三百四十四、五十七回目の年末年始


平成25年
一月四日(金)「東京メトロの土日券を活用しよう」
今年の年末年始は上の子供が大学受験、下の子供は部活動の強化合宿があり、三十日に武州足立郡の実家に行き元日に戻るといふ短期間になつた。最近は実家に行くときは東京メトロの土日券を活用しどこかに寄ることにしてゐる。今回は地下鉄の根津で降りて年末の根津銀座、谷中よみせ通り、神明町都電車庫跡公園を見て駒込から志茂まで地下鉄に乗り、ここでも年末のすずらん通り、旧西友、一番街を見て赤羽からJRに乗つた。一番街の庶民的な飲み屋街。私はかういふ庶民的な街が好きだ。
今回の立ち寄りは、もし普通にJRだけで行けば290円、地下鉄を使つたからJR160円+東京メトロ114円×2で388円。あちこち立ち寄つたにしては98円余分に掛かつただけである。その秘訣は土日券である。160円券14枚で1600円、休みの日に都内を散策するのに便利である。

一月五日(土)「法華教会参拝記」
三十一日は旧中山道を浦和宿方面に歩いた。旧岸町交番の円柱形の窓、これは私が浦和に引つ越した昭和四〇年代に既にあつた。貴重なので写真に撮つた。その先にかつては新運転埼玉地方本部と書かれた二階建ての小さな家屋があつた。労働者供給事業を行つてゐた。日本の労働組合が弱いのは雇用を使用者側に握られたことだ。だから労働者供給事業で雇用権を労組が取り戻すべきだと長年思つて来たが、労働者派遣法で労働者供給事業の比率が小さくなつてしまつた。昨年はまだ事業所があつたのに今回はなかつた。中山道の古い商店が三つくらい残つてゐるので写真に撮らうと思つたが大晦日で道路渋滞のため車が邪魔になりうまく撮れなかつた。
浦和のコルソに行つた。ここの階段から東側を眺めるとかつては広大な田園都市が眼下に広がり、そこには見沼田圃、野田の鷺山も含まれてゐた。前方には筑波山が見へた。しかし一昨年だらうかマルイのビルができて視界が遮られるようになつた。次にマルイのビルに行つた。
今日の予定はここまでである。まだ12時前なので時間が余つた。与野の大カヤといふ名所まで歩くことにした。途中電話ボツクスの電話帖で法華教会を見つけた。ここにも寄ることにした。
大カヤとは樹齢千年のカヤである。今は中山X経寺の末寺妙行寺の境内にある。次に法華教会に向つた。多数の著書を書かれた柳沢宏道師といふ京都要法寺の僧侶が自宅を改造し布教所にした。予め電話を掛けた訳ではないので建物の外観だけ拝見しようと訪問すると在宅であつた。貴重なお話をたくさん伺つた。
大カヤの隣に田中智学の石碑があると伺つたので帰りにもう一回寄つた。妙行寺の檀家で田中智学の団体の会員でもあつた人が建てたもので田中智学の直筆が僧X宗の寺院ある貴重なものである。かつては今の題目碑の位置にあり、題目碑は寺の左側交差点の位置にあつたと僧侶から丁寧にその場所までわざわざ出向いて教へて頂いた。

一月五日(土)その二「元日のテレビ」
元日は朝五時からNHKテレビでニユースを観た。アメリカの減税法案のニユースしか放送しなかつた。ここは日本なのだからアメリカで法案が可決されようとされまいと関係がない。アメリカの今後の経済は日本にとつても重要だといふのなら、今は中国との貿易のほうが多いのだから中国の内政のほうが重要であらう。或いは東南アジア、欧州も重要である。余談だが中国との貿易がアメリカとの貿易を上回つたことに危機感を懐いた某国政府の工作員が日本と中国の両方で騒ぎを起こした可能性が高い。私はさう見てゐる。中国共産党にも拝米派は多くなつてしまつた。
六時のニユースではアメリカの減税法案のニユースがトツプ、皇室のニユースが二番目だつた。日本の首相任命者はアメリカ大統領なのではないか、と嫌味をNHKに対して言ひたくなつた。七時からのニユースはさすがに元日の天気がトツプだつた。アメリカと皇室が二番目、三番目なのは変らなかつた。三回のニユースを見て一言。これでは日本がアメリカの統治領になるのも無理はない。何でNHKに受信料を払はねばならぬのか不思議である。
七時二十分からNHKテレビで「奇跡の庭 京都・苔寺」といふ番組を観た。かつては庭園だつた、雨が降らなくても水を撒いたりはしない、三方を山に囲まれるため早朝湿度が下がらないなど内容はよかつたがナレーターがよくなかつた。重々しい語り口で吐く息がマイクが拾ふ。下手なアナウンサーだと今日まで思つてゐたが、インターネツトで調べると男優らしい。それならば仕方がない。NHKの演出が悪い。俳優の責任ではない。

一月六日(日)「箱根駅伝」
二日の箱根駅伝は見ない予定だった。しかし柏原がゲストで出演するので、実業団駅伝について何か話すだらうとテレビのスヰツチを入れた。しかし出場したことさへ話さなかつた。普通はアナウンサーが「柏原さん、昨日はお疲れ様でした」とか言ふ筈だ。テレビ局の系列が違ふから実業団駅伝といふ言葉は放送禁止用語に違ひない。
柏原の話し方は不十分だが、これは社会人として一年生だから当然である。私の勤務する会社でも昨年だか一昨年だか新入社員が「至らないところがあるとは思ひますがよろしくお願ひします」と挨拶した。至らないところがあるどころではなく全部至らないのである。もしかすると一つか二つは至るところがあるかも知れない。それを三年以内にすべて至るようになれる、それが社会人である。
柏原のほかに明治大学卒業生の鎧坂もゲスト出演した。明治大学と聞いて昨年末に起きたあの悲惨な事件を思ひ出した。私は仕事の都合でM大学の近くによく行く。帰りにときどきM大学の学生食堂で食べることがある。カレーライスは量が少ないから大盛を注文し更にサラダも付ける。これで370円である。一昨年夜行バスで京都に行く日に夜中におなかが空くといけないから倍盛りを注文した。大盛り、倍盛りはそれぞれ60円くらいづつ高い。食堂のおばさんが「普通は学生より少なく盛りますがどうしますか」と聞くので「学生と同じに盛つてください」と返答した。それ以来、大盛りのときも中高年は学生より量が少ないのではないのかと疑心暗鬼になつた。或るとき「大盛りだけどさつきの学生の普通盛りと量が変はらない」と文句を言つたこともあつた。文句をいふとバツが悪いから一ケ月くらい行かないで十二月十日久し振りに行つた。バツイチである。何となく肉の味に違和感を感じた。腐敗とか酸つぱいとかいふのではない。何かいつもと違ふ味に感じた。
悲惨な事件が起きたのはその翌日である。熱が39度6分まで上がつた。風邪の症状はないが稀にお腹が少し痛くなる。内科に行つたところお腹に聴診器を当てて「ごろごろ音がするからもうすぐ下痢になる」と言はれた。熱は2日後には下がつたが下痢は五日続いた。治つた後に「肉を食べたか」と言はれた。
もちろん何が原因かは判らない。私と家族三人とは同じものを食べ唯一違ふのがM大学の学生食堂である。そして私だけ食中毒になつた。たまたま家族で食べたものの中で私の食べた部分の肉が原因かも知れない。空気感染によるノロウイルスも疑つた。しかしノロウイルス特有の嘔吐はなかつたしノロウイルスは高熱にはならない。今もつて原因は不明である。だから明治大学とM大学との関係には言及しない。大学名が似てゐるだけかも知れないし、イニシヤルがMで共通なだけかも知れない。

一月七日(月)「木造、ブリキを貼つた家、樹木の有る敷地」
足立郡にはかつては木造の家や木造の周りにブリキの波板を貼つた家も多かつた。汲み取りの家も多かつた。昔の農家は敷地に高い樹木があり夏にはセミがたくさん鳴いてゐた。
これらがだんだん少なくなつた。そればかりかマンシヨンがあちこちに建つようになつた。人口が減少する今、首都圏にこれ以上人口を集めてはいけない。日本の人口が減るのに合はせて足立郡は昔みたいに農村に戻し、その分、全国各地を振興すべきだ。足立郡に里帰りしてさう思つた。(完)


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