四百六十九、おら原宿さ行つただ
平成25年
八月十八日(日)「食堂のある図書館」
「あまちゃん」の4月放送分で、ユイとアキが原宿の竹下通りの話をする。実は私はときどき原宿の竹下通りを歩く。時代の最先端を行き若者たちとファッションを共有してゐるのである。といふのは冗談で渋谷区立中央図書館に行くためである。私が気に入つた図書館はかつて国会図書館、神奈川県立図書館、渋谷区立中央図書館の三つだつた。共通点は安い食堂があることと建物が古いことである。
このうち国会図書館は業者が二回交代し、その度に値段が上がり今では都立中央図書館のレストラン並みの値段になつてしまつた。神奈川県立図書館は今でも食堂が安い。しかし県の予算削減で閉館のうわさがある。
渋谷区立中央図書館は原宿にあり平成二十二年に裏に新築移転した。古い図書館は地下に食堂がありランチが390円だつた。四階が閲覧室だが私は二階や三階から半階ずれた(中二階、中三階、中四階)狭い書庫の中で立つて読むのが好きだつた。新しい図書館は食堂がなくなつた。移転後に旧図書館の場所は東郷神社の御神木が二本植へられた。
といふ訳で渋谷区立中央図書館は過去からの惰性で今でもときどき行く。そのとき竹下通りのセブンイレブン前の黒人の呼び込みが出没する三叉路から東郷神社に曲がるまでの30mを歩くのである。
八月十九日(月)「竹下通りを全部歩いてみた」
先日朝十時前に着いたので竹下通りを全部歩いてみた。普段は人が多く30m歩くだけでも大変である。この日は各商店が開店前で人が少なくゆつたり歩けた。歩いて驚いた。興味のある商品が一つもない。なぜ10時を過ぎるとあれほど人が集まるのか不思議である。
原宿駅の竹下口が道路の向うに見えたので信号を渡つた。録音で「作家Xのイーハトーブ、平泉」など流してゐるのでパンフレツトを見ると1ページ目に小袖海岸で海女さんがうにを持つ写真が載つてゐる。ページをめくるとアキが「リアスのうに丼」と書かれた箱を肩から掛けて車内販売をする写真、その2枚後には小袖海女センター、まめぶ、道の駅くじで海女衣装体験の写真が載つていた。といふことで相当「あまちゃん」に便乗したパンフレツトであつた。私のホームページも465 あまちゃん人気の勢ひで三陸縦貫線(仙台-八戸)を復活させようなど五つは便乗なので他人のことは言えないが。
八月二十日(火)「ブティック」
竹下通りの店は何屋なのだらうか。普通は八百屋、電器屋、魚屋など見れば判る。強いて言へば洋服屋、衣類屋、ファッション店とでもいふのだらうか。家に帰つてから気付いた。ああいふのをブティックといふのではないかと。
八月二十一日(水)「原宿駅表参道口」
今から二年ほど前だらうか。原宿駅表参道口で降りて右折し明治神宮入口を過ぎた辺りで、ロックグループが突然現れ歩道で演奏を始めた。ファンなのかグループのメンバーなのか若い女性十人くらいも現れ、前で踊つた。二曲くらい演奏が終るとあつといふ間に姿を消した。
私はロツクはよく判らないがかういふやり方は好きである。法律に違反するが社会に迷惑を掛けず私利私欲のためではないことをやつて、警察が来る前に消へる。かういふ行為こそ賞賛すべきで、拝米ニセ学者や拝米ニセ新聞が自由だの民主主義だのを叫ぶのとは大違ひである。
それにしても前で踊つた女性陣は美人がそろつてゐた。さういふメンバーを集めたのかも知れない。終つたあとグループの演奏会の日程を配布し、私ももらつたが今では紛失してしまつた。
八月二十三日(金)「竹下口そばのそば屋」
原宿駅の竹下口で降りて左折し少し歩くと道路の右側に立食ひそば屋があつた。私が中学生のとき、つまり昭和四十三年(1968年)ころの話である。そばは健康にいいからここ二十年ほど週二回は食べることにしてゐる。しかし最近は一回または無しのこともある。
マクドナルドは要らないからそば屋を増やすべきだ。日本マクドナルドの一号店が開店したとき藤田田社長(当時)が佐藤栄作に報告したところ、餃子みたいなものか、と質問されたさうだ。
「まずい、天井のスピーカがうるさい、客層に意地汚い輩がゐる」と三拍子そろつた牛丼屋も要らない。そば屋にすべきだ。なぜ意地汚いかといへば「つゆだく」と注文するやからがゐることだ。もしさういふ注文を受け付けるのだつたらそのことを明記すべきだ。明記しないことを注文するのは意地汚いとしか言ひようがない。(完)
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