・維持費も含まれていない。たとえば北谷町内(基地外)のすべての4階建て以上のマンションのうち8割以上は外人住宅で占められている。この米軍住宅に備えられる、システムキッチン、洗濯機・乾燥機・大型冷蔵庫・エアコンなどの備品類も相当な金額である
  3. 沖縄企業の所得申告で第1位から100位までの全企業の所得合計ですら830億にしかならない
  4. 道路保全に沖縄は国から95%の補助を受けられるが、他府県は70%以下。学校建設整備では沖縄県は85%国庫補助、他県は50%国庫補助。漁港整備は90%対66%、公営住宅建設75%対50%、水道施設整備75%対33%、空港整備95%対66%とほとんど全産業分野に及んでいる
  5. 沖縄県は本土よりガソリン税がリッターあたり7円安く、沖縄自動車道の通行料金は本土より約4割引。航空機燃料税は那覇-羽田間は他路線より半額
  6. 那覇文化てんぶす、沖縄こどもの国(こども未来館)、北谷ミライセンター、嘉手納水釜町営住宅、嘉手納町マルチメディアセンター、沖縄市コザミュージックタウンなどは基地関連の国庫予算で建設されている
  7. 各自治体へも多額の軍関連の交付金を支給
  8. 基地撤去を叫びデモ行進をする人々は、ほとんど自治労・教職員・出版労連など日々の経済戦争と無縁で失業の心配もないノー天気で、県内の民間賃金水準の2倍以上の恵まれた高所得を得ている
沖縄旅行の前に国民全体が被害者だと感じたのは、アメリカンビレッジといふ軽薄な建物である。沖縄に行つて国道の両側に 鉄条網付きの高いフェンスがずつと続くのと、キャンプシュワブの門前で反対運動をする人達を見てやはり沖縄が被害者 だと思つた。今、これらの記事を見て基地をカネで解決しようとする嘘つき幕府(自称日本国政府、菅直人の嘘以後は消費税を 一旦戻した上で改めて議論しない限り嘘つき幕府と呼ぶことにした)が国民を分断したのだと判る。
まづ1.は8500億円の効果があるとなつてゐたがそれは違ふ。観光業界の利益率が10%だとして一次業者(ホテル、バス会社、 レンタカー、飲食店、土産物屋など)の利益は400億円に留まる。しかし従業員の給料、燃料代、製造業への支払いなどを考へれば 4000億円すべてが沖縄県内の収入になる。2.は米軍関係者は最近は基地内に居住するようになつたそうだ。6.と7.は原発と同じ 問題である。原発のある自治体はいい思ひをする。しかし隣の自治体は事故のときに放射性物質だけ来る。辺野古で言へば美しい 海は地元の漁協だけではなく人類全体、生物全体のものである。

八月十三日(水) 昭和四十七年に戻らう
沖縄が日本に復帰した後は、米軍基地借地料の値上げ、米軍基地日本人従業員の給料などあらゆる面で親米工作が行はれた。 当時は米ソ中の冷戦時代だからやむを得ない。日米安保条約が軍事面に留まる限り問題はない。ところが冷戦終結後はアメリカ の厖大な債務を解消するため、日本文化破壊工作が続いた。といふよりはバブルのときにアメリカの不動産を買い占めたのが 原因とも言へるし、そんなことは大した問題ではないのだがそれを口実にアメリカが日本破壊工作に転じたと言へる。船橋洋一の 英語公用語はその典型である。
だから本土も沖縄も昭和四十七年に帰らう。これが本土も沖縄も再生できる唯一の道である。

八月十四日(木) 全日空と格安航空会社、七月末と八月
今回の格安旅行は全日空が夏休み期間に深夜の貨物便を旅客に開放したため実現した。インターネットで調べると更に往復で 四千円程度安いものがあつた。成田発着の格安航空会社である。本来は大企業よりは中小企業、既得権会社よりは新規会社 を応援するから格安航空会社を利用したかつた。しかし往復が深夜便で更に成田まで往復するのはきつい。そこで全日空を 利用することにした。
貨物便だから貨物室に乗つた。といふのは冗談で普通の旅客機である。しかし荷物を満載してゐるため乗客数は1/3程度だ らうか。係員は二百名といつてゐた。羽田空港はこの一便のためにわざわざ深夜まで出発階を開けた。尤も下の到着階に行つたら 次々と到着便があるので降りた人で賑つてゐた。
七月末に行つたのは値段が安いからである。八月に入ると高くなる。八月で台風が来ると困るから七月のほうがよい。さう云ふ 読みもあつた。天気予報で全国の気温を見ると東京が35度、沖縄は32度である。沖縄は海に面してゐるから暑くない。さう 思つて行つたがこれは失敗だつた。東京が35度のときは冷房の効いた部屋にゐる。沖縄は外を歩くから暑い。万座毛、 名護市内、沖縄市内、那覇市内、いづれも暑かつた。今回の旅行は暑さとの闘ひだつた。
沖縄の観光客数は夏に多い。だから季節外れではないと行つたのだが夏の観光客は海水浴が目的である。私は市内観光。 ここに大きな間違ひがあつた。梅雨明けの十日間は暑い。これをすつかり忘れてゐた。そして航空券の安い理由が判つた。

八月十四日(木)その二 往路の酒
出発日は家で夕食を食べてから羽田に向かつた。航空機の中で、或いは深夜にホテル到着後によく寝られるように水筒に 焼酎を薄めて入れた。このとき私も年を取つたな。さう感じたことが2つあつた。私は焼酎は五度に薄めて飲む。ビールと同じ である。ところが間違へて十五度に薄めた。計算間違ひである。次に空港に着くまでの間に或ることに気付いた。登場時 の荷物検査で液体は持ち込めないのではないか。私は五十八才だが二年前まではこの程度のことは瞬時に気付いた。それ だけ年を取つたのだらう。
空港に着いたあと、十五度だと喉に悪いから飲用水のあるところで少しづつ飲んだ。お腹がいつぱいのときは飲んでも酔はない。 たぶん胃を通過したあと腸内細菌がアルコールを分解するのだらう。出発時間までに500mlの水筒を全部飲んでもほろ酔ひ加減 といふか搭乗時には完全に醒めてゐた。荷物検査で出納の中を見せてくださいといふので、そこは準備万端、水筒の蓋を開けて 中をみせることができた。窓から外を眺め、あれが伊豆半島か、紀伊半島かと順に追つた。そのうち陸地が見へなくなり島を 幾つか見た後に着陸した。

八月十五日(金) 二十三年前の船の旅
二十三年前に船で沖永良部島まで行つたことを思ひ出した。JRの一般周遊券で西鹿児島まで行き、一泊して翌日午後の船に乗つた。 指定周遊地を二ケ所回らないと割引にならないためである。出航の時に天井のない甲板の一番後で景色を見た。鹿児島港がだんだん 遠くなり見えなくなると走つて甲板の前に行く。暫くすると島が見えてくる。島が真横に来たとき走つて甲板の後に行き島が見えなくなる と暫くして前に島が見えてくる。だんだん空が暗くなつてきた。船内の放送で船がこれから揺れますと言つてゐたが、ワンカップの日本酒 を飲んで食堂に行つた。といつても海水浴場によくある臨時の店みたいな感じで椅子は雪印アイスクリームだとか書いてある長椅子だつた。 私はかういふ質素なところで食事をするとなぜか嬉しくなる。そこでカレーライスを食べた。そのまま寝て翌朝起きると島に順番に止まる。 沖永良部島は沖縄本当の一つ手前だからまだ先である。それにしても船はぜんぜん揺れなかつたではないか。これは今でもミステリーで ある。最初、船内の放送は聞き間違へかと思つた。しかし船酔ひの薬は売店で売つてゐますといふ放送もあつたからやはり揺れたのだらう。 揺れたのに気が付かなかつたのか揺れる前に船の中を走り回つて疲れて寝てしまつたのか、今以て原因が不明である。
旅行が終つて何ヶ月かしてクルーズが流行だといふ記事を毎日新聞で読んだ。私は思想は先端を行くが流行では後のほうを行く。 それなのに今回は流行の先端である。クルーズとは高級な客船のことであり、私のようにフェリーに乗つて、バス停に於いてあるような 長ベンチに座つてカレーライスを食べるのは言はないことに気が付くのはそれから八年くらい掛かつた。それにしてもフェリーはディーゼル エンジンの音がうるさい。或いは振動が床を伝はつてくる。


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