四百七十六、非嫡出子判決は正しいが理由を間違へてはいけない(非嫡出子と遺産相続、その二)


平成25年
九月六日(金)「非嫡出子判決」
非嫡出子裁判の違憲判決について云ふべきことは前に云つたので(非嫡出子と遺産相続、その一へ)、今回は別の角度から見てみよう。東京パンフレツト(自称東京新聞)に載つた元最高裁判事泉徳治氏のコメント「世界の潮流からすれば当たり前で、むしろ遅きに失した感もある」は不適切である。世界の潮流とは最初は一ヶ国が始めて増へたり減つたりを繰り返しながらだんだん多くなることだ。死刑廃止がよい例である。最初は一ヶ国が始めたのだから、もしその国が世界の潮流に従つたら今の潮流は生まれなかつた。つまり世界の潮流に従つてはいけない。日本にとりどれが良いかを考へた結果世界の潮流と同じになつた。これなら問題ない。
だから「世界の潮流」などといふ人は政界法曹界学界から追放すべきだ。

九月七日(土)「金額に差はつけず扱ひは異なるべきだ」
今回の判決を手放しで喜べない理由は、数ヶ月前の輿論調査で女性に反対が多かつたことだ。夫がどこかで勝手に子供を作つた。それなのにカネを取られたらたまらないといふ理由でこれは尤もである。夫婦の収入は共有財産だから非嫡出子は半額といふ数字に意味がない訳ではない。
結婚前の財産は平等、結婚後の財産は半分が適切である。それで不適切な場合は父親に損害賠償を請求すべきだ。非嫡出子に責任はないが両親には責任がある。

九月十三日(金)「憲法を考へる」
倫理観は時代とともに変化する。今回の判例の変更は倫理観の変化から出たものであり、憲法が優れてゐる訳ではない。もし憲法が優れてゐて今回の判決が出たなら今までは違憲を放置したことになる。
憲法は政府のあり方を規定するものだから必要なことだけに留めたほうがよい。戦後はアメリカが押し付けた憲法で倫理観まで規定されてしまつた。しかし五五年体制では憲法の争点は専ら第九条だつた。何しろ非武装中立の社会党が野党第一党であつた。第九条以外の人権規定は削除すべきだ。人権を無視してよいといふのではない。人権は国民の道徳として守らなくてはいけない世の中にすべきだ。
非正規雇用で結婚が出来ず生活もやつとといふ人が多いのは人権無視とは思はないのか。それなのにニセ労組シロアリ連合のように労働者派遣法は放置し人権だの護憲だのと叫ぶ。さういふ連中にろくなのはゐない。

九月十五日(日)「身勝手な女の場合もある」
七日は女性側の輿論を採り上げたから、今日は男性側の正論を採り上げてみよう。一つ目は今から十年くらい前だらうか。血液判定で実子かだうかを決めるべきだといふ意見に対し女性弁護士か誰かが家庭を破壊すると反対したことがあつた。それは女性側の身勝手である。法律を改定して実子ではないと判つたら戸籍から削除しこれまでの養育費を請求できるようにすべきだ。
二つ目に離婚に至つた人は自分が悪い場合も相手が悪い場合もあらう。離婚で生活が困難になる場合もあり、それは社会が何とかすべきだ。それとは別に世間一般に男女対立を作り出す女性がゐる。自分の離婚を男女対立に持ち込むためフェミニズム運動に多く入り込んではゐないか。

男女とも身勝手な人の割合は低い。それなのに身勝手な男女で世の中が変になる。さういふことは止めるべきだし、世の中をよくするために社会が大いに介入すべきだ。今回から政治を含めて社会といふ語を用いることにした。政治は社会の一部である。政治が介入だと国家権力の濫用だと感じる人がゐよう。さうではなく社会が公序良俗の育成に責任を持つべきだ。
社会が責任を持たず個人の自由にさせようとするのが朝日新聞であり、小型朝日であり、新聞失格東京パンフレットである。私がこれらを新自由主義と呼ぶには此のような理由がある。(完)


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