五百七十五、(その二)南米の外国人労働者と抗議行動に参加(労働運動の良心はどこから生じるか)
平成二十六甲午
六月二十四日(火)
首都圏ネット一日抗議行動
今日は午前半休を取り、首都圏ネット一日抗議行動に参加した。全部で五箇所を廻るが午前半休なので
最初の二つに参加した。まづは大久保駅北口に集合である。私の勤務する会社は十年ほど前まで本社
に一番近いのは大久保駅南口だつた。私は横浜事業所の勤務だから午前に会議があると、昼は百人町
交差点南側のタイレストランで食べて新宿駅から横浜に帰るのが普通だつた。或るとき大久保に向かつ
て歩くと線路沿ひにミャンマー(当時はビルマ)レストランがあり、ランチは900円くらいで少し高かつたが
子供が入学前なのでまだ余裕があり、料理が多くてたらふく食べたことを今でも覚へてゐる。
その後本社は移転したが、休日にこの辺りを散策することがある。その場合新宿で降りて大久保駅の
南口を超えて新大久保駅に向かふ。今日は大久保駅が集合なので新しい発見が幾つもあつた。新大久保
よりは大久保のほうがアジア度が高い。今まで気が付かなかつた。
六月二十五日(水)
フリーター全般労組
一つ目はフリーター全般労組の争議である。最低賃金以下で働かせ、同族で幾つも会社を経営しその
うちの一つを倒産させ一人以外は同族会社に移動させるといふものだつた。フリーター全般労組は
かつて麻生首相の私邸を見に行くツアーで無届デモだとして逮捕者を出し、テレビや新聞で大きく
報道された。うちの労組は分裂まではフリーター全般労組と事務所を同居してゐたが、うちのA前副委
員長(療養中)がかつてフリーター全般労組を見つけ同居させた経緯がある。
フリーター全般労組は旗が薄いだいだい色なことを始めて知つた。よく考へると私自身、一日行動に
参加するのは初めてである。分裂前はうちの労組単独で抗議行動をよく行ひ、分裂後もA前副委員長
は参加人数数名の小さい抗議行動は行なつた。このころは私も抗議行動によく参加したし、マイクで
演説もした。しかしAさんが倒れてから抗議行動がなくなり、そのことがうちの労組のバランスを激変させ
変質につながった。
六月二十六日(木)
神奈川シティユニオンとベンセレモス
次の抗議場所はJR東日本本社である。南米の人たちは陽気である。移動のときに口笛を吹く人がゐた
ので、私もベンセレモス
(スペイン語版動画)、
(日本語版動画)といふ南米の革命歌を四小節口笛で吹いた。南米の人たちが反応したから
やはり知つてゐるのかと思つた。私がこの曲を知つたのは今から二十五年前、総評が解散する直前の
労働争議である。
JR東日本は神奈川シティユニオンの争議である。南米の労働者は皆、神奈川シティユニオンの組合員で
ある。女性比率が高かつた。今回は川崎火力発電所で下請け日本人労働者がトロッコに指を挟まれ
第二指は切断、第三指、第四指、第五指は完全に曲がらなくなつた。ところがJRで怪我したことは言は
ないでくれと労災隠しをされてから話がこじれた。JR東の社員だつたらあり得ない話である。
集会を開かうとすると警備会社のガードマンが中止しろと言ひ出し、労働権の侵害だと皆で抗議した。
マイクで演説が始まるとガードマンと小競り合ひが起きた。原因はガードマンがスピーカーを勝手に撤去
しようとしてそれを止める参加者ともみ合ひになつた。JR東日本は今回のようなことを予想したのか、
集会を開かないでくださいと同じ内容のテープを延々と放送し続けたがこれはJR東日本が悪い。敷地内
で集会を開いたら撤去を求めてもよい。道路で集会を開くのになぜ中止を命令したり、スピーカーを勝手
に撤去しようとするのか。
その後、両者は50cmくらいの間隔で対峙し、まづ南米の労働者がスペイン語で抗議し南米の労働歌
を何曲かスペイン語で歌つた。ベンセレモスもそのなかの一曲だつた。
六月二十七日(金)
うたごえ運動
インターネットで検索すると、ベンセレモスは歌声喫茶から広まつたといふ文章を見つけた。次に歌声運動を
調べると
創作を活動の源泉とするうたごえ運動であるが、荒木栄などが活躍した1960年頃から1970年代初頭
までの間は、自分たち以外の音楽ジャンルについて、ジャズやポップスはアメリカ帝国主義の日本への
文化侵略、演歌や歌謡曲は単なる大衆迎合などという解釈を与えていた。また、当時流行していた
「反戦フォーク」等に対しては、「社会派歌謡曲」「資本に泳がされている」「大衆の不満をそらすための
ガス抜き弁」等との解釈を与え、ほぼ敵対に近い状態であった。現在では、そのような考え方は克服
されている。なお、1970年頃より、フォークソングが「うたごえ運動」の主要なレパートリーとして定着して
いる。(ウィキペディア)
とある。私は今でも、ジャズやポップスはアメリカ帝国主義の日本への文化侵略、反戦フォーク等は資源
浪費で堕落した社会の偽善と思ふ。だから私の思想と昭和四〇年代前半の労働運動、社会運動の思想
はほぼ同一である。
六月二十八日(土)
労働運動の良心はどこから生じるか
労働運動の良心は総資本対総労働から生まれる。もし違ふとすれば企業エゴ、正規雇用エゴ、失業者
切り捨てエゴになつてしまふ。その典型がニセ労組シロアリ連合(自称連合)である。
総資本対総労働はどこから生まれるか。これは人間の良心と答へるしかないはずだ。しかし人間の心の
中には良い心と悪い心が同居する。世の中は人間が永続できるようによい慣習が自然に生まれ、一方で
力のある側に都合のよい悪い慣習も生まれる。だから良心は伝統心から生まれるし、別の言ひ方を
すれば宗教心だと(その一)で書いた。
マルクスの時代は伝統が崩れ科学万能だから唯物論的弁証法を考へた。これは唯物論といふ悪魔の
思想に良心を取り戻す方法だが、仕事や役割のローテーションをしない限り良心は取り戻せない。だから
スターリンの粛清や毛沢東の権力争ひやポルポトの虐殺や日本国内での内ゲバが多発した。
労働運動者が良心を取り戻すにはまづ総資本対総労働の精神を持つことである。総資本対総労働の
精神は伝統心から生じる。或いは完全なローテーションを組んだ唯物論的弁証法からも生じるが、完全な
ローテーションを社会主義者や共産主義者は組めるか。だつたら伝統心を起点としたほうがよい。(完)
(その一)へ
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