四百十四、大久保、高田馬場、音羽、目白台散策記


平成25年
五月十二日(日)「高田馬場のアジア料理」
新聞だつたかインターネツトだつたか、高田馬場の韓国料理街の話を読んだ。私は大久保まではよく行くが高田馬場には行かない。大久保に行くときは新宿で降りてアジア料理街を新大久保駅まで歩くから、その先さらに1駅分歩くだけである。五月六日の振り替へ休日にさう思つて歩いたが新大久保と高田馬場はけつこう距離がある。といふか新宿から通しで歩くから距離があるように感じる。しかも西戸山タワーホウムズや西戸山公園の脇を歩くだけだから、新宿大久保間のアジア料理街のように楽しくはなく退屈で余計遠く感じる。やつと高田馬場に着いたが韓国料理街なんてないではないか。連休最終日はこの時点では一日が無駄に終りさうな雰囲気であつた。

五月十三日(月)「國柱會(分裂前)の位置確定」
此の日はまづ図書館に寄つた。上野界隈の話題で國柱會(分裂前)の位置を確定するため前にインターネツトで調べた。場所は判つたがインターネツトが引用した書籍を念のため見ようと本を四冊予約した。それを受け取りに行き一時間ほど読み二冊は返却、二冊は貸りたまま退出した。二冊には大島農芸学校と伊藤七雄の話が載つてゐるからである。伊藤七雄と浅沼稲次郎とその他七名が写る写真も掲載されてゐる。
これまで作家Xと浅沼稲次郎は、作家X-(國柱會)-石原莞爾-(東亜連盟)-浅沼稲次郎といふ人脈を考へたが、それ以外に作家X-(大島農芸学校)-伊藤七雄-(伊豆大島、日本労農党)-浅沼稲次郎といふ人脈も在ることが判つた。
別のページには
この年、無産政党は次々に新党を結成し、右派・日本農民党、社会民衆党、中間派・日本労農党、左派・労働農民党となる。作家Xがかかわったのは労働農民党である。一二月二五日、天皇没。昭和と改元。

といふ記事もある。

五月十四日(火)「大久保のミヤンマー料理店」
私の勤務する会社は、以前は本社が新宿と大久保の中間にあつた。用事があつて本社に行つたときは帰りに近くのタイ料理店で昼食をよく食べた。或るとき大久保駅の少し手前にミヤンマー料理店を見つけた。値段は九百円くらいで少し高かつたが料理は豊富でタイ料理に似てからいものが多く、しかしタイ料理とそれほど違ひはなかつた。決して割高感はしなかつた。食べたのは一回だけだが大久保駅を通るときはミヤンマー料理店があつたことをいつも思ひ出す。
私の昼食の予算は七百五十円から四百円まで順次下がつた。給料は下がつてゐないが子供が幼稚園、小学校、中学、高校と進学したからだ。子供の控除はより拡大し鳩山政権の始めた高校授業料無料化は更に教材費にまで拡大すべきだ。そして孫の教育費控除は不公平を拡大するから廃止すべきだ。

五月十八日(土)「二回目の高田馬場」
高田馬場に着いたがアジア街はない。早稲田通りを西側に数百m歩いたところで数年前にも来て同じ感想を持つたことを思ひ出した。駅に戻り東西線の運賃表を見た。百六十円で行けるところを探すためである。後楽園まで行けるが後楽園はそれほど面白くはない。カネを使へば面白いかも知れないが行つてもカネを使はないと面白くはないからである。そのまま早稲田通りを馬場口まで歩き、西早稲田で運賃表を見た。百六十円だと護国寺までである。旧妙信講の本部跡を見て図書館に返却した本に載つてゐた日本女子大の寮跡を見ようと計画した。
後日インターネツトで高田馬場の韓国街を調べると駅から両方の早稲田通りに二十ほどの韓国レストランがある。つまり単に見落としただけだつた。更に今日驚くべき事を見つけた。高田馬場はリトルヤンゴンと呼ばれるくらいミヤンマーの店が多いといふ記事である。しかしこの前行つたときは気がつかなかつた。詳しく記事を読むと食材・雑貨店、美容室など二十店舗ださうで、大久保周辺を想像するから気が付かなかつた。

五月十八日(土)その二「音羽目白台の僧X」
護国寺駅の講談社側出口に妙信講といふ団体があつた。XX会と公明党が国立戒壇を放棄したときそれに反対して昭和五十年ころ解散処分を受けた。地下鉄の出口を地上に出ると小さな敷地である。あるいは道路を拡張し狭くなつたのかも知れない。
講談社の旧舘の横の坂を上がり突き当たりが日本女子大である。本を返したから寮の位置は不明で成瀬講堂を外から見学した。そしてそのまま雑司が谷から地下鉄で帰宅した。
雑司が谷駅の案内図には常在寺といふXX宗の寺が載つてゐる。掲載費を払へば載せてくれるから驚くには値しないが、信徒数の99%を占めるXX会を破門にした後も常在寺が盛大にやつてゐることに驚きを感じた。といふよりは都市部の寺はやつて行けるが山村地区は厳しい。
今は作家Xの時代と大きく異なる。当時は国内布教を達成できる勢ひだつたが今は不可能である。僧X系各派は布教を中止し仏教の一学派として存続するか、或いは国内を江戸時代の寺受け制度以前に戻し布教をしないと寺が衰退する状態にすべきだ。後者に驚く必要はない。すべての民間会社はそのような状態で事業を継続してゐる。民間と異なることをして民間を導くことはできない。そのため公明党は墓地の公有化を主張すべきだ。農地改革に続く墓地改革である。それには既成仏教と敵対して行ふのではなく既成仏教の活性化にも繋がることを納得させて行へばよい。(完)


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