五百六十一(戊)、1.田正隆氏が「シュエダゴン・パゴダ東門地区のダマヨンドージー(大説法堂)地鎮祭」、2.平木光二氏の「ミャンマー仏教の現状」批判

平成二十六甲午
五月二十五日(日)「池田正隆氏の講演」
龍谷大学アジア仏教文化研究センターとパーリ学仏教文化学会が共催するシンポジウム「アジア仏教の現在3」が二年前にあり、池田正隆氏が「シュエダゴン・パゴダ東門地区のダマヨンドージー(大説法堂)地鎮祭」と題し講演をされた。
池田正隆氏は(乙)、池田正隆氏著「ビルマ仏教」でも紹介したとおり良心的な発表であつた。シュエダゴン・パゴダは仏法僧のうち僧が出来る前にミャンマーから二人の商人がインドに行き梵天の知らせで今ブッダが悟りを開いたからお参りしなさいと言はれて参拝した話が律蔵大品に載つてゐる。そのシュエダゴン・パゴダの東門のところに日本の門司のパゴダに三十六年滞在したウェープッラ比丘のお寺がありその近くの空き地での地鎮祭の様子である。説法堂やパゴダを建てるときはゴウハカといふ委員会を作る。僧院以外の宗教は僧侶のものではなく大衆に公開されたものである。翌年完成した説法堂の写真は体育館くらいの大きさの立派なものである。

五月二十五日(日)その二「門司のパゴダ」
門司にパゴダがあると聞いたことはあるがこれまで調べる機会がなかつた。インターネットで調べると、
世界平和パゴダは、日本とミャンマー(旧ビルマ)の親善と仏教交流、世界平和の祈念及び第二次世界大戦時に門司港より出兵した戦没者の慰霊を目的として、1958年、国内唯一の本格的ミャンマー式寺院として建立されました。

とある。しかし
平成23年12月から、僧侶の不在や運営資金難を理由に一時休館しておりましたが、関係各位のご尽力により、平成24年8月、ミャンマー仏教会から新たにお二人の僧侶を迎え、再開を果たすことができました。

宗教法人世界平和パゴダ理事の名前を見ると、代表役員が住職、責任役員の一人が滞在する僧侶、責任役員のもう一人がミャンマー仏教会三蔵位大長老、残りの四人が世界平和パゴダ奉賛会の役員。全員がパゴダのためにご尽力くださる方々だか、つひ合弁企業式に役員はミャンマー3、日本4。微妙な構成だと思つてしまふ。責任役員以外の理事はミャンマー側が4で駐日ミャンマー大使、公使、ミャンマー仏教会二名、日本側も4で世界平和パゴダ奉賛会の役員。ミャンマー仏教会の一人は我妻豊さんといふ日本人で商社のミャンマー担当だつた方のようだ。麻薬撲滅の日本NPO運動の通訳、現地人脈などでご協力くださつたといふページも見つけた。パゴダの建設時は
1957年6月13日ビルマ僧伽を代表するMAHASI SAYADAW等の高僧五名と、ビルマ政府仏教会を代表するU・CHAN HTOOM氏らの視察団が来日し、パゴダ敷地を視察すると共に鍬入式を行なった。
1957年8月11日U・NANUTT ARA大僧正を団長とするビルマ僧伽使節団が、布教と日緬親善に勤めるための来日しました。パゴダは1958年9月9日に完成し、落慶式をU・ONPHE(ビルマ仏教会代表)、U・HTOON HSIEN(駐日ビルマ大使)、U・VEPONLA(在日ビルマ僧伽団長)等と柳田門司市長等有志たちが盛大に挙行しました。


とある。案内図によると階段を上がつた低い岡の上にパゴダ、涅槃像、菩提樹の由来の石碑、鐘楼があり、階段の手前で分かれた道の先に小さな戒律堂と僧院がある。最初はパゴダに僧がゐるのはミャンマーとは違ふのではと心配だつたが純ミャンマー式のパゴダと僧院である。

五月二十五日(日)その三「平木光二氏批判、その一」
シンポジウムは次に平木光二氏「ミャンマー仏教の現状」といふ講演である。こちらは池田正隆氏と違つて極めて悪質である。ミャンマーの上座部仏教は1980年には20乃至30の宗派に分かれてゐた。
ネーウィン(1962-1981)は内務宗教大臣セインルイン(のちに大統領になる)を主要9派のトップのもとに遣わして、「具足戒を受けていない似非僧がいる」などの宗教問題の存在をつきつけてサンガの浄化の必要性を説き、サンガを浄化するためにはサンガの宗教権威「ダンマセッ」と政治権力「アーナーゼッ」の連携が不可欠であり、両者が連携すればターダナー(Sasana:ブッダの教え)はいっそう発展するであろう」と説き、存続を公認するから政府に協力するよう要請した。トップたちは自派の存続を最優先し、1980年に開催された会議で、サンガ機構を設立する政府案に賛成票を投じ、設立を承認した。

似非僧が出るのは日本も同じである。宗内の自治に任せると怠慢、仲間意識、出世の障碍、圧力その他の理由で取締りが緩やかになる。日本でも幕府の宗教取締りの厳しさに応じて破戒僧やニセ坊主が出たり出なかつたりした。平木氏は「存続を公認するから政府に協力するよう要請した。トップたちは自派の存続を最優先し(以下略)」といふが歴史のある九派が政府に公認してもらふ必要性はない。九派が協力したのは「ターダナーはいっそう発展するであろう」といふ大目的のためであり、公認してもらふためではないと考へるのが普通だ。平木氏の発言は最初から上座部仏教或いは非先進国への敵意や偏見に満ち溢れてゐる。

五月二十五日(日)その四「平木光二氏批判、その二」
ネーウィンのねらいは公認9派を最終的に1つに統合して1派にすることにあったことは、セインルインが長老たちを前にしてこう語っているところからうかがえる。すなわち「50年後には、ミャンマーには分派がなくなって、このサンガ機構だけになっているだろう」(1981年5月4日)と。

私は9派を一つに統合することに反対である。タイの上座部仏教には二つの派があり、一つの派だけより活性化に繋がつてゐる。仏教ばかりではない。経済でも政治でも一つに統合してよいことは何もない。
ところが公認九派を一つに統合する話は文脈からすると、平木氏は政府が仏教を管理するから反対だとしか取れない。平木氏の頭の中に仏教のことはなく西洋の猿真似をする国になればよいと考へてゐることがこれでよく判る。
欄外にトゥダンマ派の注釈として、1994年の統計ではトゥダンマ派の僧侶数が35万人で全体の九割を占め、この派のみが計14の州・管区全てに存在する。シュエジン派はトゥダンマに次ぐ僧侶数で、残る七派は非常に小さい。だとすれば一つに統合したら実際はトゥダンマ派への吸収である。ミンドン王(1853-1878)の時代に戒律を重んじるザーガラ長老により創られたシュエジン派を統合してよいはずがない。仏教のことを心配するならこの程度のことは誰でも考へる。ところが平木氏はまつたく言及しない。
この節はセインルインが50年後にミャンマーに分派がなくなると長老たちに話したところで終り、次の節は「徹底的に管理される仏教」と題し、比丘と沙弥は僧院、比丘尼は尼僧院に所属しなければならなくなつたと批判する。従来は僧院以外のパゴダなどに居住する僧もゐて人数の把握さへできなかつたといふが、これによりニセ僧や破戒僧を防ぐことができる。出家証明書の交付も始まり、池田正隆氏がティーライン(尼僧)にも交付されたと好意的に見て、私もこの見方に賛成である。しかし平木氏はこれも批判的に書く。平木氏は政府は宗教と一切係はらないようにすべしといふ欧米の猿真似が好きなようだが、政治は宗教と長く係はつてきたそれは日本も同じである。宗教を政治から完全に分離させるかどうかは歴史も考慮してその国が決めるべきで平木氏が西洋の猿真似でとやかくいふことではない。
平木氏は外交問題について
仏歯外交を通じて急接近した中国と距離をとり国際社会に復帰する契機となったのが、2008年に13万人の行方不明者をだしたサイクロン(Nargis)であった。諸外国の救援活動を拒否した軍事政権にプレッシャーをかけるかのように、アメリカの艦船だけでなく、フランスの艦船もヤンゴン沖に出現したことで、軍事政権は外圧を強く意識し、2011年11月ヒラリー・クリントン国務長官が来訪したことが民主化への道を決定づけた。

と述べた。艦船で外圧を掛けることを正当化してはいけない。さういふことを出来るのは大国だけだからだ。タイで数日前にクーデターが起きた。タイのクーデターは無血でしかも軍は短期で政権を返す。ミャンマーも最初はさうだつた。政党政治が混乱し国会は軍に暫定政権を依頼した。それでうまく行つた。だから二回目は無血クーデターを起こしそのまま居座つた。批判すべきは居座つたこと、長期の政権で堕落したことである。欧米と異なつてゐることではない。
だから三年前のテインセイン大統領の新政権は喜ばしい。ところが平木氏はこれにも批判的である。
テインセイン新政権は民主的な1歩を踏み出したとはいうものの、現政権にも依然として、権力の正当性に関する被疑、民主主義の欠如、人権問題、言論・メディア規制など問題が山積みしほとんど何も解決していない。

平木氏は欧米が民主主義を確立するのにたくさんの失敗を繰り返したことと、今の民主主義も実は地球資源を浪費することで成り立つことを知らないらしい。

五月二十六日(月)「ガンビーラの釈放」
ガンビーラは二〇〇七年のサフラン革命で指導的役割を果たし懲役六十八年の判決を受けた。テインセイン大統領は二〇一二年の一月と九月に恩赦を実施しガンビーラは一月のときに釈放された。
ガンビーラは12才のとき強制的に少年兵に徴用させられたが、のちに救出されて、出家した経歴の人物で、サフラン革命では、The All Burma Monks Allianceの情報将校として指導的な役割を担った。

少年兵といふから反政府組織に強制徴用されたのだらう。平木氏は一切言及しない。政府だらうと反政府だらうと非先進国は遅れてゐる。さういふ西洋的な上からの視線である。それにしても情報将校とは尋常ではない。まるで戦争である。The All Burma Monks Allianceと併せて英語を直訳したのであらう。
ガンビーラは解放されたその当日に、マンダレーとヤンゴンの僧院でおこなわれた受戒式で二度も受戒した。通常当局は再受戒を許可しないので、タイへ出国しそこで再受戒するのが通例であるのだが、かれは長老会議に許可をもらう必要はないと主張して強行し、長老会議と当局との間で激しく争った。

私は二度受戒してよいのかまづ疑問に思つた。平木氏は思はないのか。平木氏には仏教の心がない。平木氏はタイで再受戒することも無批判に受け容れてゐるが、タイで受戒してミャンマーに戻るなんてことはしてはいけない。タイで受戒したらタイのマハーニカイ或いはタマユット派で修行すべきだ。平木氏はそんなことも気がつかないのか。
ガンビーラはアウンサンスーチー、ヒラリー・クリントンとも面談し、今年1月の時点では、「ビルマに民主主義を根づかせるために、これまで非暴力で闘ってきた。また路上にでるかもしれない」と語っていたにもかかわらず、2012年4月17日突然還俗した。(中略)安居を数ヶ月後に控えたかれはいずれかの僧院に所属しておかなければならなかったのであるが、当局の報復を恐れて、ガンビーラを受け入れてくれる僧院がなかったからである。

ガンビーラを受け入れる僧院がなかつたのは平木氏は当局の報復を恐れたためだとしたが、私は宗教的な理由だと思ふ。政治活動をするために僧侶になつてはいけない。僧侶は修行と説法をすべきで政治活動をすべきではない。なぜなら政治は色々な意見がある。僧侶が政治を口にすればそれに賛成の人も反対の人もゐる。半分の人しか救へないからである。平木氏は仏法僧に帰依するのではなくアメリカと民主主義とヒラリークリントンに帰依してゐる。

五月二十七日(火)「ロヒンジャー問題でなぜイギリスを批判しないのか」
ロヒンジャー(Rohingya)の起源については、植民地時代にベンガル地方から労働者としてつれてこられた人々であるという説があるなど、正確にはわからないところがあるが、ベンガル出自のムスリムであると考えてよい。
(中略)バングラデシュはかれらはミャンマー国民だからそちらが引き取るべきだと主張しているのに対し、ミャンマー政府は市民権法によりかれらを国民として認知していない(以下略)


同じような問題にスリランカの中部高原地帯のタミル人問題がある。スリランカ東北部のタミル人と異なり中部高原地帯のタミル人は植民地時代にイギリスが連れて来たものだ。マレー半島にもタミル人が7%ゐる。香港にも無国籍状態のインド人が少数ゐる。パレスチナ問題はイギリスの二枚舌外交が原因だ。
一番非難されるべきはイギリスだが、平木氏はイギリスへの批判は一言もなくミャンマー政府のみを批判しアウンサンスーチー女史も態度が曖昧だと批判する。平木氏は欧米が誉めるものは誉めるし、欧米が批判する者は批判するようだ。

五月三十日(金)「加害者を批判せず被害者を批判するアメリカ大衆文化かぶれの平木氏」
ビルマの場合、イギリスの支配に屈したことでビルマ人のプライドは傷つき、その結果ビルマ人は外国人嫌いになり、しかもその裏返しとして自分たちは、仏教を信仰しているというこの点において、欧米人や(当時ビルマ経済を牛耳っていた)インド人、中国人とはちがうのだという自負心をもつようになり、仏教がビルマ人であることのアイデンティティになったのである。このような外国人嫌いのメンタルティーは現代の指導者にも顕著に認められ、ネーウィン、タンシュエーらの外国人嫌いは有名である。
こうして外国との接触(鎖国)を絶ち、外国の干渉を嫌い、外国の言語(英語)・文化(アメリカの大衆文化)・宗教(イスラーム、XX教)・思想(民主主義・人権)を排斥する一方で、仏教徒であるわれわれビルマ民族は他民族よりすぐれているのだという仏教の教えとは相容れない、排外的ビルマ民族優越主義に傾斜していった。


この平木氏の主張には絶対に反対である。外国を武力で植民地にしたのがイギリス、されたのがミャンマーである。加害者を批判せず被害者を批判する平木氏には呆れる。ミャンマー人の純粋な信仰は多くの外国の仏教徒の賞賛するところであり欧米人や(当時ビルマ経済を牛耳っていた)インド人、中国人とはちがうのだという自負心ではない。
ソ連崩壊後の世界では欧米文明が優勢であり、その弊害は大きい。宗教(イスラーム、XX教)を排斥することは絶対に反対である。しかしそれ以外を排斥することのどこに問題があるのか。アメリカは本来は野生生物と先住民の土地であり今でも大量の移民を受け入れるいはば非定常の土地である。非定常だから成り立つアメリカ大衆文化を受け入れればその国の歴史は破壊される。思想(民主主義・人権)のなかの人権は、人間以外の生物権を認めないことでおよそ仏教と異なる。民主主義はマスコミや圧力団体の影響を排除しない限り偽者である。しかも仏教なりイスラム教、XX教の誠心に基づく一切衆生の救済であればすべての人は救われるが、民主主義は半数を切り捨てることである。外国の言語(英語)については英語が世界共通言語であるかのように振る舞ひ特に日本では英語第二公用語といふ世界中の笑ひ者になる愚策を発表した。ミャンマーでは植民地時代に第二公用語どころか唯一の公用語にされてしまつた。これに反対するのは当然である。
そのビルマ民族優越主義が向かった先は少数民族であった。山地に居住するかれらをビルマ化するために、山岳伝道僧を派遣して、ビルマ的価値である仏教を布教し改宗を促した。(中略)しかし今年9月、チン族XX教徒の人権団体の宗会が開かれ、その席上で、「ミャンマー政府がチン族のXX教徒に地域の高級役人に任命する約束をエサに改宗を迫ったのは許し難いことだ」と抗議した(以下略)

高級役人に任命する約束をエサに改宗を迫つたのは植民地でのイギリスである。特に分断統治のため少数民族でXX教に改宗するものが多かつた。信仰の自由は保証しなくてはいけないが、植民地で発生した影響を元に戻さうとするならミャンマー政府のやり方も弾圧でない限りやむを得ない。すべてはイギリスが悪いからである。しかし少数民族が本来は何を信仰してゐたかを調べてその信仰、例へば精霊信仰に戻すのが本当は一番正しい。(完)


上座部仏教(19)
上座部仏教(21)

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