六百、沖縄旅行記外伝(その二)

平成二十六甲午
八月十六日(土) 沖縄言葉
沖縄言葉で優れた動画は アナと雪の女王沖縄口でめがねを買ふがある。 二十三年前の奄美旅行で沖永良部島は東京の単語が入らないから日本語だといふことさへ判らなかつた。奄美本島はときどき単発で 東京の単語が入るので日本語だと判つた。二十年前に奥羽本線の各駅停車に乗つたら近くのおばあさんが津軽言葉で話してゐたが やはり日本語だと判らなかつた。たまたま「受験勉強」だつたか単語が一つあつて日本語だと判つた。沖縄と津軽に限らず全国の言葉が都市 を離れて共通の単語が少ないと判らなくなる(津軽言葉)
先ほどのアナと雪の女王の若い時代が南部言葉である。 津軽言葉と南部言葉はどちらがより判りやすいといふことはないが、今では津軽のほうが東京言葉の影響を受けてゐないことが判り難い原因だと思ふ。
どこの言葉のクイズではアイヌ語、韓国朝鮮語、モンゴル語 を引つ掛けで入れてあるがあとはすべて全国各地の日本語である。私が民族でデジタル分類すべきではないと常日頃言ふ理由はここにある。 朝鮮半島も鹿児島言葉も宮崎言葉も山形言葉も東京や大阪の人間には外国語に聞こえる。江戸時代まで日本では外国人を区別しなかつた。 これは欧州やアジア各国も同じであらう。西洋の近代野蛮文明が民族なる語を生んだ。

八月十六日(土)その二 羽田空港はバスで行かう
羽田空港までは蒲田から路線バスで行つた。鉄道より五十円安いといふ理由もあるし、政府の保護下にある鉄道よりバスを使はう。さういふ 理由もある。バスも政府の保護下だが赤字になりやすく応援しようといふ気になる。路線バスとはいへ、直行路線で途中で止まるのは大鳥居だけ である。通勤の帰宅に利用する人が数人、国際線ターミナルで降りた中国人家族が四人くらいだつた。
かつて東京駅から羽田空港まで都営バスがあつた。今は京急が蒲田、川崎、大井町などから走る。それ以外に横浜、大宮などもあるがこれは 路線バスではないから高い。政府の保護下の産業にはカネを使はない。使ふ場合は赤字になりさうなところに使ふ。しかし値段は安いほうを選ぶ。 これが鉄則である。

八月十七日(日) 伊計島
私が二十数年前東京豊島区東池袋のコンピュータ専門学校に勤めてゐたとき、そこの理事長は多数の不動産会社を経営してゐて伊計島を島ごと 買ひ取つてリゾートホテルを経営してゐると聞いたことがある。毎月給料から積み立てて(といふか勝手に天引きされて)夏に皆で泊まりに行くのだが、 その年は都合で行かず、翌年からは海外に行くようになつたから伊計島は一回も行つたことがない。インターネットで調べると今は島の人口は318人 で南部に住む。隣の島までは海底トンネルがあり、そこから伊計島まで昭和57年に200mの橋が完成した。だから本島から車で行ける。島北部に アメリカ軍の保養施設を修復したリゾートホテルがあつたが二年前に倒産した。琉球新報2012年2月15日号によると
【うるま】うるま市与那城伊計のホテル「ビッグタイムリゾート伊計島」が15日、閉鎖する。2008年のリーマン・ショック後の金融危機に伴う景気悪化や 11年の東日本大震災の影響で利用客が急速に減少し、資金繰りが滞った。同ホテルによると、売上高は3年前には約4億円あったが、現在はその 6割程度の水準に落ち込み、施設の補修などが困難になったため、閉鎖を決めた。今後ホテルの売却などを模索すると説明している。
ビッグタイムリゾート伊計島を運営する伊計開発(畑野松英社長)は14日付で従業員50人を解雇した。従業員に対しては今後、県内ホテルなどへの 再就職を仲介する。
同ホテルは1989年開業で客室80室。金融危機前の稼働率は約70%を維持していたが、最近は30〜40%にまで落ち込んでいた。宿泊客数の減少 に加え、県内での相次ぐホテル開業で競争が激しくなり、客単価も低迷した。同ホテルは「東海岸のホテルは西海岸よりも状況が厳しかった」と説明した。
ホテル用地は伊計区と個人の私有地。伊計開発は「契約期間中なので借地料を支払いながら、ホテルの売却先探しなどを進める。地元や地権者とも 話し合い、迷惑を掛けないよう対応していく」と説明している。


私が勤めた専門学校の理事長は畑野氏で今から十八年ほど前に倒産した。その息子さんがホテルの社長なのだらう。島の北側を米軍が強制的に借り 上げ、二十数年前に撤退した施設だつた。求人情報がまだ残つてゐた。有限会社伊計開発ビッグタイムリゾート伊計島のレストランホール係で39歳以下 、 賃金114,400円 〜 140,800円、管轄はハローワーク沖縄とある。企業情報として従業員数67人(うち女性42人)とある。

離島までドライブした人の記事が幾つかあるのでまとめた。島の入口に伊計ビーチといふ優良の海水浴場がある。大人400円とある。道路を先に走ると さとうきびのトラクターがよく走るさうだ。島の集落は石垣の広い庭の家が続く。一番奥にリゾートホテルがある。

八月二十日(水) ツアーと路線バス
沖縄ではツアーバスのうちどれか一つに申し込まうと思つた。まづ「美ら海水族館と今帰仁城跡」コース。万座毛、海洋博公園・美ら海水族館、今帰仁城跡、 ナゴパイナップルパークを廻つて昼食付き、美ら海水族館入館料無しで五千五百円。高くはない。また万座毛に行くときのあの暑い道路を歩くことを思へば 魅力的である。しかしパイナップルパークは観光客向けなので行きたくなかつた。
次に「中部いいこと巡り」といふ案もある。琉球村、座喜味城跡、道の駅かでな、ビオスの丘で五千五百円。これにしようと思つたがビオスの丘が難点だ。 しかもツアーバスは観光客ばかりである。路線バスの運賃は那覇から名護で二千円強。実際は琉球村と万座毛で降りたから二千五百円掛かつた。帰り は沖縄市に行くため東海岸廻りのバスだから二千五百円。昼食が五百円で同額である。しかし私は路線バスを選んだ。観光客だけが乗る交通機関を 選んではいけない。地元住民とともに旅行すべきだ。とはいへ路線バスも中国人、アメリカ人の観光客がゐた。

今回の旅行は43大特典クーポンが付いてゐる。最初パンフレツトだらうと思つて危うく捨てるところだつたがよく見ると、琉球村、パイナップルパークなどの 入場券、ミニ沖縄そばなどの29大プレゼント、割引などの14大割引&特典。このうち琉球村の入場券だけを使つた。だからツアーと同額にできたのだがツアー はこの券を多用して路線バスより安くできるのだらう。私の推定では29大プレゼントは一回使ふごとに旅行社が施設に二百円くらい払ひ、14大割引&特典は 無料だと思ふ。

八月二十二日(木) ビタミンC飴とザイロリック
普通の人は今回のやり方を真似してはいけない。まづ羽田空港に着いたあとで水筒に入れてある焼酎を薄めたもの(度数10度くらいか)を500ml飲んだ こと。これは夕食を食べた後で満腹だつたので、アルコール分は腸内細菌の餌になりほとんど回らなかつた。少しづつ飲んだが大丈夫だつた。 往復の飛行機が夜行なので過労が心配である。だからビタミンC飴を二粒持つて行つた。旅行の前々日から飲み始めた。
夜中に着いて一泊後(実質は半泊)後の翌朝もビタミンC飴を飲んだ。そしてザイロリック100mgも服用した。わしは(小林よしのり氏の真似をしたのではなく「た」 の字を押したのにパソコンに無視された)高尿酸血症なので毎朝服用する必要がある。翌日も同じように服用した。ところが朝(厳密にいふと朝は散歩をしたから 八時くらいでも昼前の感覚だが)にホテル(看板はコンドミニアムと書いてある。しかしこの程度が丁度よい)を出てモノレールに乗り国際通りを歩いてゐると突然 右足の親指の付け根が痛くなつた。これは痛風の前の予告の発作で、これを二十回くらい繰り返すと本当の痛風発作が起きる。今回は予告だからすぐ治る。 水筒)の水を長く持たせるよう五回くらいに分けて飲むのに、尿が濃いだいだい色でかなり水分不足だつた。
その翌日に旅行かばんを見て驚いた。ザイロリックが一つ残つてゐる。二日目はビタミC飴が気になつて更に重要なザイロリックを飲むのを忘れてゐた。

八月二十三日(金) 台風
七月に旅行した理由は旅行費用が安いことのほかに台風に巻き込まれないためだつた。ところが台風が来た。一日目はほとんど影響を受けなかつたが 万座毛から名護に向ふときと沖縄市から那覇市に向かふときにわか雨が降つた。しかしすぐ上がつた。二日目はこのような雨が五回くらいありしかも風が 強かつた。夜中の飛行機は大丈夫だとは思つたがはらはらどきどきした。次の日の同じ便は欠航だらう。
帰りの飛行機からは陸地が見えなかつた。三週間過ぎて記憶が薄れたが富士山は見えたと思ふ。神津島、式根島の間を通り大島が見えると房総半島に 差し掛かつた。そして羽田に着いた。

八月二十三日(金)その二 泡盛を本土で安く入手する方法を
沖縄では泡盛を飲んだ。安かつた。ところが本土のスーパーで見ると高い。泡盛は沖縄県内向けには35%減税され、これは泡盛業界の利益額に匹敵する さうだ。だから減免がなくなると大変である。減免はこれからも続けると同時に、ここは鹿児島藩が密輸を行つた伝統を復活させ鹿児島経由で減免泡盛の 輸入を認めるべきだ。その代はり基地の地代は下げてよい。基地周辺へのバラマキはすべて廃止する。そんなことをするから基地賛成などといふ連中が 出てくる。無駄な補助金は廃止し、本土は泡盛を飲むことで沖縄の地場産業を応援しようではないか。(完)


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