四百九十二、1.「小沢一郎議員を支援する会」から「新社会党」へ、2.社民党は村山を除名にしろ


平成25年
十月十六日(水)「宗旨替へではなかつた」
今回は「小沢一郎議員を支援する会」から「新社会党」へといふ話である。だからといつて宗旨を生活の党から新社会党に変へたのではない。私の所属する労組の或る裁判の控訴審代理人を「小沢一郎議員を支援する会」代表世話人で小沢氏の高校時代の同級生伊東弁護士から、「新社会党」副委員長加藤弁護士に変へたといふ話である。
加藤弁護士といへば鉄建公団訴訟の主任弁護士で勝訴に導いた。日本にはかういふ弁護士が多数必要である。

十月十七日(木)「社民党は魅力がまつたくない」
社民党が初めて党首選を実施した。まづ選挙は伯仲する候補が出て争点がなければいけない。だから今回の党首選はまつたく意味がない。八百長レースである。
新党首が発表された直後の演説をインターネツトで聴いたが3分で打ち切つた。退屈で中身がなく時間の無駄である。演説は最初の3分が勝負だ。一層のこと演説は3分以内でそれより長い人は引廻しの上磔獄門でよい。
余談だがこのまえの友誼組合の大会で福島前党首の挨拶は長かつた。私の番が回つて来たので「マイクを使はなければ喉が疲れて話が短くなるので」と前置きをして話した。私以外も労組一名労金一名がマイクを使はなかつた。会場に聞こえさうなときはマイクを使はないといふのも聴く人に変化を持たせ退屈させない方法である。
私の所属する労組が分裂前に同僚の執行委員だつた人が、数年前に東京中野区議選に立候補して落選した。定数は42人の大選挙区である。ただ一人の社民党公認なのに42人に入れない。これが社民党の実情である。
今回の党首選の対立候補は豊島区議である。まづ区議がなぜ党首選に立候補するのか。全国の都道府県議は何をやつてゐるか。次に豊島区議に当選した理由は性的少数者を表面に出して票を稼いだ。投票者の意識としてさういふ人が多数を占めては困るが少数なら面白がつて投票する。だからかういふ人は全体を盛り上げる役に徹するべきで自分が主役になつてはいけない。都連は推薦してはいけなかつた。離党した阿部知子さんに復党してもらひ立候補させればよかつた。

十月十八日(金)「社民党は村山富市を除名にしろ」
菅直人と野田のペテンで消費税増税が国内を騒がしてゐた時期に、村山富市が週刊誌に消費税を3%から5%に上げたことについてあれは必要だつたと述べた。あの時期にこの発言は許し難い。今回も上げることに賛成だと言つたに等しいからだ。この発言は社民党の公式発表と異なる。社民党は村山を除名にすべきだ。
その村山が今年八月「このままいっても先がない」と、護憲や脱原発を軸にリベラル勢力を結集する必要性を指摘。解党もやむを得ないとの考えを示した。(新聞失格東京パンフレットのWeb)。或いは「社民党はこのままいっても先がない。党派にこだわらず、憲法を守らないといかんという者は結集すべきだ。社民党が火付け役になって新しい党を作り上げていくことも大事だ」と述べ、護憲勢力結集に向け、社民党の発展的解消も必要との認識を示した。(朝日新聞のWeb)

社民党は社会民主主義である。五五年体制が確立するときから社会党は社会主義政党または社会民主主義政党だつた。社会主義と社会民主主義の違ひは共産主義をだう評価するかで、これは米ソの冷戦下で止むを得なかつた。ソ連は崩壊したのだから社会主義と社会民主主義に違ひはない。つまり社民党は五五年(昭和三十年)も今も何ら変はりはないはずだ。
社民党の西洋化を狙ふ偏向マスコミどもがさかんに護憲だリベラルだと誘ふ。これらは悪魔の誘ひだから乗つてはいけない。それにしても村山は社会党を分裂させた張本人だはないか。それなのに今また解党を主張する。村山こそ社会党と社民党の疫病神である。(完)


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(國の獨立と社會主義と民主主義、その九十二)

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