五百六十一(丁)、1.佼成出版社「黄金のパゴダ」、2.実践宗教の人類学「上座部仏教の世界」批判

平成二十六甲午
五月十八日(日)「一九八九年に出版された写真集」
一九八九年といへばソ連が崩壊する前である。まだグローバルだの、自由と民主主義といふ価値観だのと珍妙なことをいふ連中の出現する以前である。だから当時のミャンマーを見る目は今とは異なるはずだ。

この写真集は大阪外大教授大野徹氏の「パゴダにまつわる伝説」といふ前書きで始まる。シュエダゴン・パゴダは参詣者が全体に金箔を貼るため遠方からも金色に輝く。金箔で覆はれるのは由緒あるパゴダだけで普通のパゴダは灰色である。シュエダゴン・パゴダは釈尊の髪八本が奉安されたのが起源だといふ。
この他に過去四仏の遺品奉安の言ひ伝へがある。更に四仏の遺品は地下の水面に浮かぶ石製の厨子の中に安置され、水はラングーン川の潮の満ち干で上下する。シュエダゴン・パゴダの参道を上がつた正面に四仏があり拘留孫(くるそん)仏の指にロープが結へられロープは厨子に結ぶといふ伝説もある。

前書きの次にシュエダゴン・パゴダの案内図がある。四方の入口の内側に祈願堂、集会所、仏像、寺院、八本の髪が納められたとされるパゴダ、誕生日の曜日ごとの祈願所などがある。

五月十八日(日)その二「パガンの遺跡群」
パガンの遺跡寺院のほとんどはレンガ造りである。最も高い寺院だけは切り石造りで、そこから写した夕焼けの写真では隣の寺院と山と水平線しか見えない。伝説では全盛期に440万基のパゴダや寺院が立ち並んだが、長年の自然侵食と一九七五年の大地震で八割が被害を受けて崩壊の危機にあるといふ。写真では広がる畑や林に遺跡が点在する。一〇九一年に建立されたアーナンダ寺院ではパガンでは珍しい黄金の仏像が高さ10mの立像で四体あるスーラーマニ寺院では壁や天井に石灰を塗つて仏伝図や釈迦の生前を描いた本生図が描かれてゐる。

五月十八日(日)その三「その他のパゴダ、僧院」
仏足石も各地にあり礼拝される。サガイン丘陵には白いパゴダが多数点在し、先の大戦で亡くなつた日本人の慰霊碑もあり日本人パゴダと呼ばれる。「仏教徒にとってもっとも重要なザーダ。」と解説の付いた写真には、携帯電話くらいの石には僧が命名した名前、生まれたときの時刻と星座、曜日などが記されてゐる。一九一一年に建立された寺院に百三十人近いティラシン(尼さん)が生活してゐる。小学生くらいの年齢は比丘と同じ茶色の服の上に白い衣、中学生くらいは茶色の服の上に桃色の衣、その上に茶色の布を肩に掛ける。説明文は「法衣をまとっているが僧侶ではない。」「女性の僧侶への道はきっぱりと閉ざされている」と書くが、僧侶になるだけが人生ではない。準僧侶として生活できることで多くが満足してゐると思ふ。西洋の影響を受けただけの日本人が上からの視線で東南アジアに対して批判めいたことをいふべきではない。

五月十八日(日)その三「大自然の中で」
水牛が農作業に従事し、池からの水汲み、チーク材の運搬をしてゐる。トラックを利用した地方の乗り合いバスといふ写真は荷台いつぱいに積まれた竹かごの荷物とその上に乗る人たちの写真もある。このとき車は全国で八万台ださうだ。マンダレー近郊の木製の橋は手すりがなく高さが10m。川は見当たらないが雨季には下から9mまで水位が上がる。小学校の就学率は90%。大学の就学率は2%だが女子学生の占める割合は高い。

五月十八日(日)その四「田辺繁治氏編『実践宗教の人類学』批判」
次に田辺繁治氏編『実践宗教の人類学』を見てみよう。この書籍はあまり役に立たない。一九八九年から文部省(当時)の海外学術調査補助金の交付を受け、しかも田辺氏の所属する国立民族学博物館は税金で運営され、それでゐてこの程度ではおそまつである。田辺氏自身が書いた序章では
イギリスの人類学者E・リーチは『実践宗教における弁証法』と題する論文集の序文で、(中略)実践宗教とは、近代の哲学や科学が発達させてきた論理や言説とは異なつた、慣習化された思考と行為の過程である。

実際の宗教の慣習が社会にどう貢献し、また社会からどう影響を受けたかを調べるなら尊い。しかしこの書籍は現象を単に羅列しただけで何の役にも立たない。それを第3章「ビルマ儀礼論の展開」から見てみよう。

五月二十日(火)「高谷紀夫氏『ビルマ儀礼論の展開』その一」
上ビルマのパゴダ祭り(パヤー・プエ)こそパゴダ祭りだ。
一九三六年に執筆されたティパン・マウンワの「上ビルマのパゴダ祭り」と題された随筆はこのように始まる。彼は英領植民地下のビルマ文学界において、(以下略)


冒頭からこのように始まる。英領植民地下といふのはミャンマーの歴史の中で屈辱の時代だ。パゴダ祭りを描写するのにわざわざ英領植民地下の文章を引用しなくても幾らでも題材はある。どうしても引用するとしてもわざわざ英領植民地下とことわる必要はない。パゴダ祭りは英領植民地下とは無関係なのだから。ここからして高谷紀夫氏の論文は失格である。だから
本章のフィールドの中心はビルマ世界である。フィールド・ワークは一九八三年から八四年にかけての(以下略)

と日本語では意味が曖昧のフィールドといふ単語を得意げに使用した。西洋かぶれは教授にしてはいけない。ここは日本なのだから世の中の役に立たない。

五月二十二日(木)「高谷紀夫氏『ビルマ儀礼論の展開』その二」
ミャンマー第二の都市マンダレーについて
マンダレーの人口は一九八三年のセンサスで市内四つのタウンシップを合計して五三万二九五一人となっている(図3-2)。

この文章は高谷氏の教養の低さを表す。センサス、タウンシップと使ふ必要のない外国語を用いるからである。センサスは最近は経済センサスなど役所で使ひ始めたらしい。米英留学官僚は日本には不要な好例である。それよりタウンシップといふ語は悪質である。アメリカで先住民と野生生物から奪ひ取つた土地に入植者が五年間住むと800m私法の土地が分割される仕組みだからである。高谷氏は安直に京都の街並みのように縦横に区画された市内をさう呼んだのだらうが欧米かぶれが酷すぎる。図3-2とやらを見ると王宮跡、パヤ・ジー(マハムニ寺の仏像)などと並んで僧家なるものが60ある。私は上座部仏教歴二十年だが僧家なる語は知らない。出家した僧に家はないからである。たぶん僧院のことであらう。寺院のうちの本堂などを除いた僧侶居住区のことかとも考へられるがそれにしては市内に点在し過ぎる。点在するものは寺院、パヤ・ジー周辺の十一は僧侶居住施設かも知れない。高谷氏はミャンマーや文化人類学を専門とするのだからこんな曖昧な表現は許されない。
欧米被れといへばヤンゴンのシュエダゴンパゴダを言及するのに
ビルマ民主化運動のカリスマ的存在となつたアウンサン・スーチー女史が一九八八年六月に記念すべき最初の演説を行なったのは、この国最大のパゴダである首都ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダにおいてであった。ビルマ独立の父として尊敬されているアウンサンもまた、この聖地で歴史に残るスピーチを行なっている。女史がこの場所を第一声の場に選んだ理由は、その歴史を意識した演出であるとともに、パゴダが信仰空間であるだけではなく社交の場であったことが背景にある。

これは日本の偏向新聞が何かを書くときにまつたく無関係の拝米言辞を織り交ぜるのと同じ手法である。シュエダゴン・パゴダは釈尊の髪の毛が奉納されてゐるといはれる聖域である。近年の俗世の問題と絡めてはいけない。例へば昭和天皇を論じるには明治34年にお生まれになつた昭和天皇、或いは昭和64年に崩御された昭和天皇といへばよいのであり、マツカーサと会見したことのある昭和天皇といふ表現は極めて不適正である。或いは東京を論じるのに徳川家康が幕府を開設した地、或いは明治維新で首都になつたといへばよいのであり、マツカーサがGHQを設けた東京といつたら不適正である。高谷氏のシュエダゴンパゴダへの形容はそれと同じくらい不適正である。

五月二十四日(土)「しろうとより劣悪な高谷紀夫氏」
パヤ・ジーの参道には本尊に捧げる花、紙傘はいうまでもなく、僧侶のための黄衣、仏鉢、扇、傘、知性のお守りとしてビルマ全域で崇められているジィグエ(ふくろう)の像、仏教関係所の店々などが軒を連ねる。

ここでまづ気が付かなくてはいけないのは、黄衣は僧侶のためのもの。ジィグエ(ふくろう)は信徒のためのものだ。その関係を説明するのが文部省から予算をもらつてミャンマーまで調査に出かけ、高谷氏自身も鹿児島大学の助手、講師、助教授、広島大学の助教授、教授として税金から無駄飯を食つてきた(としかこの書籍からは言ひ様がない)者の役目ではないのか。
更に言へば「僧侶のための黄衣」と云ふ以上、その後に続く「仏鉢、扇、傘」は僧侶のためではない。もし形容詞は「、」を超えて有効だと高谷氏がいふのならジィグエ(ふくろう)の像まで僧侶のためになつてしまふ。私は揚げ足を取るのが目的ではなく「仏鉢、扇、傘」が僧侶のためなのか信徒がパゴダや仏像にお供へするためなのか純粋に知りたいからこのように書いた。更に言へばそんなことは実際にミャンマーに行けばすぐ判ることだ。私はミャンマーに行つたことがないから判らない。観光客が見てもすぐ判ることより更に低質なことをなぜ高谷氏は書き連ねるのか。本当に税金の無駄使ひである。

五月二十五日(日)「欠陥のまとめ」
欠陥をまとめると、ミャンマー全体に当てはまるのかその地域のみ、或いはその寺院やパゴダのみに当てはまるのかがまづ抜けてゐる。同じく一年中該当するのかその行事にのみ該当するのか、信者全体に該当するのか参加者だけに該当するのかも抜けてゐる。これらを明らかにしないと奇妙な習慣を集めただけの万国びつくりショーになつてしまふ。(完)


上座部仏教(18)
上座部仏教(20)

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